何に付けても大きなサイズのアメリカです。薬の錠剤も大きいので、喉につっかえるのでは無いかと思う位のサイズです。時折自分の飲んだ薬がトイレでそのまま出てくるのを見ると効いているのかと疑問に思わざるを得ません。そんな大きさに驚いていたら、錠剤を半分にして飲みなさいと言う処方箋が出て来ました。始めは歯で割っていたのですが、固くてうまく半分に成りません。その事を医局でいったら、「ピルカッター」と言うのが在ると言う事です。大きな錠剤を半分にしてくれるのです。色んな道具が在る物です。
2005.03.29
スマトラ沖でまた地震発生の話をアメリカ人と一緒に話をしていたら、フィリピンでも地震が発生したというのです。よくよく調べてみるとそれがスマトラ沖の地震だったのです。アメリカ人にすればスマトラ沖もフィリピンも同じような地域との認識なのでしょうね。どちらもアジアの何処かにはまちがいないでしょうが?
スマトラ沖でまた地震発生の話をアメリカ人と一緒に話をしていたら、フィリピンでも地震が発生したというのです。よくよく調べてみるとそれがスマトラ沖の地震だったのです。アメリカ人にすればスマトラ沖もフィリピンも同じような地域との認識なのでしょうね。どちらもアジアの何処かにはまちがいないでしょうが?
2002.12.11
木枯らしの舞う、寺院の参道で修行僧のような方が落ち葉をほうきで掃いていました。でも、風が強く掃いても掃いてもその後に落ち葉が落ちていきます。塵取りに入れた落ち葉さえも舞う風に吹かれて飛んで出ていきます。風が止むのを待ってから掃いた方が良いのではと思いますが、そんなこと全く気に留めずに黙々と落ち葉を掃いていました。参道を綺麗にするだけの為とは思えません。精神修養の為なのでしょうか?何の為に風の強い時に落ち葉の掃除をするのでしょうか?どなたか、ご存じありませんか。
木枯らしの舞う、寺院の参道で修行僧のような方が落ち葉をほうきで掃いていました。でも、風が強く掃いても掃いてもその後に落ち葉が落ちていきます。塵取りに入れた落ち葉さえも舞う風に吹かれて飛んで出ていきます。風が止むのを待ってから掃いた方が良いのではと思いますが、そんなこと全く気に留めずに黙々と落ち葉を掃いていました。参道を綺麗にするだけの為とは思えません。精神修養の為なのでしょうか?何の為に風の強い時に落ち葉の掃除をするのでしょうか?どなたか、ご存じありませんか。
2002.11.30
小雨の降る中、とある露天風呂に行きました。湯煙と周りの樹木からでる水気をたっぷり含んだ精気で鼻孔からも存分に野趣溢れる露天の風情を満喫できました。で、湯面をみましたら落ちて来た雨滴が湯面の上でしばらく丸く浮いているのです。それはほんの数秒の間の事ですが、雨粒が、粒として丸粒を見る事ができるのです。そこのお湯は鉄分を多く含んだ茶色のお湯ですが、これって温度差がなせるのか、PHの違いが為せるのか、それとも微妙な比重の違いから起こるのか?!どなたか、ご存じありませんか。
小雨の降る中、とある露天風呂に行きました。湯煙と周りの樹木からでる水気をたっぷり含んだ精気で鼻孔からも存分に野趣溢れる露天の風情を満喫できました。で、湯面をみましたら落ちて来た雨滴が湯面の上でしばらく丸く浮いているのです。それはほんの数秒の間の事ですが、雨粒が、粒として丸粒を見る事ができるのです。そこのお湯は鉄分を多く含んだ茶色のお湯ですが、これって温度差がなせるのか、PHの違いが為せるのか、それとも微妙な比重の違いから起こるのか?!どなたか、ご存じありませんか。
2002.05.09
もう、桜の花も終わった感じです。桜の花って凄いと思います。開花の時期には、はるか遠くからもその存在がよく判ります。この時期だけです。山を見てほんのり白く染まっているところには間違いなく桜があります。花が終わって葉になると他の木々と一緒でもう区別するのは難しくなってしまいます。1年のほんのある一瞬だけその存在を主張する/できる木です。そんな事から多くの人が、桜の花の時期はその花の下で集い、語らい、楽しむのでしょうか?!
