新幹線 創業から50年 俺も高校卒業して50年
仁丹体温計(昭和39年4月入社)で同期だった小池さんから電話があった。「出会ってから50年だから記念に会うか」と。昭和第一工業高校、工学院大学高校、小金井工業高校の高校卒が仁丹テルモの生産四課で同期となった。なぜか気が合う三人だった。12時間夜勤なんて「やってられねー」と三人とも1年持たず退職。
振り返ってみると、東京オリンピックがあったからこそ新幹線ができたのだ。緑の窓口は脅威だった。便利になった。
俺が初めて日記をつけた手帳。仁丹テルモの愚痴が書いてある。何か記念に残そうと思い日記をつけたのだろう。たいしたことは書いていないが心のブレがはっきり出ている。
日記に書いてあった。・・・昭和40年1月29日。仁丹四課の課長から言われた言葉。「会社を辞めるものは人生の落伍者だ」。なんて言うやつは、自分のことを考えればよいのだ。自分は決して「落伍者」だなんて思ったことはない。ようするに人生なんてこのようにして極地を切り開いていくことなんだろう。目先のことばかりにとらわれず、若いときの力を結集して、今こそ立ち上がろうではないか。・・・
東京都 都民の日
どの施設も無料で開放される(そんな気がした) 。
小学生の頃、バッジをつけて井の頭公園で楽しんだ風景を思い出した 。
確か、「かっぱ」のデザインだったような気がする。思い違いかな?
・・・・・衣替え
型を代える事によって意気込みを代えるのだろう 。
「大学入試、就職試験の本番だよ」と 。
私はそう受け取るが。
何よりも半期の切り替えだ 。
そして平成26年も残り3ヶ月。
ショーウインドーを見てびっくり。クリスマスとおせちの宣伝だ。
年賀はがきと思っていたらクリスマス、おせち。からだ全体を後ろから蹴っ飛ばされている感じ。
もっとゆっくり歩きたいよ!助けてくれー!ワンちゃんのおせちの紹介も。食べる家があるんだ。
輝ちゃんの10月1日(水) 頭にくることも
久しぶりに頭にきて店を出た。
遅い昼飯を食べようと餃子の王将武蔵境店に入り、「いらっしゃい」という声でカウンターに座った。5分経っても知らん顔。他の客には水を持って注文を取っている。あまりにもふざけているので黙って店を出てきた。アルバイトが集まらないとか御託をならべているが、一番大事なことが欠如している。言うまでもない。
ラーメン大龍で醤油ラーメン680円を食べた。気分直しにお寺さんに。
月の初めに。いい出足と考えるか。
お寺に言って頭を冷やそう。観音禅寺へ。武蔵境駅北口も工事中。どんなふうに変身か。
水曜日の午前中はアッシークン
大沢コミュニティセンターに送迎。
花の存在の大きさに気がつく。ボランティアの人の心が伝わってくる。
LEOクンを抱っこしながら庭を一周。殺伐とした景色に彩が添えられている。