「毎日、むやみやたらに喧嘩ばかりしているやつが、言うな。
しかし、さすが多くの修羅場を経験してきているやつのことばだ。
わかっている、と誉めてやらんでもない」
「けなしているの、誉めているの、どっち」
「両方だ。まあ、要するに、おまえの言うとおり。
ここの連中は、無駄に誇りが高すぎる。
劉豫洲の家来があんまりコテンパンにやりすぎてしまったので、かえってここの文官たちの反感を買ってしまったようなのだ。
出自のあやしい傭兵あがりの家来ごときが、意気がるな、とな」
「それもひどいな。
劉豫州は帝におなじご血筋だと認められたと聞いているし、その家来だって、すべてがすべて、流浪者ではない。
徐州の麋家をはじめ、名門の人間だって加わっているぞ」
「いくら帝室に認められても、その義兄弟は、肉屋とおたずねものだぞ」
「その義兄弟だって、長いひげのおたずねもののほうは、曹操から、たいそう気に入られたという話も聞いている。
最近の人物で、これほど講談の種になっている人物はめずらしいと、徐兄も誉めていたじゃないか」
「なんだ、かばうんだな」
「かばっているつもりはないよ。
ただ、わたしのふるさとである徐州の麋家まで悪く言われていることが気に食わない。
ここの人間は、一見すると親切なのだけれど、うわべだけで、どこかよそ者に冷たい」
「まあ、そう言うな。よそ者に冷たいのは、いろんな人間が流れてくる大都会でないかぎりは、どこの土地も似たようなものだぜ」
「家来というその武人…ああ、さっきの人だったのかな。まだ若いようだったけれど」
孔明は、自分に道を聞いてきた男の顔を、照り返しのまぶしさで見ることができなかったことを、いまさら悔やんだ。
「劉豫州の弟分かな」
「いや、ちがうだろう。すれ違ったときにちらりと見たが、若すぎる。
ほかの連中が話しているのを聞いて、名前も聞いたのだが、趙、子…ナントカ、とかいう」
「字が『子』ではじまるのか? ならば、流浪者ではなく、れっきとした家門の子弟だろう」
「そうか? いまは身分が怪しいやつでも、勝手に格好のいい名前を名乗っている者もいるぜ。
そのクチかもしれん。
ともかく、話を戻すが、やっぱり、ああいう連中はだめだという空気が満ち満ちているなかで、俺なんかがひょっこり顔を出して見ろ。どうなると思う」
うながされて想像し、孔明は心を沈ませた。
おそらくは、徐庶は、この襄陽城の文官らに、ひどく無礼な態度をとられたのだろう。
孔明は、徐庶の可能性を閉ざした劉豫州の家来とやらを憎らしく思い、そして同じくらい、偏見にとらわれて大事な者を傷つける、襄陽城の人間に腹を立てた。
「では、もう仕官はしないつもりなのか」
「劉州牧は、あとで水鏡先生を通して返事をすると言っていたが、あの様子では、だめだろう。
劉豫州のほうへ行ったほうが、よほどいいかもしれぬ」
「だめだ、そんなのは。
劉豫州の家来など、そんなところへ行ってどうする!」
劉玄徳という人物について、深い知識があったわけではない。
しかし、孔明は、ほとんど反射的に否定していた。
もともと偏見の目にさらされている徐庶が、流浪者のあつまり、などと莫迦にされている劉備の配下になったなら、ますます偏見がひどくなると思ったのだ。
それまで、まるで自分のことを他人事のように笑いながら語っていた徐庶が、孔明の素早い反応におどろいたらしく、顔をこわばらせた。
ああ、今日は何度、似たような表情を人の中に見るのだろうと、孔明はすぐに恥ずかしく思った。
しかし言葉を撤回することができなかった。
徐庶の視線を気まずく感じながら、口を閉ざす。
孔明にとって、徐庶は特別なのだ。
自分を認め、はげまし、そして支えてくれた人物。
それだけではなくて、孔明が心から尊敬することができる、唯一の同世代の人間である。
劉表も劉備も、徐庶が仕官する先にしては、小さすぎて、ふさわしくないように思えた。
では、徐庶がどこへ仕官したら納得するだろうかと突き詰めて自問自答してみても、孔明の脳裏には、なにも浮かばない。
不意に、孔明は気がついた。
浮かばないのは道理である。
徐庶がほんとうになにを望んでいるのか、優先して考えたことがない。
徐庶は、生活の安定と、理想の実現の両面を充実させることができるかたちでの仕官を、もっとも望んでいる。
けれど、自分はそれをそれをまったく無視していないか。
徐庶の姿に、おのれの姿を投影し、思うようにならない現実に怒りをいだいて、徐庶を煽り、振り回している…
『いいや、そんなことはない。徐兄だって莫迦ではないのだ。
