海と緑とこどもたち HONDA ECOACT

地域にこどもたちと自然とのふれあいの場をつくろう!

生駒山 枚岡~生駒山上~宝山寺~生駒駅

2016-04-17 10:34:43 | あちこち自然探訪

4月16日 きょうは鍛錬のための山登り。といいながら、道すがら草花や生き物を見てしまうのでした。

さっそくタチツボスミレが出迎えてくれました。タチツボスミレは枚岡公園でも登山道中でも見ました。


ムラサキケマンもたくさんありました。ムラサキケマンも林縁から新しく土を盛ったのり面などいろんな場所に見られます。
上から新しい花が咲きますが、そのときは花は閉じています。水平方向を向く段階で花が口を開きます。


そして受粉すると垂れ下がり、やがてさやができます。


生駒ではじめてホタルカズラを見ました。はじめは花は紫で開いてくると青くなります。とても色のきれいな花です。


道沿いではタチツボスミレが群落を作っています。


ニホントカゲも出てきました。この時期が一番大きなものが見られる時期ですね。これは♂です。ほかに動物ではソウシチョウ、イカル、カラ類、ヒヨドリなどがいました。


新緑いろんな木で森ができていることがわかります。


クサイチゴ


タンポポに来たハチ。浜寺公園でもタンポポに来るハチはこのタイプのものばかりでした。名前は今のところ不明です。なお、この道中のタンポポに来る虫は浜寺公園に比べて少ないように思いました。ムラサキケマンもしかりで、ムラサキケマンに来る虫を見極めたいと思いましたが、まったく確認できませんでした。


ウラシマソウ この日の生駒山ではこのグループのものはウラシマソウばかりでした。

チゴユリもひそやかに咲いていました。


新緑


ヤマブキ ピントが合っていないのが残念。


ナガバノモミジイチゴ 下向きに咲くので目立ちませんが好きな花です。同じくバラ科ですが、サクラに似ていませんか?


タチツボスミレ


さて、生駒山上までは比較的楽に登れましたが、むしろ奈良側のくだりのほうがきつかった。
路面が少し前までは石ころ道でこれも歩きにくかったんですが、最近はコンクリートで塗り固められ、なおさら歩きにくい。足が痛くなりました。もうこの道をくだるのはやめようと思います。

ふもとまで下ってくると、お金をかけた舗装になっていました。


木津川市加茂つづき

2016-04-12 22:44:26 | あちこち自然探訪

4月10日 ふたたび、木津川市加茂地域を訪れました。
先週訪ねたのち、この地域に京都自然二百選に選定されている湧水があることを知り、行ってみました。

山は新緑の季節に入り、美しい彩です。


ムラサキケマン


二ツ井のおおよその場所はわかっていました。この集落の中だろうと思うところまで近づきましたが、近くに行くとさっぱりわからない。
たまたま行き会った地元の方に教えていただき、やっと場所がわかりました。とても懇切な説明で助かりました。

二ツ井
弘法大師にもゆかりがある場所とのことです。


二ツ井から水は和束川に流れています。
思ったより水量が多く、神秘的な雰囲気がありました。


二ツ井の周囲の神社、樹林などを含めて京都の自然二百選「井平尾」として歴史的環境ジャンルで登録されています。


帰り道、加茂町河原区の集落。ここの集落は木津川の北岸、小高い丘の上にあります。今は堤防がありますが、昔は木津川の流れが丘の下まで来ていたこともあったでしょう。この地域は建物は新しく建て替わっていますが、おそらくいろいろな歴史が積み重なった姿を探ることができると思います。


加茂 恭仁京跡

2016-04-04 22:33:17 | あちこち自然探訪

4月2日 京都府南部加茂の恭仁京跡を訪ねてきました。

これは加茂駅 快速の終点駅です。ここから先はディーゼルカーです。




加茂の町はかつては木津川をさかのぼる舟運の終点だったとか。今も立派な建物が残ります。街歩きがなかなか楽しく、1時間半もすごしました。いい和菓子屋さんもみつけ、桜餅を買いました。


木津川支川の桜が満開。ヤドリギがたくさんついています。このあたりではヤドリギの付いた木をたくさん見ました。


加茂の町のやや東の集落の中にある岡田鴨神社。賀茂氏と関係があるようです。お社がふたつあるのは、左は天満宮とのことでした。


道を戻って恭仁大橋をわたります。恭仁大橋から下流方向。


このあたりの田んぼののり面の木ははさがけ用なのか?何回も低い位置で切っています。


恭仁京跡。


恭仁京のあとに国分寺があったそうで、これは塔の礎石です。


先ほど買った桜餅をいただきました。もちはピンクに染めたりせず、白いもので、とても柔らかかったです。


瓶原大井手用水 鎌倉時代に海住山寺のお坊さんが作ったという用水。木津川に近い場所であるにもかかわらず、支川の和束川から引いた水路がこの地域を潤しているのは、木津川を統御することがよっぽどむつかしかったのでしょう。


