雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

義母 逝く

2009-12-24 21:10:52 | Weblog
とうとう、病魔に勝てませんでした。

戸籍上は、94歳、
本人の意識では、93歳11ヶ月で
あと4日で94歳でした。

娘二人に5日間
手厚い看護をしてもらい
私たちも見守る中で静かに生涯を閉じました。

孫達も次々遠くから見舞いに訪れ
私の息子一家も間に合って

従兄弟どおし
久しぶりの対面もあったりして
賑やかな一面も・・・。


泊まり込みは6日間。
限界に近かった?


おしゃれだった義母に相応しく
きれいにしてもらって

お通夜に出席した
5人のひ孫達は
代わる代わる頬や額に触れて
ひい婆ちゃんとお別れをし

ひ孫4人からの手紙も入れて
大好きだったリンゴも入れて・・・

来ることが出来た家族だけで
ひそやかに送りました。


写真も、
生前 義母が希望していたとおりに出来て
きっと、満足して貰ったと思っています。

全て終わって
静かになって
寂しくなったけれど
ホッとして・・・るかな?


5年間で4人の両親を
見送りましたから・・・

義母、94歳に!

2009-12-15 22:08:35 | Weblog
戸籍上は、94歳になりました。

でも、いつも義母は言っていました。

“私は、クリスマスに生まれたと母が言っていた”
で、誕生祝いは毎年25日に。



義母の命は、
風前の灯火です。


入院したときはしっかりしていたのに・・・。


4日、入院。
11日、夫はクラス会出席で他県まで出かけ一泊、
入れ替わりに義妹たちがやって来た。

12日午前中、病院より電話あり。
医師が、至急話したいことが有ると・・・。
夫の携帯が繋がらず慌てる。

取り敢えず、義妹と3人
タクシーで駆けつけた。

“右肺は水が溜まって半分潰れている。
左肺は上半分に感染がみられる。
これ以上進行するようなら
人工呼吸器使用も考えねばならない。
どうしますか?”

“恐がりの義母には
痛いこと、苦しいことはさせたくない。”
私とすぐ下の義妹の意志はハッキリしている。

末娘の“桃の妹”は
迷うようだったが
ボロボロ涙しながらも同意した。
http://blog.goo.ne.jp/2hime4tarou/e/136251d70f152881cc6a48380bddc9e4#comment-list 桃

医師は、さらに念を押したが
私の父が、気管切開をして可哀相だったことを話して
意志を確認して貰った。

その後、3人で同意書に署名。

やっと夫に電話通じて
早く帰るよう言う。

午後、夫 帰宅。
その夜、義母の一番可愛がっている初孫(43歳)が
その娘二人とともにやって来て一泊、
13日は、義母の末妹(82歳)が来て一泊。

14日、それぞれに帰って行った。


義母は3日間、娘と孫とひ孫と妹に
入れ替わり、立ち替わり
アレコレと世話をして貰って
良かった・・・。

しかし、状況は次第に下り坂。

鼻からしていた酸素吸入はマスクに替わり、
機械もいっぱい付いて
トイレにも行けなくなった。


“何が何やらさっぱり分からん”
自分の状況が飲み込めなくなっている。

食べる意欲はあり
誤飲もほとんど無く
しっかり飲み込めていて
医師も感心していた。

だが如何せん。
食事が固い。
私の娘が食事を見て驚いていた。

入れ歯を入れているとは言え、
93歳の年寄りが食べるものとは思えない
食事の内容。

私が、ご飯をおかゆに替えて貰った時点で
当然、おかずも替わっていなければおかしい。

“刻み食にして下さい”
娘が看護師に頼んでくれたのに
それでもならなかった。

昨日、医師に直接お願いして
今日からやっと、刻み食に。
10日間も栄養のロス・・・。

“ああ、それでご飯だけしか食べてなかったのね”
医師は、平然と言った。

たとえ助からない命でも
食べる意欲と能力を残している人に
何とむごいことを・・・。

義母 ダウン

2009-12-05 21:36:35 | Weblog
義母は最近、咳がひどくて
お医者様にも何度か通っていた。

義母、曰く。
“あの先生は身体を診ないで 薬だけくれる”

月に2~3回も通っているのだから
顔を見ただけで
大体様子は分かるのだろうけど・・・。






義母のベッドは
二階の部屋の窓際にある。

先日午前中、
寝ると言って
二階に上がっていったので
様子を見に上がってみたら
掛け布団が・・・

薄~いのが二枚だけ。
夏のまま・・・?

これでは寒くて咳が出るのは当たり前。
もっと、温かい布団を掛けるよう
強く言ったのだが

“アンカを入れているから温かいのよ”

同じ事を2~3日
繰り返し押し問答。

布団、出してあげようと言っても
自分ですると言い張る。

そのくせ、毎日
咳が出て夜、眠れないとの訴え。

顔を会わす度に
私が言い聞かせていたら
“好きなようにさせたらいい。放っておけ”と、夫。

布団を一枚増やすのに
一週間くらいかかった。


そして昨日、
仕事中に夫から電話。

義母が入院になったと。


昼過ぎ、病院に連れて行ってと言うので
掛かり付け医に行った。
少し、熱があったらしい。

レントゲン検査で
肺に水が溜まっているので
大きい病院に行くように言われた。

義母が以前、長く掛かっていた病院へ。
肺炎を起こしていたようだ。



仕事から帰ってすぐ、
入院に必要なものを
義母の家でかき集める。

洗面具、バスタオル、
湯飲み、小さなヤカン、
箸箱入りの箸、下着類、
常用薬も忘れずにまとめたが
飲み忘れが多そうだった。

夫は、入院手続き書類を記入。


取り敢えずバッグに詰め込んで
車に乗った。


半分くらい行ったところで
夫 曰く。
“オイ、薬は入れたか?”

“エッ、どうだろう?” うろたえる私。

薬は、
小さな袋にまとめていたが・・・

荷物は二つ。
 袋:洗面具や湯飲み…入ってなかったようだった!
 バッグ:衣類…ここに入れた覚えがないっ!

病院に着くまでドキドキ・・・。

着いてすぐ開けたら
入っておりました  ホッ




今日、仕事の後、病院へ。

義母は、意外に元気そうだったが
看護師さんの話では
昨日の尖刺処置を覚えていなかったとか。

環境の変化について行けないようなので…と
手首に名前と病室を書いたバンドを
巻かれていて

病室もそういう人ばかりの部屋に
替えられていた。

呆け老人扱い?

ちょっと可哀相だけど
本人は気付いてないようなので
いいか・・・。