もう、桜の花も終わった感じです。桜の花って凄いと思います。開花の時期には、はるか遠くからもその存在がよく判ります。この時期だけです。山を見てほんのり白く染まっているところには間違いなく桜があります。花が終わって葉になると他の木々と一緒でもう区別するのは難しくなってしまいます。1年のほんのある一瞬だけその存在を主張する/できる木です。そんな事から多くの人が、桜の花の時期はその花の下で集い、語らい、楽しむのでしょうか?!
2002.04.08
空にかかる虹の端はどこになるのでしょうか、というものです。雨模様の空に掛かる虹は本当に綺麗です。子供の頃その橋の根元まで歩いて行って見たいなと思われた方も多い事でしょう。でも、それに向かって進む程に虹がなんとなくぼけてきて、最悪の場合は虹が見えなくなってしまいます。これって、空しいですね。目の前に見えていたモノが消えていくのです。昨今の私はNYマンハッタンの写真を見る度にそんな気持ちにさせられるのですが、皆さんはいかがでしょうか!?
空にかかる虹の端はどこになるのでしょうか、というものです。雨模様の空に掛かる虹は本当に綺麗です。子供の頃その橋の根元まで歩いて行って見たいなと思われた方も多い事でしょう。でも、それに向かって進む程に虹がなんとなくぼけてきて、最悪の場合は虹が見えなくなってしまいます。これって、空しいですね。目の前に見えていたモノが消えていくのです。昨今の私はNYマンハッタンの写真を見る度にそんな気持ちにさせられるのですが、皆さんはいかがでしょうか!?
2002.2.28
太陽が在っての宇宙・地球です。だから神代の昔から今まで、そしてこれからもずーっと信仰の対象として敬われるでしょう。天頂に上がりきった太陽は強すぎて直視できませんが、日の出、日の入り時の太陽は熱くなくて優しく、観るには最高ですね。神のように偉大だから本当に神々しさが漂っています。ところで写真に撮ると日の出か、日の入りか見分けが付かなくなるんですが、どうしてでしょうかねぇ?!
太陽が在っての宇宙・地球です。だから神代の昔から今まで、そしてこれからもずーっと信仰の対象として敬われるでしょう。天頂に上がりきった太陽は強すぎて直視できませんが、日の出、日の入り時の太陽は熱くなくて優しく、観るには最高ですね。神のように偉大だから本当に神々しさが漂っています。ところで写真に撮ると日の出か、日の入りか見分けが付かなくなるんですが、どうしてでしょうかねぇ?!
安楽越え
2004/01/04
2004年の初乗りに出かけました。コースは鈴鹿の山を越えて甲賀の里そして関宿へと戻ってくるコースです。2004年のお正月、3ケ日は比較的天気も穏やかでした。はてさて、4日も風も無くバイク初乗りには心地良いものでした。鈴鹿の山越えはいくつかのコースをすでに走破していますが、今回は安楽越えをトライしました。この鈴鹿山脈越え、歴史・文化的に見ると、古くは鈴鹿山脈において日本の東西が分けられ、その各峠は奈良・京より東海、東日本への出入口となっていたのだそうです。鈴鹿川沿いには、古くより川が穿った渓谷を利用して道が作られていて、それは「鈴鹿越え」、「加太越え」、「安楽越え」と言われていたそうです。奈良・京の都、畿内と東海、東日本をつなぐ交通の要衝であったとともに、歴史を織り成し、その舞台となった川であったようです。戦国時代には、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直後、徳川家康が大阪、伊賀から加太峠を越え、白子港から岡崎へ戻ったとされる、いわゆる「伊賀越え」の舞台ともなりました。 その翌年には、明智光秀を打ち破った木下藤吉郎秀吉が、北陸の柴田勝家に同調した滝川一益を討つために「安楽越え」をし、加藤清正らとともに鈴鹿に入り、桑名で弟・秀長の軍と甥・秀次の軍と合流し、一益の本拠である木曽川河口の長島を攻めたとも言われています。そんな事を考えながら関から林道への入り口を探しながら走っていると道を間違えてしまい、また国道1号線上り車線で引き返し林道に入って行きました。さすがに交通量が少ないのと、山深い場所だけに日陰のここそこには1週間前の雪が残っておりました。それとコーナーの幾つかは落ち葉の堆積があり、これも朝の湿り気を持っていてバイクのコーナーリングには危険極まりない様子でした。スピードを押さえ慎重にカーブを曲がりながら進みました。石水峡キャンプ場で右折していよいよ安楽越えに入っていきました。いつも峠越えのパターンは峠の頂上で休憩を取るのです。ここがその頂上かと思うところで一休みしようと考えたのですが、1BOXカーが駐車しており、それを避けて少し走って降りた地点が上の写真の地点です。ここで一休み。見上げると上空は抜けるような青空で、ジェット機の軌跡がいくつか綺麗な直線を残しているのが見られました。いつものようにこの地点で小さな税金をショウショウ納めた後、山女原の集落の中を抜けて国道一号線に戻ってきました。マップルでは山女原の景色が良いとの注釈がありましたが、そんな感じはあまり感じることができませんでした。その後水口で昼食を摂り、甲賀、関と走り抜けて帰ってきました。甲賀では忍術村をゆっくりと見学もしたかったのですが、この時期のお日様は早くお休みになるので横を通りすがっただけでした。この時期やはり日没後のライドは厳しいですよねぇ。総走行距離160キロの快適な初春ショートツーリングでした。この調子で行くと今年はかなりバイクツーリングが楽しめそうかな!