わたしがまちがっていたら、きっとまちがっていると教えてくれる。
徐兄が劉州牧には仕えないと言っているのだし、この話は、もうこれきり考えないようにしよう。
徐兄に似合う仕官先は、きっと見つかる。
見つかったら、わたしは今度こそ、持てる力をすべてつかって後押しをしよう。
もし見つからなかったら、時機を待てばいいのだ。
徐兄は、わたしの世話になりたくないようだけれど、表立っての援助ではなくて、徐兄にわからないような援助の仕方をすればいい。
そうして、ゆっくり二人で道を探してゆけばよいのだ』
自分に暗示をかけるようにして、胸のうちでつぶやきながら、うつむき加減に早足で歩く孔明に、徐庶はどう見たか、ぽん、といつものように親しげに肩を叩く。
徐庶は、孔明にとって、まちがいなく信頼できる相手なので、不意に触れられても、なんとも感じないのである。
「おまえにまで、嫌な思いをさせてしまったのかな。
だったらおかしなことにつき合わせて、すまなかった」
「そんなことはない。わたしのほうこそ、わがままを言って、すまなかった。
いやな思いをさせたのは、わたしのほうではなかったかな」
「おいおい、おまえがそんなふうに、しおらしくなるのは、かえって気味が悪いな」
徐庶が笑うので、孔明も、合わせて笑おうとしたのだが、うまく頬が動いてくれなかった。
「さあて、せっかく大きな町まで出てきたのだし、今日は宿に一泊して、ゆっくりしよう。
それと、帰るまえに、なにかめずらしい美味いものでも食べて帰ろうぜ。
土産も買っていこう。もちろん、おまえの奢りだぞ」
屈託なく笑って言う徐庶に、やっと孔明も、自然に声をたてて笑うことができた。
このままで、よいではないか。
孔明は、そのあとは、いつも以上に、ひたすら徐庶に従って、街で過ごした。
つづく
しかし、さすが多くの修羅場を経験してきているやつのことばだ。
わかっている、と誉めてやらんでもない」
「けなしているの、誉めているの、どっち」
「両方だ。まあ、要するに、おまえの言うとおり。
ここの連中は、無駄に誇りが高すぎる。
劉豫洲の家来があんまりコテンパンにやりすぎてしまったので、かえってここの文官たちの反感を買ってしまったようなのだ。
出自のあやしい傭兵あがりの家来ごときが、意気がるな、とな」
「それもひどいな。
劉豫州は帝におなじご血筋だと認められたと聞いているし、その家来だって、すべてがすべて、流浪者ではない。
徐州の麋家をはじめ、名門の人間だって加わっているぞ」
「いくら帝室に認められても、その義兄弟は、肉屋とおたずねものだぞ」
「その義兄弟だって、長いひげのおたずねもののほうは、曹操から、たいそう気に入られたという話も聞いている。
最近の人物で、これほど講談の種になっている人物はめずらしいと、徐兄も誉めていたじゃないか」
「なんだ、かばうんだな」
「かばっているつもりはないよ。
ただ、わたしのふるさとである徐州の麋家まで悪く言われていることが気に食わない。
ここの人間は、一見すると親切なのだけれど、うわべだけで、どこかよそ者に冷たい」
「まあ、そう言うな。よそ者に冷たいのは、いろんな人間が流れてくる大都会でないかぎりは、どこの土地も似たようなものだぜ」
「家来というその武人…ああ、さっきの人だったのかな。まだ若いようだったけれど」
孔明は、自分に道を聞いてきた男の顔を、照り返しのまぶしさで見ることができなかったことを、いまさら悔やんだ。
「劉豫州の弟分かな」
「いや、ちがうだろう。すれ違ったときにちらりと見たが、若すぎる。
ほかの連中が話しているのを聞いて、名前も聞いたのだが、趙、子…ナントカ、とかいう」
「字が『子』ではじまるのか? ならば、流浪者ではなく、れっきとした家門の子弟だろう」
「そうか? いまは身分が怪しいやつでも、勝手に格好のいい名前を名乗っている者もいるぜ。
そのクチかもしれん。
ともかく、話を戻すが、やっぱり、ああいう連中はだめだという空気が満ち満ちているなかで、俺なんかがひょっこり顔を出して見ろ。どうなると思う」
うながされて想像し、孔明は心を沈ませた。
おそらくは、徐庶は、この襄陽城の文官らに、ひどく無礼な態度をとられたのだろう。
孔明は、徐庶の可能性を閉ざした劉豫州の家来とやらを憎らしく思い、そして同じくらい、偏見にとらわれて大事な者を傷つける、襄陽城の人間に腹を立てた。
「では、もう仕官はしないつもりなのか」
「劉州牧は、あとで水鏡先生を通して返事をすると言っていたが、あの様子では、だめだろう。
