ふと思うことが数点あった。
朝、新聞を読んで「そうだよな!」と思った点。
やけにバスが混んでいるな!浴衣姿を見て、花火かと思った点。
銭湯に自転車で行くとき、思わず「夏も終わりか!」と思た点。
(声)戦争の実態、知らぬなら学んで
無職 太田治子(神奈川県 83)
集団的自衛権を巡って、戦争体験の有無が考え方の違いを生んでいるのではないかと言われています。終戦の時に14歳だった私は、毎晩のように発令される空襲警報におびえ、疎開先の地方都市が一夜にして焼け野原になって黒こげの遺体が転がる有り様に身がすくむ思いをしました。
ただまだ子どもで、インパールやレイテ島、硫黄島での日本軍の敗北や沖縄戦、原爆投下、そして特攻隊の存在など、全く知りませんでした。戦後しばらくして、本を読んだり、テレビなどの映像で見たりして初めて知ったのです。自分で学んだことなのです。
そしてその悲惨さ過酷さに言葉にならない衝撃を受け、一度しかない生を持って生まれてきた一人ひとりの人間を、他の人間が地獄のような境遇に追いやる権利は絶対にないはずだと思いました。私のものの考え方の出発点はそこでした。
どうか若い皆さん、まず、先の戦争の実態を、今地球上で行われている紛争の実態と合わせて、知るよう努めて下さい。想像力を働かせて自分がその立場に置かれたらどうだろうと考えてみて下さい。
今日も全文を載せた。ドカーンと頭を殴られた感じ。お前ら、甘えるんじゃないよ!こんな辛いこと寂しいことなんかしゃべれるもんじゃないよ。知りたかったら自分から進んで勉強しろよ。「聞き取り?」そんなことしてどうする。最後にどうしても知りたかったらくればいい。教えてあげるよ!
調布の花火大会
花火大会と言えば小さい頃の井の頭公園を思い出す。
池の真ん中の橋に鈴なりになって花火を見ていた。近いから迫力がある。最後には必ず滝のように流れる「ナイヤガラ」で終わった覚えがある。何歳の時か記憶にない。不思議なのは交通手段を覚えていない。火事かなんかあって花火大会が中止となった。
今振り返ると、俺たちの生活の中心は吉祥寺だった。動物園、公園、デパート、花火など。逆に言えば、そこしかない。
一度、自転車で調布の花火大会を見に行った。整理の人の案内で自転車を置いて会場に行った。ものすごい人。ゆっくり花火を見ているどころではない。帰りを心配した。自転車のところに行くのに行列。どこにおいたか忘れてしまった。さあ大変。もう嫌だ。
今日はLEOクンと一緒に飛行場の丘に行った。人がたくさんいること。ちょっと遠いけれど花火の雰囲気を味わった。吹く風が夏の終わりを感じさせた。
なぜか寂しい
夏の終わりは寂しい。暗くなるのが早いから。
暑いと騒いでいたが、焼けつけるような暑さがなくなると思うと寂しい。
夕方に陽が落ち蝉の声が騒々しいとより夏の終わりを感じる。
自転車をこいでいて、「熱風」が「心地よい風」になるとなぜか寂しい。
輝ちゃんの8月24日 本が面白い
「日本の200年(上)」徳川時代から現代まで アンドルー・ゴードン著
今読んでいるところは、徳川後期の知的状況から倒幕に。
ポイントは二つある。一つは近代日本のナショナリスムが形成された、とみるべきである。同時に、「日本」を一つの国としてとらえるという考え方。
そうした中での開国。知らなかったことが多すぎる。だから面白い。
夕やみの大沢の里を散歩 シンキングサンポという感じ
暑さから解放されみんな自由に体を動かしている。
走る人、歩く人、犬と戯れる人たち。
緑に囲まれた散歩は気持ちいい。
大好きな調布飛行場の丘に人影がいっぱい。
花火大会の場所取りだという。
若いファミリーが多く幸せニッポンを感じた瞬間。