2004/01/04
2004年の初乗りに出かけました。コースは鈴鹿の山を越えて甲賀の里そして関宿へと戻ってくるコースです。2004年のお正月、3ケ日は比較的天気も穏やかでした。はてさて、4日も風も無くバイク初乗りには心地良いものでした。鈴鹿の山越えはいくつかのコースをすでに走破していますが、今回は安楽越えをトライしました。この鈴鹿山脈越え、歴史・文化的に見ると、古くは鈴鹿山脈において日本の東西が分けられ、その各峠は奈良・京より東海、東日本への出入口となっていたのだそうです。鈴鹿川沿いには、古くより川が穿った渓谷を利用して道が作られていて、それは「鈴鹿越え」、「加太越え」、「安楽越え」と言われていたそうです。奈良・京の都、畿内と東海、東日本をつなぐ交通の要衝であったとともに、歴史を織り成し、その舞台となった川であったようです。戦国時代には、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直後、徳川家康が大阪、伊賀から加太峠を越え、白子港から岡崎へ戻ったとされる、いわゆる「伊賀越え」の舞台ともなりました。 その翌年には、明智光秀を打ち破った木下藤吉郎秀吉が、北陸の柴田勝家に同調した滝川一益を討つために「安楽越え」をし、加藤清正らとともに鈴鹿に入り、桑名で弟・秀長の軍と甥・秀次の軍と合流し、一益の本拠である木曽川河口の長島を攻めたとも言われています。そんな事を考えながら関から林道への入り口を探しながら走っていると道を間違えてしまい、また国道1号線上り車線で引き返し林道に入って行きました。さすがに交通量が少ないのと、山深い場所だけに日陰のここそこには1週間前の雪が残っておりました。それとコーナーの幾つかは落ち葉の堆積があり、これも朝の湿り気を持っていてバイクのコーナーリングには危険極まりない様子でした。スピードを押さえ慎重にカーブを曲がりながら進みました。石水峡キャンプ場で右折していよいよ安楽越えに入っていきました。いつも峠越えのパターンは峠の頂上で休憩を取るのです。ここがその頂上かと思うところで一休みしようと考えたのですが、1BOXカーが駐車しており、それを避けて少し走って降りた地点が上の写真の地点です。ここで一休み。見上げると上空は抜けるような青空で、ジェット機の軌跡がいくつか綺麗な直線を残しているのが見られました。いつものようにこの地点で小さな税金をショウショウ納めた後、山女原の集落の中を抜けて国道一号線に戻ってきました。マップルでは山女原の景色が良いとの注釈がありましたが、そんな感じはあまり感じることができませんでした。その後水口で昼食を摂り、甲賀、関と走り抜けて帰ってきました。甲賀では忍術村をゆっくりと見学もしたかったのですが、この時期のお日様は早くお休みになるので横を通りすがっただけでした。この時期やはり日没後のライドは厳しいですよねぇ。総走行距離160キロの快適な初春ショートツーリングでした。この調子で行くと今年はかなりバイクツーリングが楽しめそうかな!
2004.05.16
天気が悪いと古傷が痛むという人、いらっしゃいますよね。低気圧が近づいてくると呼吸が苦しくなるという人もいらっしゃいます。曇りや雨の降る日の朝は起床がつらくて遅くまで寝ていたという人もいらっしゃいます。大自然の元で生きている人間ですから、大気圧の変化に体調が左右されてもおかしくはないのでしょうが?気圧で血液の動きが変化し体調に影響をおよぼすのでしょうか?
