ピクルスではない。パブロ・カザルスです。
風のない陽だまりのベランダ、暖かいコンクリートの上が、ルルちゃんの居場所となる。目を合わせると、そこで彼女の相手をしなければならなくなるので、戸を閉めて放っておく。
CDラックからベートーヴェンのチェロ・ソナタを選んだ。チェロの音に惹かれたのは、カザルスのバッハ「無伴奏チェロ組曲」を聴いてからです。そのチェロの音はあたたかい抱擁であった。一切を拘束しなかった。可能性という広がりを感じさせてくれた。カザルスのチェロを聴いていると余計な緊張が解けていく。安心という拠り所を得られる。
ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番を気持ちよく聴いているときにふと思いついた。「筑前煮をつくろう」
ピアノとカザルスのチェロとが美しい旋律の対話を交わしていたからだろうか。
昨日の夕食のとき、何かもう一品欲しいなと思った。そして筑前煮を思いついたのだ。なぜ筑前煮かはわからない。おそらく昨夜から台所にある食材を無意識にあれこれイメージしていたに違いない。
出来上がった筑前煮は上々の味だ。申し分ない「もう一品」だ。今夜は贅沢な(?)食卓になる。ルルちゃんにはマグロとアジのレトルトを開けよう。
風のない陽だまりのベランダ、暖かいコンクリートの上が、ルルちゃんの居場所となる。目を合わせると、そこで彼女の相手をしなければならなくなるので、戸を閉めて放っておく。
CDラックからベートーヴェンのチェロ・ソナタを選んだ。チェロの音に惹かれたのは、カザルスのバッハ「無伴奏チェロ組曲」を聴いてからです。そのチェロの音はあたたかい抱擁であった。一切を拘束しなかった。可能性という広がりを感じさせてくれた。カザルスのチェロを聴いていると余計な緊張が解けていく。安心という拠り所を得られる。
ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第2番を気持ちよく聴いているときにふと思いついた。「筑前煮をつくろう」
ピアノとカザルスのチェロとが美しい旋律の対話を交わしていたからだろうか。
昨日の夕食のとき、何かもう一品欲しいなと思った。そして筑前煮を思いついたのだ。なぜ筑前煮かはわからない。おそらく昨夜から台所にある食材を無意識にあれこれイメージしていたに違いない。
出来上がった筑前煮は上々の味だ。申し分ない「もう一品」だ。今夜は贅沢な(?)食卓になる。ルルちゃんにはマグロとアジのレトルトを開けよう。