「これは」
詩人 安水稔和(やすみずとしかず)さん
これはいつかあったこと
これはいつかあること
だからよく記憶すること
このさき
わたしたちが生きのびるために
平成17年(2005年)1月17日の新聞記事だ。
阪神・淡路大震災から10年経った時の。
その経験をいかせず3・11を野放図にしている。
この5行の詩をしっかり心に叩き込もう。
山田 慎二さんのブログは丁寧に書かれてある。ぜひ、読んでいただきたい。
時は流れない 積みかさなる
http://www.fas.x0.com/writings/fushin/52tokihanaga.htm
NHKスペシャル「いつでも夢を~作曲家・吉田正の“戦争”~」
吉田正さんは日立工業専修学校の卒業生。番組の中でも触れられていた。
悲惨な戦争のことを吉田さんは語らなかったという。
70年前、シベリアで歌ったうた。
「帰還の日まで」は希望の歌であり、心の支えでもあったという。
死んでもこびりついても忘れないという。
ぐっとこらえて帰るまで
さびしいでしょうがお母さん
吉田さんが抑留で学んだことは、「歌が生きる力」だった。
吉永小百合さんが吉田さんに言われ響いたたことば。
「生きることはたいへんなことなんだよ」
テレビを見ている私の心まで痛くなってきた。
「戦争って大変なことなんだよ」と私には聞こえてくる。
国民栄誉賞も受賞した戦後を代表する作曲家・吉田正。いまシベリア抑留につくった歌が相次いで見つかっている。吉永小百合さんらの証言などから「吉田の戦争」を見つめる。
都内のレコード会社に秋田の男性から1本のカセットテープが送られてきた。歌は、シベリア抑留中に男性が毎日歌っていたものだという。歌を作ったのは「いつでも夢を」などで知られる戦後を代表する作曲家・吉田正。シベリアでの体験をほとんど語ることはなかったという吉田。歌を封印し続けた背景にはある「真相」があった。門下生の吉永小百合さんや橋幸夫さんの証言などをもとに国民的作曲家の戦争を見つめる。
輝ちゃんの8月17日 心が痛む シベリア抑留
残暑見舞いを一生懸命書いた。6人にメールで送信。
ホームページの材料を掘り起し貼り付ける。時間があっという間に。
懐かしいのが出てくるから一時停止してしまう。
卒業記念文集用の教員集合写真(平成4年6月)が印象的。
いろんな顔があり一人でにやにや。
松庵の三浦屋まで買い物に。お花屋さんのワンちゃんとご挨拶。
武蔵境に行くと武蔵野プレイス前で盆踊り。
東京音頭がガンガン流れてくる。イイネ。