「秘密か」
孔明の顔がけわしくなり、目の前の平伏する斐仁《ひじん》を見る。
斐仁はというと、平伏したまま、ぴくりとも動かない。
その姿は哀れにも見えた。
が、さきほど感じた、殺意にも似た視線を浴びていた趙雲は、気をゆるせなかった。
しおらしい態度にだまされてはならない。
斐仁は、想像以上にしたたかな男だ。
七年間も、周囲の人間を騙してきた男なのだから。
趙雲は孔明に目配せする。
孔明も、心得た、というふうに小さくうなずいた。
そして、平伏する斐仁に、いささか居丈高に問う。
「斐仁、聞きたいことがある。正直に答えよ。答えねば、そなたの家族のあとを追わせてやることになる。よいな、子龍」
「致し方あるまい」
孔明のきびしい声に、斐仁はすこしだけ顔をあげたが、孔明や趙雲の顔を見ようとはしなかった。
「おまえは『壷中』の人間だな?」
「左様でございます」
「七年間、新野に隠された『壷中』の秘密を守るために、新野に派遣されていた」
「まちがいございませぬ」
「おまえは、娼妓を買って、空き屋敷に入ったところを、『狗屠』に襲われた。その『狗屠』も、『壷中』の人間ではないのか」
斐仁は答えず、平伏したまま、黙っている。
「斐仁、答えよ。いまさら、以前の仲間を庇《かば》うのか」
趙雲が横槍を入れると、孔明が言う。
「それはちがう。そのことは、斐仁すら知らないことであったのだ。そうだな?」
孔明が問いかけても、斐仁は、なにも答えない。
ただ体を亀のよう丸めて、うずくまっている。
その様子を見て、孔明は、やれやれというふうに、ため息をついた。
「いきなり大当たりだな。ほんとうは、おまえはあの晩、殺されるはずであったのだよ」
「なんと! しかし、『壷中』にとって、この斐仁めは、よい従僕でありました。
なぜに、いまさら、斐仁の命を狙うのでしょうか」
驚きの言葉を発したのは老人である。
趙雲は、この老人もまた、孔明の敵は『壷中』であると断じていることに気づいた。
「斐仁の命を狙ったのが、『壷中』でありながら、『壷中』ではないからだ。
斐仁、おまえが命を狙われるきっかけがなにかあったはずだ。思い出せることはないのか」
斐仁は沈黙している。
だが、見ていると、地面に蜘蛛のように這うその手が、わなわなと震えているのがわかった。
なにかを思い出しているのだ。
忍耐づよく待つ孔明にならい、趙雲も、老人も、しばらく斐仁の言葉を待った。
やがて、斐仁は虫の声にまぎれてしまうほどの搾り出すような声で、ようやく言った。
「昔なじみを、見ました」
「どこで?」
「新野の街でございます。あの日の前日、それがしは女を買うために妓楼へむかっておりました。途中の市場で、昔馴染みと会ったのです。
その男の名前はわかりませぬ。いくつも偽名を持っているからです。
片腕が利かないのですが、それでも腕の立つ男なのです。
子供たちに武術を教えるのがうまいというので、数年前に『壷中』に招かれた男だということだけは知っておりました。
その男は、たくさんの子供と一緒におりました。
それがしは、そのときには酒を呑んでいたので、油断したのです。知り合いに会って、懐かしかったというのもございます。
声をかけたところ、男はひどく驚いた様子でした。結婚したということは知らなかったと言うと、この子は俺の子供ではないが、『壷中』に連れて行くのだと男は言いました。
ただ、その日はそれきりでした」
「連れていた子供の数は?」
「十人以上はいるのでは」
「徴兵にまぎれて、騙して攫《さら》っていった子供たちだな」
「大胆な。曹操が南下してくるかもしれぬと浮き足立つなか、子供を攫ってどうするというのだ」
趙雲がうめくと、孔明が答える。
「戦力の補充のためだ。将来に向けての、な」
「将来?」
その問いには答えずに、孔明は斐仁につづける。
「斐仁、そなたはその男と会った翌日に、娼妓といるところを襲われた。
だが、悪運の強いことに、そなたはあわれな娼妓を盾に『狗屠《くと》』をやりすごした。
『狗屠』は、なおもそなたを追って来たが、『狗屠』を許都から追って来た役人の夏侯蘭がそこへあらわれ、そなたは、命からがら逃げ延びることができた。
思いもかけない夏侯蘭の登場に、『狗屠』は夏侯蘭と対峙することを余儀なくされるが、そこへなんという偶然か、夜警の最中におまえの姿をみかけた子龍があらわれる。
闇夜のことだ。夏侯蘭は闇の中で、『狗屠』と子龍を誤認し、攻撃を仕掛けてくる。
その隙に『狗屠』は逃亡したのだ。
斐仁、その後、そなたの周りに何事かが起こったはずだ。そうではないか」
つづく
※ 当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます!(^^)!
ブログランキングおよびブログ村に投票してくださっているみなさまも、あわせて感謝です♪
おかげさまで連載も三分の二までぶじに掲載することができました。
残りの部分は、急ピッチで推敲中です。
今後の展開をおたのしみに!
