テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

欺瞞で織られた窗簾(カーテン)

2013-04-27 23:22:30 | シロートの戯言
先週、四川省で起きた地震、2008年のいわゆる四川大地震と同様、チベット自治区の東、旧西康省近辺で起きています。そして今回の地震でも、諸外国の直接援助を断り続けて一週間が経ちました。
外国メディアもぼつぼつと現地周辺の様子を伝えるようになりましたが、死者200人あまりという数そのものが、恐らくはデタラメです。
もともと、いわゆる、内地の荒廃ぶりは日本の里山の比でなく、十分な対価の支払われない現地山林の産業は、自給自足分も含め、壊滅に近い地域もあると云うことですが、そんなところに今回の地震はクリティカルに打撃を与えていると思われます。
歪み、とひとことで片付けるのは簡単ですが、増大する歪みは、崩れるか、弾けるかしかありません。
既に人民解放軍のモラルは金銭へと偏向し、お得意の人海戦術さえ今回の地震の救援には生かせていないようにも見受けられます。金融界の中心にある欧米にはnoblesse oblige、日本には徳という概念があります。かたや中華圏のそれは、あくまで係累に及ぶ範囲が限界の個人主義のように思います。GDP二位のお国ではありますが、標題のような分厚いベールに隠されて見えない今回の地震被害においては、見たくもない裏地が透けて見えてしまっているようで、気持ちよくありません。