天気が悪いと古傷が痛むという人、いらっしゃいますよね。低気圧が近づいてくると呼吸が苦しくなるという人もいらっしゃいます。曇りや雨の降る日の朝は起床がつらくて遅くまで寝ていたという人もいらっしゃいます。大自然の元で生きている人間ですから、大気圧の変化に体調が左右されてもおかしくはないのでしょうが?気圧で血液の動きが変化し体調に影響をおよぼすのでしょうか?
2003.03.07
早春のとある暖かい日(雨水)に山間の集落に早い春を探しにでかけました。山に入るまでの平地では摂氏13度と小春日和の陽気そのものでした。ところが主要国道を外れて山間の地方道に入り、山影、日影の地域を走っていると北斜面にはまだ残り雪が見られます。気温は摂氏6度です。車を降りてそとに出ると肌寒さを感じます。早春と晩冬がわずか数キロ離れて同居です。こんな季節の変わり目の時期、野山で多様な風景が楽しめます。でも、先ほどの小春日和はわずか数キロ先です。この気温の違いはなにでしょう?日本って狭いの?広いの?
早春のとある暖かい日(雨水)に山間の集落に早い春を探しにでかけました。山に入るまでの平地では摂氏13度と小春日和の陽気そのものでした。ところが主要国道を外れて山間の地方道に入り、山影、日影の地域を走っていると北斜面にはまだ残り雪が見られます。気温は摂氏6度です。車を降りてそとに出ると肌寒さを感じます。早春と晩冬がわずか数キロ離れて同居です。こんな季節の変わり目の時期、野山で多様な風景が楽しめます。でも、先ほどの小春日和はわずか数キロ先です。この気温の違いはなにでしょう?日本って狭いの?広いの?
2002.02.11
世界的な水不足が叫ばれています。日本は水の有効利用が余り高くない国なのですが、雨水利用や中水道の開発など、話は出るのですが、大きな力となっての実現はまだまだです。それに関係する器具や部品も市場にほとんど出回っていませんし、購入経路も判り難いです。今すぐに私達でできる事は何なのかを真剣に考えるべき時ではないでしょうかねぇ?!
世界的な水不足が叫ばれています。日本は水の有効利用が余り高くない国なのですが、雨水利用や中水道の開発など、話は出るのですが、大きな力となっての実現はまだまだです。それに関係する器具や部品も市場にほとんど出回っていませんし、購入経路も判り難いです。今すぐに私達でできる事は何なのかを真剣に考えるべき時ではないでしょうかねぇ?!
2002.01.10
毎年お歳暮で頂いたり,本屋さんで自分の気に入った物を買ったりして、新しいカレンダーを大晦日に掲げなおしています。真新しい気分にさせてくれて幸せです。でも、勿体無いと思いませんか?日は巡ると申します。万年カレンダーのような形で来る年も来る年も使えるような物であれば省資源にも役立ちませんかねぇ?!
毎年お歳暮で頂いたり,本屋さんで自分の気に入った物を買ったりして、新しいカレンダーを大晦日に掲げなおしています。真新しい気分にさせてくれて幸せです。でも、勿体無いと思いませんか?日は巡ると申します。万年カレンダーのような形で来る年も来る年も使えるような物であれば省資源にも役立ちませんかねぇ?!