用水の中にはカワニナが。


小魚もいます。メダカ?と思いましたが、違うようにも見えます。


瓶原大井手用水の案内板。いろいろな技術が使われています。現在も現役です。


海住山寺にあがりました。
立派な塔があります。


ニホンザルが出てきてお供えの花を食べていました。


海住山寺の帰り見た瓶原。まんなか遠くの木立が恭仁京跡。


瓶原に降りてから見たホトケノザの大群落。耕作していない田んぼにありました。


途中で見たわら干し。木の幹にまきつけてあります。


瓶原から山城郷土資料館まで歩きましたが、この途中の163号線は歩く道がなく怖い思いをしました。この間には歩く道はないといっていいでしょう。

これは山城郷土資料館。ガイドの方に懇切な解説をしていただきました。


高麗寺跡を見て、泉大橋から木津に出ました。途中夕暮れの河原でサギの群れがなにやら集まって相談しているのか?


嵐山~太秦天神川を歩く

2016-03-18 11:54:23 | あちこち自然探訪

嵐山から三条通を歩いてみました。

渡月橋をわたり、おもしろいコーヒーショップを発見。テイクアウト専門です。


お店はこの小さな白い建物のみ。中は焙煎そのほか担当のひとりとコーヒーマシン担当のひとりだけで回していました。客席はありません。お店の前にベンチがあり、ここに座って保津川を眺めながらコーヒーをいただくとのんびりします。


さて、本題。桂川の左岸沿いに歩きます。


しばらくすると川が大きく蛇行します。そのあたりに三条通方向との分岐があるのですが、右に川沿いに行ってみました。しかし、町中に入る道はなかなかありません。
川沿いのマンションとの間に溝が。昔の川の跡でしょうか?昔の地図にはこのあたりを流れ、町中へはいってゆく川が描かれていましたが・・・。


町中へ入れないので先の分岐まで戻ることにしました。途中の公園でたたずむマガモ。


三条通方向へまっすぐ入るあたりはけっこう古そうな家が立ち並んでいます。
保津川下りの事務所がありました。昔、保津川の船が運送を主とした時代の港があったようですが、事務所があるということはこのあたりでしょうか?


木材屋さんもあります。やはり保津川が木材などを運んできていた歴史がここに見られるようです。


車折神社は嵐山の三船祭で有名ですが、その前あたりにも時代を感じさせる建物が見られます。


しかし、しばらくすると古い建物は見られなくなりました。やがて大映通商店街に出会いました。レトロな喫茶店がありました。


スーパーの前には大魔神像。大映のスタジオは今どうなっているのかわかりませんが、松竹のスタジオはありました。大きなスタジオができる土地があるということは、このあたりはかつては集落からははずれた農耕地だったのではないかと思いました。


やがて広隆寺に出会いました。前の線路は嵐電です。嵐電は三条通とほぼ平行しています。


広隆寺は町中ながら森の中のような風情があります。有名な弥勒菩薩像は建物内が暗くてよくわかりませんでした。このお寺は秦河勝が建立したお寺です。


広隆寺にいたシロハラ


蚕ノ社駅前。右の道は三条太秦商店街。このあたりの道は東西まっすぐではなく西北から東南方向です。三条通はまっすぐ嵐山に向かっているわけではないということです。


木嶋坐天照御魂神社の鳥居。蚕ノ社はここにあります。秦氏は養蚕に関わっていたとのことで、関係のある神社です。このあたり一帯は秦氏の本拠地ですね。


太秦天神川駅できょうの歩きは終了です。


赤穂と岡山 その2

2015-10-05 09:46:28 | あちこち自然探訪

さて、2日目は岡山市内。
岡山市内で観光ガイドに紹介されているのは、後楽園と岡山城。半日で十分か?午後は龍野にでも行こうかと考えていましたが、なんのなんの、興味はつきません。

お城の近くに泊まったのですが、このあたりは岡山カルチャーゾーンと言って、後楽園などの緑とともに美術館、博物館、ホールなど文化施設が集中するほか、古い街並みやおしゃれなカフェ、バールなども集中するゾーン。写真の変わった形の建物はシンフォニーホール。この日は歯科関係の学会をしていました。


