こちらに来て間もなく、当麻図書館で思わぬ本を見つけました。白隠禅師の書かれた本と白隠禅師に関する研究書です。駿河国には過ぎたるものが二つある、富士のお山と原の白隠、と言われるほど有名な白隠禅師は静岡県駿東郡原町(現在の沼津市)でお生まれになりました。ここはぼくの故郷で白隠禅師の松蔭寺は家から5分程の所でした。ぼくは小学生の頃、境内のお堂で開かれていた英語塾に通っていた時期もありました。また境内も墓地も子どもたちの遊び場でした。幼い頃から白隠禅師は偉いお坊さんだと聞かされていましたが、町の誰もが「白隠さん」と呼んで近所付き合いのような親しみを持っていました。
さて、図書館で見つけた本の中に「夜船閑話」(やせんかんわ)という一書がありました。禅師73歳の時の執筆だそうです。ぼくはここで書かれている「内観の法」に注目をしたのです。一般に言われている丹田に気を集めてする腹式呼吸法だと思います。ぼくはこれまで太極拳のような型の腹式呼吸をやったことがありますが、「内観の法」は仰向けに寝てやるものです。これは楽で良さそうじゃないですか。さっそく生活に取り入れました。禅の、頭寒足熱が基本だそうです。1月から朝と夜に10~15分やっています。効果は気の持ち方だと言う人もいますが体調はずっと安定しています。この時に次の言葉を観念しながら続けています。これがちょっと気に入っているんです。
(1)わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目なんの鼻孔(びくう)かある。
(2)わがこの気海丹田、まさに是れわが本文の家郷、家郷なんの消息かある。
(3)わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
(4)わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
(1)では道元禅師の「眼横鼻直」という言葉が思い浮かびます。あるがままということでしょう。ちなみに「夜船閑話」には「唯心所現」という言葉もありました。自分の心にイメージした像に体が従うという意味だそうです。
白隠さんの極太の筆跡の書や画からは、ものに動じない心のゆとりが伝わってきます。ちょっとはあやかりたいと思って「内観の法」続けています。
さて、図書館で見つけた本の中に「夜船閑話」(やせんかんわ)という一書がありました。禅師73歳の時の執筆だそうです。ぼくはここで書かれている「内観の法」に注目をしたのです。一般に言われている丹田に気を集めてする腹式呼吸法だと思います。ぼくはこれまで太極拳のような型の腹式呼吸をやったことがありますが、「内観の法」は仰向けに寝てやるものです。これは楽で良さそうじゃないですか。さっそく生活に取り入れました。禅の、頭寒足熱が基本だそうです。1月から朝と夜に10~15分やっています。効果は気の持ち方だと言う人もいますが体調はずっと安定しています。この時に次の言葉を観念しながら続けています。これがちょっと気に入っているんです。
(1)わがこの気海丹田腰脚足心、まさに是れわが本来の面目、面目なんの鼻孔(びくう)かある。
(2)わがこの気海丹田、まさに是れわが本文の家郷、家郷なんの消息かある。
(3)わがこの気海丹田、まさに是れわが唯心の浄土、浄土なんの荘厳かある。
(4)わがこの気海丹田、まさに是れわが己身の弥陀、弥陀なんの法をか説く。
(1)では道元禅師の「眼横鼻直」という言葉が思い浮かびます。あるがままということでしょう。ちなみに「夜船閑話」には「唯心所現」という言葉もありました。自分の心にイメージした像に体が従うという意味だそうです。
白隠さんの極太の筆跡の書や画からは、ものに動じない心のゆとりが伝わってきます。ちょっとはあやかりたいと思って「内観の法」続けています。