みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やん木沢に帰る

2021-01-09 21:06:00 | 日記


今朝は4時から雪が積もり始めて三好市井川町の自宅前の道路に10センチの積雪がありました。私は昼までに所用を済ませて正午に自宅を出発しました。国道192号は半田までは雪でアイスバーンの状態で、道に撒かれた塩が溶けていません。山川からは雪がなくなり、徳島市沖洲のセツ姉宅で梅やんを車に乗せて、阿南市回りで那賀川沿いの国道を通って午後6時に木沢の実家につきました。休日でしたから「ふるさと那賀」の施設には寄らずに来ました。
買って来たお寿司で夕食を済ませ、9時前に梅やんを強制的に寝させて、私も寝ることにしました。
木沢に雪はありませんでした。やはり三好の方が寒いです。雪雲の流れが、鳥取、島根の気候に似ています。それでも実家の室内の蛇口は凍っています。
明日は日曜日、やっと休日です。それでは今日はこの辺で。


みなみの梅やん介護日誌 ふぶきの村の幼稚園跡

2021-01-08 20:24:00 | 日記


徳島県西部地方は今日の終日雪でした。私が住む井川町も7センチくらい雪が積もりました。旧井内幼稚園跡の雪景色です。
昨日、梅やんは朝7時半に実家を出て、徳島市のセツ姉宅に9時半過ぎに着きました。セツはノリの仕事に行っており、マサ君の通所の送迎から帰ってきた義兄さんに梅やんを預けて来ました。優しい人なので助かります。
私は三好市の自宅で神奈川の孫のビデオを鑑賞しました。幼稚園の学習発表会が12月にあったそうです。


1番左が孫です。新型コロナ対策で一昨年の運動会から会っておりませんが、身長が伸びております。一生懸命に役を演じています。


孫たちにお年玉を送ってあげたら、お礼状が届きました。ビデオと一緒に。
梅やんから数えて4世代目のひ孫です。老いて朽ちていく者と新しく成長していく者と、日本という国の主人公が変わりつつあります。私はそのつなぎの役を演じて行こうと思います。
私も沢谷小学校の時の学芸会で同級生のマリちゃんとキイちゃんが「十五夜お月さん1人ぼち、花嫁姿のお姉さん、桜吹雪の花影で1人寂しく泣きました♫」の舞を演じていたのを思い出しました。

今日の夕方5時前に、ケアマネジャーのハヤカワさんから電話がありました。今月21日からのショートステイは那賀町内の「ふるさと那賀」に決まりそうだとのことでした。セツ姉に電話すると、母さんは分からんだろうからそこで良かろう、との返事でした。「ふるさと那賀」には梅やんのいとこのトメノさんが入所して居るらしいです。
明日の午後、梅やんを木沢に連れて帰る時に面接して契約に寄ろうと思います。
それでは今日はこの辺で。







みなみの梅やん介護日誌 昭和24年1月6日

2021-01-06 20:28:00 | 日記
今日は6日、梅やんは朝出掛けに便を負かしてズボン下まで汚しました。デイサービスの迎えの人に10分待ってもらい、デイサービスへ行きました。やれやれです。認知症の薬アリセプトを飲んでいた時は泥状の便をよく失禁して困りました。薬を飲んでいないので最近はまだましな方です。


梅やんを送り出した後、浄化槽の点検にタナカ清掃社さんが来てくれました。浄化槽はクボタ製で長男シゲの工事で設置したものです。水洗トイレのお陰で梅やんも助かっております。
私は一日中、家の作業をしました。常緑の雑木を切ってきて山羊に与えたり、畑の柵作りをしました。奈良のメイメイ牧場からやって来た3歳のシバヤギは余りなつきません。生後47日で那賀町相生の宮本農場から来たザーネン種の小ヤギのきょうだいはよく懐いて家族の様です。昨年4月からヤギによる草刈り除草の実証実験をしています。実家はこうして保全していきます。成功すれば徳島の山間部でこの方法が流行るのではないでしょうか。


今日で正月の飾り物も終わりにしました。


梅やんにシゲフミの誕生日を知っとるかと、夕食の時に聞いてみましたが、「死んだ子は知らん」と思い出しません。1月6日は長男シゲの誕生日です。生きていたら71歳かな。生きていたら梅やんを見ていることだろうと思います。実家も守っていたことでしょう。
さて、明日は早く7時に出て、徳島市のセツ姉宅に行き2日ほど見てもらいます。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 梅やん、木沢診療所へ行く

2021-01-05 20:38:00 | 日記


今日は仕事始めのデイサービスに梅やんは行きました。


午後4時から木沢診療所に寄りました。15番目で最後の方でした。年末はショートステイで過ごした事などを私から話して、骨粗しょう症の注射をしてもらい、薬を2週間分頂きました。
半年以上の久方ぶりに川成の梅やんの同級生に診療所で会いました。お互いに覚えていて梅やんは話しかけていました。私より一級下のケイ子さんが同行介助をされていました。一昨年の11月に和歌山の仁志さんとこへ梅やんを連れて行ったことなどを話しました。仁志さんは川成にいた人です。
診療所へいとこのキミちゃんが来てくれて、梅やんにコロッケとヤクルトを頂きました。


夕食を食べる梅やんです。


トモちゃんから来た年賀状を長あく見ております。ほぼ覚えておりました。マー君はトーキョウへ行ったけどトモちゃんは残ったと。
また、ブログの読者から年賀のメールを頂きました。「体調管理に気をつけて今年も介護日誌を書き続けて下さいね」と。そう、その様に頑張るけど、自分も歳を取っていくのが分かるから気分が落ち込みます。
明日も梅やんはデイサービスに行きます。私は明日は何も予定がありません。
それでは今日はこの辺で。






みなみの梅やん介護日誌 お食事会『日本国憲法の話』

2021-01-05 02:52:00 | 日記


昨日は朝から上天気でした。
梅やんたち3人きょうだいはチイ叔母宅に寄ってお昼ご飯を食べる事に相談合いなりました。


正月にこうしてきょうだい3人揃って会えることは幸せなことです。もう誰が先に逝くかも分かりません。


梅やんは、フミ叔母が誰かから貰ってきた鹿肉を食べながら、「他人さんには言われんけんどこの肉は固いのう」と言っておりました。
3人は長生きをしておりますが、それぞれ皆が若くして長男を亡くしております。梅やんはそういう話の聞き役をしているようでした。
フミ叔母の話に、「アキ姉と同い年にウシロのテルフミさんがいて、頭の良い人で先生になって『憲法の話し』を教えてくれた」というのがありました。戦後すぐの北浦の沢谷小中学校時代のことです。すごい!フミ叔母から日本国憲法の話を聞くことができました。


日が陰る頃にお開きとなりました。向こうは高野、勝浦方面です。


梅やんは妹のフミ叔母に支えて貰いながら坂道をのぼります。
坂州木頭までフミ叔母を送っていく車中で、梅やんは「前に乗っている姉さんはだれぞ?」と尋ねました。梅やんの記憶は一瞬にして消え去るのです。


山羊たちはお土産に冬の野菜と樫の葉をもらって喜んで食べております。ヤギはウシ科の動物です。今年は丑年です。


家に帰って梅やんは玄関の掃除をしております。2021年のお正月。梅やんは1929年生まれです。昭和4年は世界経済恐慌の年です。


短い冬の日が暮れて行きました。
それでは今日はこの辺で。