空気の匂い
2003/06/05
今週の水曜日くらいにやってくる梅雨で、バイク絶好の時期が一時お休みに入る前にと今年も出かけました。このたびの行く先は伊吹山ドライブウェーを登っている折にいつも気になっていた、右手山向こうに見える道でした。地図で調べてみると、県道257川合垂井線でした。関が原よりその県道に入り、続いて県道32,40,274揖斐高原線そして国道303号線にぶち当たるまで、ずーーっと北上です。途中国見峠に立ち寄って小休止。平日ということもありルートは丸っきりの貸切状態です。木立に囲まれたルートは真夏でも木陰トンネルでクールな走行を楽しませてくれそうです。若葉が大変元気でフィットンチッドの香りをルート上に充満させてくれています。走っていて空気の香りを楽しめるのはまさにバイクだけの特権です。鉄の囲いが自分の身体の回りにないだけでも開放感に浸れますが、こんな新鮮な空気の匂いがさらに走行の開放感を倍増させてくれて、健康でバイクに乗れる幸せを感ぜずにはおれません。フィットンチッドの香り以外にも私は、野焼き、藁焼き、芝生刈りなどの匂いも好きです。心地よいとする匂いには多少個人差があると思いますが、そんな匂いがした時には思いっきり深呼吸をして我が体内の隅々まで空気を充填させて命の洗濯をしております。さて、ツーリングの方は山間の道だけに思わぬところで工事中通行止めの標識に出くわすのですが、今回も3ヶ所でその標識でしたが、結果はそのうち2ヶ所を難なく、クリアーでした。標識に出くわす度に思うのですが、工事をするのは必要でしょうが、生活に直結する道路です、まして一本道、代替迂回するルートをはっきりと一緒に標識で明示して貰いたいものです。「通行止めで行けないよ」これだけでは使う道路でなく、工事の為の道路で困ってしまいます。通行止め区間に入ってみると逆方向から車は来るし、路肩に車は駐車してあるし、どこまで真剣に正直に標識を守ればいいのか、疑問ばかりが残ります。ま、そんな工事区間を難なく通行すると何故かしら「やったぁ」という、妙な達成感が沸くので、中年はそれなりに楽しんでいるのですが、当局の改善を願います。国道303号からは冬季閉鎖の八草峠トンネルを越して近江の国です。峠近辺の道路はもうあと何年続くのかわかりませんが、新道路の工事がまだまだ真っ盛りでした。新しい道路を走るのが楽しいか、今の道路を走るのが楽しいのか、結論が出せるのははまだまだ先のようです。旧道を愛する中年としては、峠トンネルの旧道は今はもうすっかり利用されないのか、鉄パイプで閉鎖されていて全く入れない状況で少し残念な気持ちがしました。総走行距離243キロの快適なショートツーリングでした。
2003/06/05
今週の水曜日くらいにやってくる梅雨で、バイク絶好の時期が一時お休みに入る前にと今年も出かけました。このたびの行く先は伊吹山ドライブウェーを登っている折にいつも気になっていた、右手山向こうに見える道でした。地図で調べてみると、県道257川合垂井線でした。関が原よりその県道に入り、続いて県道32,40,274揖斐高原線そして国道303号線にぶち当たるまで、ずーーっと北上です。途中国見峠に立ち寄って小休止。平日ということもありルートは丸っきりの貸切状態です。木立に囲まれたルートは真夏でも木陰トンネルでクールな走行を楽しませてくれそうです。若葉が大変元気でフィットンチッドの香りをルート上に充満させてくれています。走っていて空気の香りを楽しめるのはまさにバイクだけの特権です。鉄の囲いが自分の身体の回りにないだけでも開放感に浸れますが、こんな新鮮な空気の匂いがさらに走行の開放感を倍増させてくれて、健康でバイクに乗れる幸せを感ぜずにはおれません。フィットンチッドの香り以外にも私は、野焼き、藁焼き、芝生刈りなどの匂いも好きです。心地よいとする匂いには多少個人差があると思いますが、そんな匂いがした時には思いっきり深呼吸をして我が体内の隅々まで空気を充填させて命の洗濯をしております。さて、ツーリングの方は山間の道だけに思わぬところで工事中通行止めの標識に出くわすのですが、今回も3ヶ所でその標識でしたが、結果はそのうち2ヶ所を難なく、クリアーでした。標識に出くわす度に思うのですが、工事をするのは必要でしょうが、生活に直結する道路です、まして一本道、代替迂回するルートをはっきりと一緒に標識で明示して貰いたいものです。「通行止めで行けないよ」これだけでは使う道路でなく、工事の為の道路で困ってしまいます。