劉豫州のほうへ行ったほうが、よほどいいかもしれぬ」
「だめだ、そんなのは。
劉豫州の家来など、そんなところへ行ってどうする!」
劉玄徳という人物について、深い知識があったわけではない。
しかし、孔明は、ほとんど反射的に否定していた。
もともと偏見の目にさらされている徐庶が、流浪者のあつまり、などと莫迦にされている劉備の配下になったなら、ますます偏見がひどくなると思ったのだ。
それまで、まるで自分のことを他人事のように笑いながら語っていた徐庶が、孔明の素早い反応におどろいたらしく、顔をこわばらせた。
ああ、今日は何度、似たような表情を人の中に見るのだろうと、孔明はすぐに恥ずかしく思った。
しかし言葉を撤回することができなかった。
徐庶の視線を気まずく感じながら、口を閉ざす。
孔明にとって、徐庶は特別なのだ。
自分を認め、はげまし、そして支えてくれた人物。
それだけではなくて、孔明が心から尊敬することができる、唯一の同世代の人間である。
劉表も劉備も、徐庶が仕官する先にしては、小さすぎて、ふさわしくないように思えた。
では、徐庶がどこへ仕官したら納得するだろうかと突き詰めて自問自答してみても、孔明の脳裏には、なにも浮かばない。
不意に、孔明は気がついた。
浮かばないのは道理である。
徐庶がほんとうになにを望んでいるのか、優先して考えたことがない。
徐庶は、生活の安定と、理想の実現の両面を充実させることができるかたちでの仕官を、もっとも望んでいる。
けれど、自分はそれをそれをまったく無視していないか。
徐庶の姿に、おのれの姿を投影し、思うようにならない現実に怒りをいだいて、徐庶を煽り、振り回している…
『いいや、そんなことはない。徐兄だって莫迦ではないのだ。
わたしがまちがっていたら、きっとまちがっていると教えてくれる。
徐兄が劉州牧には仕えないと言っているのだし、この話は、もうこれきり考えないようにしよう。
徐兄に似合う仕官先は、きっと見つかる。
見つかったら、わたしは今度こそ、持てる力をすべてつかって後押しをしよう。
もし見つからなかったら、時機を待てばいいのだ。
徐兄は、わたしの世話になりたくないようだけれど、表立っての援助ではなくて、徐兄にわからないような援助の仕方をすればいい。
そうして、ゆっくり二人で道を探してゆけばよいのだ』
自分に暗示をかけるようにして、胸のうちでつぶやきながら、うつむき加減に早足で歩く孔明に、徐庶はどう見たか、ぽん、といつものように親しげに肩を叩く。
徐庶は、孔明にとって、まちがいなく信頼できる相手なので、不意に触れられても、なんとも感じないのである。
「おまえにまで、嫌な思いをさせてしまったのかな。
だったらおかしなことにつき合わせて、すまなかった」
「そんなことはない。わたしのほうこそ、わがままを言って、すまなかった。
いやな思いをさせたのは、わたしのほうではなかったかな」
「おいおい、おまえがそんなふうに、しおらしくなるのは、かえって気味が悪いな」
徐庶が笑うので、孔明も、合わせて笑おうとしたのだが、うまく頬が動いてくれなかった。
「さあて、せっかく大きな町まで出てきたのだし、今日は宿に一泊して、ゆっくりしよう。
それと、帰るまえに、なにかめずらしい美味いものでも食べて帰ろうぜ。
土産も買っていこう。もちろん、おまえの奢りだぞ」
屈託なく笑って言う徐庶に、やっと孔明も、自然に声をたてて笑うことができた。
このままで、よいではないか。
孔明は、そのあとは、いつも以上に、ひたすら徐庶に従って、街で過ごした。
つづく
※ いつも当ブログに遊びに来てくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
そして、ブログ村およびブログランキングに投票してくださっているみなさまも、大感謝です!(^^)!
早起きをして創作に励もうと、あれこれ試行錯誤しているのですが、やはりなかなか習慣を変えるというのはむずかしいようで…
今日は早くに目が覚めたものの、すぐまた二度寝してしまったテイタラク。
あ、創作はきちんとやりますので、ご安心くださいませ。
げんざい、劉備軍が江陵を目指して苦労しているところを書いています。
つぎは曹操側の視点を入れて、そして、いよいよ孔明が船を借りに江夏へ向かうシーン。
オリジナル要素もちょいちょい入れつつ、楽しみつつ書いています。
仕上がったら、どうぞ目を通してくださいませね。
ではでは、今日もよい一日をお過ごしくださーい('ω')ノ