まずは、後楽園へ行く前に旭川の手前の街中を散歩。
岡山市内も空襲を受けていますが、残存する古い建物もあります。
これはシンフォニーホール前の禁酒会館。


後楽園対岸の出石町にも古い建物が見られます。


これは旧福岡醤油。保存プロジェクトが行われているようです。建物の奥の方が下がっているのがわかります。
これらの建物は津山街道沿いにあり、城下町の町割りでは出石町は町人地でした。商業の中心だったんでしょうね。すぐそばが旭川ですから、川沿いの高くなった場所にあることがわかります。それが自然堤防なのかどうかは不明です。どうやら岡山市内のかなり広い場所が低い土地であるようです。出石町はかつての経団連の土光氏ほか有名な出身者がいます。


さて、旭川を渡り、後楽園に向かいますが、その前に入口前にある岡山県立博物館に立ち寄りました。岡山県の歴史が簡単に紹介されています。岡山県はかつては先進地帯で法然さんとか史上有名な人々を多数輩出しているほか京都で有名な高瀬舟の技術のプロトタイプが岡山で開発されたことなども紹介していました。
ただ、岡山市内歩きに役立つ情報をもう少し紹介するものが欲しかったです。


さて、いよいよ後楽園です。木が大きく、樹木観察にもよさそうです。写真は入口前のモミ(左)とツガです。


後楽園はときどきニュースなどに出てきますが、映像では漠然とした感じでよくわかりませんでしたが、入ってみると緑に包まれる感じが心地よく、これは体感すべき庭園なんだと思いました。


殿様になったつもりで、ゆるゆる歩くのもいいですが、見どころをいろいろ発見してみたいと思い探しました。

殿様の前で藩士が馬術をみせたという馬場の土手はヤブランの大群落。植栽ですが、ヤブランだけでこれだけ大規模なものは見たことがありませんでした。


慈眼堂というかつて観音堂だった建物前にある大岩は32分割して運び込んだとか。


園内にはアオバズクもいるようです。


芝生地とともにポイントになるのが大きな池。奥の池は沢の池といい、園内最大の池です。池から橋をくぐって細長い池がつづきます。その手前ににも細長い水面がありますが、これは園内をめぐる曲水の一部です。池の水はどこから来ているのでしょうか?曲水との関係は?


曲水の水源はさきほどの馬場のすぐ近くでした。かつては旭川の上流からひいた後楽園用水を使っていましたが、現在では伏流水をポンプアップしています。水路奥の暗渠からはモーター音が聞こえます。


曲水は藩主が訪れたときの居間である延養亭の前を流れます。


廉池軒という亭舎の前に曲水から池への水の取り入れ口があります。ここから奥の細長い池を通じて沢の池に入るようです。しかし、沢の池の水はどこからぬけるんでしょう?


園内には御舟入跡というものもあります。


後楽園の初期のころは、殿様は対岸のお城から園内の入江に船で入ったそうですが、維持がむつかしくなったため、のちには川沿いの船着き場につけるようなったそうです。入り江の入口は埋められて堤防になり、後楽園の南門になっています(写真の右側)。御舟入跡は発掘されてかつての様子が見られます。奥のくぼんだところが船が入るところです。


これが発掘された御舟入の石段です。


かつての御舟入の地図です。対岸にも船着き場があったことが描かれています。


かつての御舟入の前はボート乗り場です、こちら岸は城側の船着き場跡。


後楽園側から見た岡山城 再建されたものですが、なかなかいいデザインです。黒を基調に金色を配しているのは秀吉ごのみだとか。


お城から鯱を前に後楽園を見る。


お昼は旭川沿いのカフェで。2階の窓からは風が入り気持ちいい。


岡山市内にはレンタサイクルがあちこちに配置されています。この機械で借りる手続きをするようですが、説明のシートをあとからいろいろ貼ってあって、システムがわかりにくいのかな。


さて、お城に入りました。今はお城といえば天守閣がゆったりと構えた公園のイメージですが、現役の時代は藩主の居宅や行政を行う建物などお城の構内は建物でびっしりつまっていたようです。表書院のあった場所は、建物はもうないですが、部屋割りが地面に表示されています。説明の人の話では、これだけ建物でつまっていると火事の時丸焼けになってしまうとのことでした。


また、江戸時代以前、宇喜多家の時代の石垣も一部発掘されていました。


前庭からの岡山城(烏城)です。見ごたえありますね。


大手門近くの石垣に表示をみつけました。昭和9(1934)年の室戸台風のときの最高水位を示すものとのことです。


表示のあったのは、一番奥に見える白い小さな看板の左側の石垣の上のほうです。この高さだとおそらく出石町など一部をのぞき岡山市内の多くが水につかったのではないかと思います。


街中ではこんな高低差も良く見ました。旭川と平行に走っていますので、かつての流路のあとではないかと思います。


宇喜多時代の最初の城跡というのもありました。ここらのお散歩用の資料もあれば楽しいですね。

町中といってもほとんどカルチャーゾーンの中だけでしたが、ここに紹介したものはごく一部です。岡山は歩いて楽しい町でした。