通行止め区間に入ってみると逆方向から車は来るし、路肩に車は駐車してあるし、どこまで真剣に正直に標識を守ればいいのか、疑問ばかりが残ります。ま、そんな工事区間を難なく通行すると何故かしら「やったぁ」という、妙な達成感が沸くので、中年はそれなりに楽しんでいるのですが、当局の改善を願います。国道303号からは冬季閉鎖の八草峠トンネルを越して近江の国です。峠近辺の道路はもうあと何年続くのかわかりませんが、新道路の工事がまだまだ真っ盛りでした。新しい道路を走るのが楽しいか、今の道路を走るのが楽しいのか、結論が出せるのははまだまだ先のようです。旧道を愛する中年としては、峠トンネルの旧道は今はもうすっかり利用されないのか、鉄パイプで閉鎖されていて全く入れない状況で少し残念な気持ちがしました。総走行距離243キロの快適なショートツーリングでした。
九九里の半ば
2003/03/06
春3月なんとなく気分も軽やかになる時期です。冬の間は寒くてどうしても家の中にじっと我慢の中年も何故か体がむずむず(股間でないのが???)としてくるのです。テレビで山陰の昔通った丹後地方が放映されたのを見て、巡り残した西国薬師霊場結願達成にと旅立ちを決意しました。「人は何故山に登るのか」そんな言葉がありました。「貴方は何故お寺を巡るのか?」そんな難しい事は「私の足に聞いてくれ」と、返事が出来ない自分の無知を棚上げにしたいです。判らないままでも生きていかなければならない、生かされている私の人生です。札所巡りが出来る健康を実感する、感謝するそして巡る巡るです。折角巡るのならと今回は西国33観音霊場も近いので昔会社員の中年は効果と効率を重視して同時にお参りを目論見ました。2泊3日の巡礼旅です。初日は京都近辺を中心にお参りしました。近江の三井寺、大原三千院、醍醐寺等々観光でも有名な寺院がほとんどでした。しかし中年は観光地などで有名な寺院は苦手なのです。拝観は時間厳守で早くても遅くても受け付けてもらえません。そして駐車料金、拝観料等々年金暮らしの懐には打撃がキツイ。非常に世俗的な理由から苦手なのです。何かしら「地獄の沙汰も金次第」を突きつけられるようなのです。大きな文化財を維持保存するには多大な費用が要るとは、判っていても中年はやせ細る自らの懐に寂しさを隠せないのです。2日目は山陰の日本海沿岸の札所をお参りです。応挙寺の円山応挙が描かれた襖絵の八方睨みという画法には驚きの一語です。札所巡りの喜びのひとつは、このような、思いがけない所での思いがけない宝物への遭遇です。結局こちらでは肝心のお薬師さんにお手を合わすのを忘れてしまった、罰当たりな中年でした。3日目は福知山を出発し瀬戸内海方面へ南下しながらお参りするルートです。 兵庫県氷上郡にある達身寺では多くの木彫仏像群(完成、作成途中、部品)に驚かされました。戦火を避けるために土の中に埋もれていた仏様、中には朽ち果て虫に蝕まれた仏様。果てしない時の流れがそんなお姿の仏像群から強く伝わって来ました。今回のお参りで薬師霊場は結願と思いお参りを続けて来たのです。が、最後のお寺さんで「あと少しですね。」の一言で「??全部のはず??」の疑念がむくむくとわき上がって来ました。帰宅後ご朱印を見ますれば、お参りは全て済ませていますし、ご朱印帳は全て揃っているのです。が、軸の方は後3カ寺、それも始まりの1番札所(奈良薬師寺)、最後の49番(延暦寺)が残されていたのです。「百里の道を行く者は、九九里を以って半ばとする」と言う言葉がありありますが、我が巡礼の旅も、今まさに半ばです。残る3カ寺そしてその後の四国札所巡り等これからもまだまだ私、中年の暴走巡礼の旅は続くようです。
2003/03/06
春3月なんとなく気分も軽やかになる時期です。冬の間は寒くてどうしても家の中にじっと我慢の中年も何故か体がむずむず(股間でないのが???)としてくるのです。テレビで山陰の昔通った丹後地方が放映されたのを見て、巡り残した西国薬師霊場結願達成にと旅立ちを決意しました。「人は何故山に登るのか」そんな言葉がありました。「貴方は何故お寺を巡るのか?」そんな難しい事は「私の足に聞いてくれ」と、返事が出来ない自分の無知を棚上げにしたいです。判らないままでも生きていかなければならない、生かされている私の人生です。札所巡りが出来る健康を実感する、感謝するそして巡る巡るです。折角巡るのならと今回は西国33観音霊場も近いので昔会社員の中年は効果と効率を重視して同時にお参りを目論見ました。