古い作品もおたのしみくださいね。
当ブログの作品が、みなさまの娯楽の一部になっていたならさいわいでーす(*^▽^*)
孔明の顔がけわしくなり、目の前の平伏する斐仁《ひじん》を見る。
斐仁はというと、平伏したまま、ぴくりとも動かない。
その姿は哀れにも見えた。
が、さきほど感じた、殺意にも似た視線を浴びていた趙雲は、気をゆるせなかった。
しおらしい態度にだまされてはならない。
斐仁は、想像以上にしたたかな男だ。
七年間も、周囲の人間を騙してきた男なのだから。
趙雲は孔明に目配せする。
孔明も、心得た、というふうに小さくうなずいた。
そして、平伏する斐仁に、いささか居丈高に問う。
「斐仁、聞きたいことがある。正直に答えよ。答えねば、そなたの家族のあとを追わせてやることになる。よいな、子龍」
「致し方あるまい」
孔明のきびしい声に、斐仁はすこしだけ顔をあげたが、孔明や趙雲の顔を見ようとはしなかった。
「おまえは『壷中』の人間だな?」
「左様でございます」
「七年間、新野に隠された『壷中』の秘密を守るために、新野に派遣されていた」
「まちがいございませぬ」
「おまえは、娼妓を買って、空き屋敷に入ったところを、『狗屠』に襲われた。その『狗屠』も、『壷中』の人間ではないのか」
斐仁は答えず、平伏したまま、黙っている。
「斐仁、答えよ。いまさら、以前の仲間を庇《かば》うのか」
趙雲が横槍を入れると、孔明が言う。
「それはちがう。そのことは、斐仁すら知らないことであったのだ。そうだな?」
孔明が問いかけても、斐仁は、なにも答えない。
ただ体を亀のよう丸めて、うずくまっている。
その様子を見て、孔明は、やれやれというふうに、ため息をついた。
「いきなり大当たりだな。ほんとうは、おまえはあの晩、殺されるはずであったのだよ」
「なんと! しかし、『壷中』にとって、この斐仁めは、よい従僕でありました。
なぜに、いまさら、斐仁の命を狙うのでしょうか」
驚きの言葉を発したのは老人である。
趙雲は、この老人もまた、孔明の敵は『壷中』であると断じていることに気づいた。
「斐仁の命を狙ったのが、『壷中』でありながら、『壷中』ではないからだ。
斐仁、おまえが命を狙われるきっかけがなにかあったはずだ。思い出せることはないのか」
斐仁は沈黙している。
だが、見ていると、地面に蜘蛛のように這うその手が、わなわなと震えているのがわかった。
なにかを思い出しているのだ。
忍耐づよく待つ孔明にならい、趙雲も、老人も、しばらく斐仁の言葉を待った。
やがて、斐仁は虫の声にまぎれてしまうほどの搾り出すような声で、ようやく言った。
「昔なじみを、見ました」
「どこで?」
「新野の街でございます。あの日の前日、それがしは女を買うために妓楼へむかっておりました。途中の市場で、昔馴染みと会ったのです。
その男の名前はわかりませぬ。いくつも偽名を持っているからです。
片腕が利かないのですが、それでも腕の立つ男なのです。
子供たちに武術を教えるのがうまいというので、数年前に『壷中』に招かれた男だということだけは知っておりました。
その男は、たくさんの子供と一緒におりました。
それがしは、そのときには酒を呑んでいたので、油断したのです。知り合いに会って、懐かしかったというのもございます。
声をかけたところ、男はひどく驚いた様子でした。結婚したということは知らなかったと言うと、この子は俺の子供ではないが、『壷中』に連れて行くのだと男は言いました。
ただ、その日はそれきりでした」
「連れていた子供の数は?」
「十人以上はいるのでは」
「徴兵にまぎれて、騙して攫《さら》っていった子供たちだな」
「大胆な。曹操が南下してくるかもしれぬと浮き足立つなか、子供を攫ってどうするというのだ」
趙雲がうめくと、孔明が答える。
「戦力の補充のためだ。将来に向けての、な」
「将来?」
その問いには答えずに、孔明は斐仁につづける。
「斐仁、そなたはその男と会った翌日に、娼妓といるところを襲われた。
だが、悪運の強いことに、そなたはあわれな娼妓を盾に『狗屠《くと》』をやりすごした。
『狗屠』は、なおもそなたを追って来たが、『狗屠』を許都から追って来た役人の夏侯蘭がそこへあらわれ、そなたは、命からがら逃げ延びることができた。
思いもかけない夏侯蘭の登場に、『狗屠』は夏侯蘭と対峙することを余儀なくされるが、そこへなんという偶然か、夜警の最中におまえの姿をみかけた子龍があらわれる。
闇夜のことだ。夏侯蘭は闇の中で、『狗屠』と子龍を誤認し、攻撃を仕掛けてくる。
その隙に『狗屠』は逃亡したのだ。
斐仁、その後、そなたの周りに何事かが起こったはずだ。そうではないか」
つづく
※ 当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます!(^^)!
ブログランキングおよびブログ村に投票してくださっているみなさまも、あわせて感謝です♪
おかげさまで連載も三分の二までぶじに掲載することができました。
残りの部分は、急ピッチで推敲中です。
今後の展開をおたのしみに!
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