雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

おばあちゃん、しわ~~

2006-03-29 21:35:46 | Weblog
息子から、オンラインアルバムに
写真掲載…と電話あり。

息子の娘が、幼稚園に入る。
その制服姿が嬉しそうに
前、後、横と写っていた。

プリントして、
おばあさんに見せたら、
お正月の時の
その孫の話になった。

Mちゃんたら
食事の時、正面に座っていて
私の顔を
まじまじと見て
おばあちゃん、しわ~~
て 言うのよ


この話は、初めて聞いたわけではない。
余程、心外だったんだろう。

例え ひ孫の言葉でも
許せない気持ちらしい。

90歳なんだから
勲章みたいなもの…
という、私の言葉も
耳には届かない

こんな時のおばあさん
可愛い

Mちゃんのおばあちゃん
二人とも
まだ60代で
しわ~~ていうほど
皺がないもんね

不思議だったのよね 


人生は 紙一重

2006-03-24 21:00:20 | Weblog
結婚するまで、
私の人生は幸せだった。

結婚してからも
それなりに 
幸せだと思っていたが…

幸せの中に
不幸の芽があったのを
何か変だ と思いつつも
見逃してきた。

人生、何を目指してきたのか

老後は、きっと穏やかな日々 と。

平成12年2月のある日、
夫は、言った。

オレは、5年経ったら出ていく。
その頃には、爺さんも婆さんも
いなくなっているだろう (婆さんはまだいる)
家はあんたにやる、
金は全部オレのものだ
一銭も遣らない。
あんたに、老後の幸せはない、可哀想やな!

以後、私には人生の目標が無くなった。

色々あったが、6年経った今も
一応、夫婦の形でいる。

今年の正月明けのこと。
 “オレのことは何も言うな!
 オレを見るな!”
と、夫が叫んだ。

完全決裂 、もうお終い!

無視、 無視、 無視
一切、言わない、
見ないようにしたところ
私の気持ちはとても軽々…

あ~ら不思議 



炊事・洗濯・掃除は
ほとんど夫がする。

献立がワンパターンなので、
たまに私がすると
料理が引き立つ。

朝、知らん顔で寝ていても
何も言われない。
若い頃は、
朝から随分イヤな思いもしたが…。

食事の後かたづけは私だが
仕事で急ぐときには
しなくても文句は言われない。

言いたくても言えない
事情があるらしい。

償い…という気持ちも
あるらしい。

何時、豹変するかは分からぬが

この調子で行くと
私の人生、素晴らしくなる???

年金法が改正されたら
別れるつもりでいたが
こんな美味しい生活なら
しばらくこのまま居ようかな?

人生は楽しまないかん! と、
夫は ニヤニヤ宣っていたが、
果たして、楽しめているのかな?

この4月から
町内会長を仰せつかったとか。

私にも何やら低姿勢 
知~らない 
イッヒッヒ 


頑固な母

2006-03-22 21:18:32 | Weblog
やっと、娘と孫を帰した。

4日間付いていって
掃除やら片づけをして帰ってきた。

翌日はお彼岸の中日、
里の母の所へ久し振りに出かけた。

一晩泊まって、
いろいろ掃除をしようと思ったが、
母は触らせてくれない。

そのうちに、私がする…と言い張る。

毎日のように覗く妹にも触らせない。
離れている私の方が良いのかと思ったが
やっぱり駄目らしい。

腰は90度に曲がり、
同じことを何度も聞き、
今、お菓子を食べたのに
また、食べようとする。

この頃、ちょっと食べ過ぎる…と
自己反省はしていたものの
あ~ぁの状態 

これでは、家の90歳の方が
余程まし 

家に帰り着いた報告の電話をすると
また来てね…という。

娘二人に、メールで
おばあちゃんの頑固振りを
ぼやいたら、
お母さんも、おばあちゃんの娘よ 
十分に頑固よ 
と、それぞれ言ってきた。

年寄りと暮らすということは
学ぶ ということ 

気を付けよう 

お別れ 近し

2006-03-15 20:53:44 | Weblog
4ヶ月間、一緒に暮らした孫達が
遂に、帰って行く。

毎日、華々しい洗濯物が
庭にはためいた。

これを取り入れて
たたむのが、また一仕事。
義母は、何にも出来ないからと、
進んで、洗濯物をたたんでくれた。

なんだか、生き生きとしていた。

しかし、私も、夫も
もう、限界…
つ・か・れ・た

帰ってしまったら
きっと寂しいとは思うが
ヤレヤレ…の方が
強いだろう。

でも、90歳の義母は
がっくりしないだろうか?

取り越し苦労なら良いが…


中味の軽~い男

2006-03-09 22:51:41 | Weblog
暖かい気持ちの良い朝
自転車に乗ってのんびりと
道を行く男がいる。

男は、もちろん中年を過ぎている。

道は広いし、車は少ない。
広い田圃の中の道。
きっと、口笛でも
吹きたい気持ち?

そこへやって来たのは
職場へ急ぐおばさん。
時間ギリギリもいいとこ…
必死の形相で自転車をこぐ。

前を行くのんびり男を
ウッ! まずいかな? 
と、思いつつも
付き合ってられないので
追い越す。

1分もしないうちに
後ろに気配。

先程追い越したおじさんが
おばさんを追い越し
顎をあげ
腰を浮かせて
すごいスピードで
たちまちのうちに
遠くへ消え去った。

おばさんは、ちょっぴり
気の毒に思ったけれど
だって、付き合ってられないも~ん と、
すぐに忘れてしまったとさ。

後日、フッと思い出して
この話をしたら
夫が、ウッフッフ と笑った。
気持ちが分かる人らしい。

65歳のお雛様

2006-03-04 22:56:34 | Weblog
私が生まれたとき祖父が、
お雛様を買うようにと十分なお金をくれたとか。

早速、買いに出かけた若い両親、
散々迷った末、お顔がとても素敵だったので…と、
お内裏様と三人官女、ぼんぼりと桜、橘、菱餅の台のみ
買ったそうだ。
後から、買い足そうと思っていたが
残念、その年の12月、太平洋戦争が勃発。

1歳半違いで、妹が生まれて、
お雛様を買いに行ったときは
店頭にその影はなく
一体の日本人形を買っただけだった。

あのお金なら、
御殿付きの立派なお雛様が買えたのに、
とても高価なお雛様なのよ! と
母が、よく言っていた。

ぼんぼり等の小道具は、
私が幼い頃、遊んでいて壊した。

しかし、お内裏様だけは
子供心にも、大切にしていて、
お人形は、顔が命…という
母の言葉を守った。

私の娘達には、お雛様がない。

転勤族だった夫が
頑として買うことを拒否したから。

私の父は、初孫のために
張り切って京都まで
お雛様を買いに行ったのに…

私のお雛様が
子ども達のひな祭りに飾られ
結構好評で
大事にされた。

最近は、ひな祭りが来ても
出すこともなかったが
今年は、女孫が二人もいるので
久し振りに出してみた。

1歳9ヶ月になった孫と
一つ一つ、箱を開け、
くるんである紙を除けてゆくと
出てきた人形を見て
きゃぁー と歓声をあげてくれた。

考えてみると、
お雛様も私と同い年、65歳!

小道具は、散々な傷み方だが
お顔は、ほんとに品があって
見飽きない。
衣装も、色褪せていない。

私の人生は修復できないが
このお雛様は
何とか修復してみたい気がしている。