2009.1.6 第10回 森川里海連環学セミナー「流水と止水の相互作用系としての河川生態系」竹門 康弘 先生(京都大学 防災研究所)を聞きました。非常に密度の濃い内容の豊富な講演でした。いくつか印象に残ったことをメモします。
①巨椋池はかつて宇治川、木津川のバックウオーター(背水)的な環境。バックウオーターは増水すると河道になるがひいたとき取り残される水域で泥がたまりやすい。こうしたゾーンは河川があるからこそできる環境。河川と一体の止水環境は、ずっと止水のままのクレーター湖などと違う。本当の川(たとえば外国などに見る)は池沼の生物も多数みかけるが、日本の川はそうではない。オグラヌマガイは嫌気的環境つまり泥の堆積した背水域のような止水環境に適応している。
②多くの動物は生活に水通しの良い砂州必要。こうした環境は増水の機会減少、ピークの減少、土砂供給減少で危機的状況。
③裸地砂州はろ過装置として有用。砂州の発達により自浄作用、生態効率高まる。しかし、裸地砂州が植生に覆われ、ハグロトンボなど植生依存の生物増えている。
④1970~1980ごろ、林道建設の土砂が淵を埋め、川が平瀬に→日本中がオイカワの川に。現在、山からの土砂の供給少なく植生破壊されず撹乱なくなったためオイカワが減少し山地渓流型のカワムツの川へ。例)鴨川。
⑤樹冠の下のヒゲナガカワトビケラは落葉起源の有機物を多く食べている。その範囲は10~20mていど。川は連続体のようで実は不連続体、あっという間に消費されてしまう。空気も水も自由に行き来しているように見えて実は局所的範囲でまわっていた。「流域一貫」という考え→土砂などにあてはまるもの、対して物質循環は意外と狭い範囲でまわっている。(生態学者の)認識はそういうふうになりつつある。
⑥喜撰山(1919)横山大観 全山アカマツの里山→今は照葉樹林
かつての治山砂防事業の目的は森林再生→土石流防止に変化。もともと日本の川は土砂が動く川だったか?→森林伐採の影響により昭和の中ごろまで山地の土砂供給多かった。→70年間に砂州の植生化が進行。→1000年以上起きなかったことがおきている。→どのくらい土砂が出てくればよいのか?
⑦土砂動態を河川にとりもどすための方途・・いろいろあるが、その中のひとつに「内水面漁業(運用?)規則」遊水料の根拠は放流義務→繁殖場管理義務→自然再生促すために変える。
⑧止水域に止水環境つくる。たとえば城北ワンド。淀川大堰による背水域のためプランクトン、藻類多くそして有機物がたまる→城北にはかつてのワンド環境復元できない。最初ワンド掘ると1,2年目は良かった→ずっと掘り続けると良い。ワンドメンテナンスの方向へすすむべし
⑨撹乱を場の構造を再現するために経済原理でどうすればよいのか示すべし