雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

今年のスダチ

2011-12-20 20:47:11 | Weblog
昨年はすごく沢山生ったスダチ。
今年は数が少ないが 大きいのが多い。
まるでミカン・・・。
側に置いたコンポストのお陰だろうと思っています。



写真の小さい方が例年の大きい実だが
今年の大きいのは直径5.5cmある。

ちょっと食べてみたら
酸っぱいけどジューシーでまあまあ美味しい。
スダチをここまで熟らせる人も居ないだろうけど
酸っぱいのが好きな人には意外と受けるかも・・・。

スダチ栽培の方、考えてみられては?
世の中、果物も野菜も甘く甘くと進化しているけど
全ての人が甘い物を求めているとは限らないもの。


これが今年最後のマーマレード作りです。
美味しいのが出来ました。
果汁も加えたので酸味があるから
孫には受けないかも・・・





次は 我々?

2011-12-11 20:32:41 | Weblog
昨日、娘夫婦に所縁のある方が96歳で亡くなった。

長生きされたので最後にはお金が尽きて
わずかの間、生活保護になられた。

亡くなられた時、所縁のある方達もまた高齢になられて
身動きがとれず
親戚ではないがこれまでの成り行きから
葬儀も娘婿の兄弟が集まって質素に行われたそうだ。

遺影も許されない葬儀だったが
心から送る人達に囲まれてきっと安らかに逝かれたことだろう。


孫1・2・3号君たちは10代にして
曾爺さん、曾婆さん各二人、おばあさん一人、
そして慣れ親しんだこのおばあさんとすでに6人の葬儀を経験。
御骨拾いも手慣れたものだった・・・由。

今日娘が来て言うのに
“さあ、次はここのじいちゃん、ばあちゃんだからね!”

あっけらかんと何でも言ってのけるのは
娘の長所でもあり短所でもあるが・・・・・次 と言われてもまだ実感わかない

しっかり面倒を見てくれるそうだけど・・・。

ま、当てにしないでそれなりに

予感がします・・・

2011-12-05 09:05:44 | Weblog
子供達がテレビゲームをしていた頃
私もちょっとやってみた。

死にそうになっても命が買えて復活することに
すごく違和感を覚えた。

こんなん やってたら
死ぬことに恐れを抱かなくなるよ
怖ろしい!

息子は、
“大丈夫だよ。
子供だって、これがゲームだってちゃんと分かってるよ。”

でも、物心つかないうちからこんなものを見続けたら
分別つかなくなるのでは?

その恐れは数年前、小学生の女の子が学校で友達を刺すような事件に
現れたかもしれない・・・。

一川議員の問題が騒がれている。
国賓の宴席を欠席して民主党の会合に出席、また、それをあたかも自慢げに言うなど
以ての外。記者に詰め寄られて答えられないのは勉強不足。
しかし本人も言っているが、あの場で詳細を答えなければならない必然性も薄い。

私も患者の質問に答えられないとき、
“後で調べとくね”で済ます。もちろん、誠意を持って後処理は行う。
全部は覚えていられなもの・・・。
分かっていることでもパッと出てこないときだってある。

人の揚げ足を取るような質問をした記者は正義なのだろうか?
マスコミのエセ正義にはいつも???を感じる。
また、それに乗じて我こそは正義とばかり論じる国会議員、マスコミ、一般大衆。

次第に論争が窮屈になり、やがては大きな流れが出来て
それに反する事が出来なくなり
ヒットラーのような独裁者に牛耳られる・・・。


非国民!!と罵られる様な実際の場面は知らないが
昭和16年生まれの私は長く世の浮き沈みを見てきた。
朝ドラ、「カーネーション」でガキどもが歌った「パーマネントの歌」を
実際に歌った経験あり。

 パーマネントを掛けすぎて
 
 あーっというまに禿頭

 禿げた頭に毛が3本

 アラ恥ずかしや恥ずかしや

 パーマネントはやめましょう

私が歌ったのは終戦後で 電気パーマネントが全盛時代、
母に付いてパーマ屋さんに行けばお客が溢れていた。
禿頭になるひとも居らず、
歌いながらも“なんでだろう?”を感じていた。
もちろん、パーマ屋さんでは歌わなかったけれど。

それが「我こそは正義」の現れた歌だったのだと
今は思っている。

大きくものを見ない、コセコセとした時代がやって来ていないか
よ~く考えましょうよ。