みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 沢谷橋

2022-01-28 09:45:00 | 日記


昨日、朝のまだ暗いうちにユキ妹は沢谷橋から町営のバスに乗って藍住まで帰って行きました。私は早めに梅やんの朝食を済ませて、ユキ妹を自家用車でバス停まで送りました。


この辺りも昔は店や民家が並んでいたのですが、それらは無くなり道路が広くなっています。


早出したバスの運転手は沢谷橋で回転させて、ユキ妹1人を乗せて下へ出て行きました。


その後、ヘルパーさんが来てくれ梅やんの下を洗い、下着を着替えさせてくれました。


この夜も梅やんは12時と3時に吸引をして居ます。ガーガーと音を立てて息をしているかと思えば、35秒くらい息が止まり、また40秒くらい胸元の骨を上下させて息をして、また止まることの繰り返しです。SPO2指先の酸素濃度は93%まで下がり、きれいに吸引をし終えると98%になります。右の鼻腔→左の鼻腔→口の中へと細い管を入れてジュルジュルと粘い痰や唾液、鼻汁を吸い出します。きれいになると梅やんはアーとあくびをしたあと、しばらくして眠り、静かになります。
一夜明けて、準備が整った梅やんは9時半にマイカーに乗り込み、これからショートステイに向かいます。


途中、フミ叔母宅により挨拶をしてから日和佐へ向かいました。


1時間あまりして日和佐の特別養護老人ホームに着きました。これから2月6日まで入れてもらいます。


私は日和佐からの帰途の紅葉川温泉の駐車場で車を停めて30分の仮眠をとりました。奥の那賀町木頭まで来ると、ダムの河原の砂を運ぶダンプカーが一斉にお昼の休憩に入り停まっています。


この地区で生まれ育った子どもたちは遠くへ出て行き、親たちも今は多くがこの世を去り、生きている者は介護を受ける身になり下の施設へ行きました。奥の険しい山々から削り取られ崩壊した砂利は、河川の底に溜まるのです。ここでダンプカーに積み込まれて下へと運ばれて行きます。この砂利産業は未来に続くでしょう。この事業は日本では先進的な事業です。堤防を高くするよりも川底を低くするのです。ダムを作るよりも、ダムの砂利を除去する事業です。この砂利産業は大切な産業です。
私は介護や福祉の事業も人間にとって大切な産業だと思っております。
それでは今日はこの辺で。