2泊3日の巡礼旅です。初日は京都近辺を中心にお参りしました。近江の三井寺、大原三千院、醍醐寺等々観光でも有名な寺院がほとんどでした。しかし中年は観光地などで有名な寺院は苦手なのです。拝観は時間厳守で早くても遅くても受け付けてもらえません。そして駐車料金、拝観料等々年金暮らしの懐には打撃がキツイ。非常に世俗的な理由から苦手なのです。何かしら「地獄の沙汰も金次第」を突きつけられるようなのです。大きな文化財を維持保存するには多大な費用が要るとは、判っていても中年はやせ細る自らの懐に寂しさを隠せないのです。2日目は山陰の日本海沿岸の札所をお参りです。応挙寺の円山応挙が描かれた襖絵の八方睨みという画法には驚きの一語です。札所巡りの喜びのひとつは、このような、思いがけない所での思いがけない宝物への遭遇です。結局こちらでは肝心のお薬師さんにお手を合わすのを忘れてしまった、罰当たりな中年でした。3日目は福知山を出発し瀬戸内海方面へ南下しながらお参りするルートです。 兵庫県氷上郡にある達身寺では多くの木彫仏像群(完成、作成途中、部品)に驚かされました。戦火を避けるために土の中に埋もれていた仏様、中には朽ち果て虫に蝕まれた仏様。果てしない時の流れがそんなお姿の仏像群から強く伝わって来ました。今回のお参りで薬師霊場は結願と思いお参りを続けて来たのです。が、最後のお寺さんで「あと少しですね。」の一言で「??全部のはず??」の疑念がむくむくとわき上がって来ました。帰宅後ご朱印を見ますれば、お参りは全て済ませていますし、ご朱印帳は全て揃っているのです。が、軸の方は後3カ寺、それも始まりの1番札所(奈良薬師寺)、最後の49番(延暦寺)が残されていたのです。「百里の道を行く者は、九九里を以って半ばとする」と言う言葉がありありますが、我が巡礼の旅も、今まさに半ばです。残る3カ寺そしてその後の四国札所巡り等これからもまだまだ私、中年の暴走巡礼の旅は続くようです。
温見峠、ブナオ峠
2002/06/04
今年は入梅が例年より遅いようなので、もう1回その前にとまたまた、ツーリングに出かけました。今回は冬季に閉鎖となるR157温見峠を超えて金沢までのツ―リングです。温見峠は能郷白山の麓をこれでもか、これでもかと続く狭路ワインディングで、途中何か所かは道路を横切る小川で危うくスリップという場面もありました。岐阜県側が特に厳しく対向車があるとバイクでも立ち止まって交互に通行しなければなりません。安全に走るのが精一杯で眺めを楽しむという走行は全くできませんでした。工事用の車両に分かり易くするためか各カーブの上方にカーブの番号札が掛けられているのが何かしら、こんな山深い、狭路でも車が入ってくるのかと、不思議な感じがしました。頂上の温見峠は少し広まった所で、県境標識と能郷白山への登山道口がありました。根尾からここまで約1時間半位、狭いワインディングを緊張して走って来ただけに、頂上のこの開けた場所では思わずほっと一息をつきました。今まで通過してきた道からしても冬は絶対除雪が不可能で、冬季閉鎖はあたりまえ、夏でも天候が少しでも悪いと通行を控えたい国道です。峠の頂上からは福井県大野市です、行政区分が村から市にかわったのを実感させる程に、根尾側と比べて整備されていて広く此れが同じ国道とはとても思えない位に快適な走行が楽しめる道に変わっていました。その後、勝山街道、白山街道を通って中継地点の金沢市内へと一気に走っていきました。翌日は早朝4時半に起床し夜もまだ明けやらぬ金沢市内から県道10号を刀利ダムまで走ってきて、通行止め表示です。ここで右折し県道54号を使って石川県から富山県へと抜ける予定をしていたのですが…。でも、その通行止めの表示が??。6月なのに「冬季通行止め」で、期間が7月31日までです。これでは、すんなりと引き返すわけには行きません。「えぇい、行ってまえ」で、強行突破を決定です。ところがそんな通行止めを入っていけばいるわいるわ、軽トラックから1ボックスまで、こんな朝早くからです。多分渓流釣りのマニアでしょう。途中2ヶ所通行止めの柵もキッチリ1台分が通りぬけられるように脇に移動してありました。(ありがとね!)こちらはバイクですから楽々通過できました。それにしても何処が冬季通行止めなのでしょうか??良くわかりませんねぇ。後でよくよく考えて見たのですが、おそらく工事用の車両が入ると道をふさいでしまうので、通行止めにしているのではと、推測しました。通過した時刻は朝まだ早く工事の人もまだ準備中だったのかもしれません。昼間ならさしづめ木陰のトンネルとおもわれるほどの山深い道をずんずんと進みました。俗称「塩硝街道」そんな昔を思わせるにぴったしの道で時間があれば歩いてみても楽しめそうな道です。トンネルも暗く狭く雰囲気は最高です。およそ1時間、森林の中の走行をすれば、急に開けたところに到着、ブナオ峠です。ここで、大門山にこれから登山しようとするグループに出会いました。「通ってこれましたか?」「4輪が何台も入っていましたよ」と、情報交換をしまして、国道156号を目指して山を降りていきました。途中でユンボを積んだトラックとすれ違いました。「あのユンボが道をふさぐのかなぁ?」と思いながらの走行でした。帰宅後、ネットで検索していてわかったことですが、このルート、数多くのライダーや峠マニアが完走を目指して何度も挑戦しておられるとのこと。それを幸運というのか、猪突猛進というのか、一度で完走制覇してしまいました。「ラッキー!?」
2002/06/04
今年は入梅が例年より遅いようなので、もう1回その前にとまたまた、ツーリングに出かけました。今回は冬季に閉鎖となるR157温見峠を超えて金沢までのツ―リングです。温見峠は能郷白山の麓をこれでもか、これでもかと続く狭路ワインディングで、途中何か所かは道路を横切る小川で危うくスリップという場面もありました。岐阜県側が特に厳しく対向車があるとバイクでも立ち止まって交互に通行しなければなりません。安全に走るのが精一杯で眺めを楽しむという走行は全くできませんでした。工事用の車両に分かり易くするためか各カーブの上方にカーブの番号札が掛けられているのが何かしら、こんな山深い、狭路でも車が入ってくるのかと、不思議な感じがしました。頂上の温見峠は少し広まった所で、県境標識と能郷白山への登山道口がありました。根尾からここまで約1時間半位、狭いワインディングを緊張して走って来ただけに、頂上のこの開けた場所では思わずほっと一息をつきました。今まで通過してきた道からしても冬は絶対除雪が不可能で、冬季閉鎖はあたりまえ、夏でも天候が少しでも悪いと通行を控えたい国道です。峠の頂上からは福井県大野市です、行政区分が村から市にかわったのを実感させる程に、根尾側と比べて整備されていて広く此れが同じ国道とはとても思えない位に快適な走行が楽しめる道に変わっていました。その後、勝山街道、白山街道を通って中継地点の金沢市内へと一気に走っていきました。翌日は早朝4時半に起床し夜もまだ明けやらぬ金沢市内から県道10号を刀利ダムまで走ってきて、通行止め表示です。ここで右折し県道54号を使って石川県から富山県へと抜ける予定をしていたのですが…。でも、その通行止めの表示が??。6月なのに「冬季通行止め」で、期間が7月31日までです。これでは、すんなりと引き返すわけには行きません。「えぇい、行ってまえ」で、強行突破を決定です。ところがそんな通行止めを入っていけばいるわいるわ、軽トラックから1ボックスまで、こんな朝早くからです。多分渓流釣りのマニアでしょう。途中2ヶ所通行止めの柵もキッチリ1台分が通りぬけられるように脇に移動してありました。(ありがとね!)こちらはバイクですから楽々通過できました。それにしても何処が冬季通行止めなのでしょうか??良くわかりませんねぇ。後でよくよく考えて見たのですが、おそらく工事用の車両が入ると道をふさいでしまうので、通行止めにしているのではと、推測しました。通過した時刻は朝まだ早く工事の人もまだ準備中だったのかもしれません。昼間ならさしづめ木陰のトンネルとおもわれるほどの山深い道をずんずんと進みました。俗称「塩硝街道」そんな昔を思わせるにぴったしの道で時間があれば歩いてみても楽しめそうな道です。トンネルも暗く狭く雰囲気は最高です。およそ1時間、森林の中の走行をすれば、急に開けたところに到着、ブナオ峠です。ここで、大門山にこれから登山しようとするグループに出会いました。「通ってこれましたか?」「4輪が何台も入っていましたよ」と、情報交換をしまして、国道156号を目指して山を降りていきました。途中でユンボを積んだトラックとすれ違いました。「あのユンボが道をふさぐのかなぁ?」と思いながらの走行でした。帰宅後、ネットで検索していてわかったことですが、このルート、数多くのライダーや峠マニアが完走を目指して何度も挑戦しておられるとのこと。それを幸運というのか、猪突猛進というのか、一度で完走制覇してしまいました。「ラッキー!?」