はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

画眉の背景 2

2020年05月04日 10時01分16秒 | 画眉の背景


「ふん、画師。画師ね」
と、それまで有能な主簿の顔をして、つんとすましていた胡偉度は、とたんに意地悪そうな笑みを毛にむける。
それだけで、毛は竦みあがってしまう。
そういえば、こいつも画才があったな、と思い出し、趙雲は尋ねた。
「そういうわけで、軍師の絵を、こいつが描くことになった。軍師には、主公からお話が行っているはずだ。おまえから、ほかの主簿たちに話をしておいてほしいのだが」
「ま、殿様のご趣向ならば、いた仕方ございません。ご協力いたしましょう。に、しても、軍師を描くとはいい根性しているね、あんた」
と、偉度は後れ毛を蓮っ葉にかきあげてみせる。
地味にしている偉度が、唐突に本性をあらわすと、その極端な差に、たいがいのものは言葉をなくす。
態度が変わるだけではない。
その纏う雰囲気が、一気に毒々しささえ含んだ華やかなものに転じるのだ。
これには、慣れている趙雲でさえ、たまにうろたえる。
初対面の毛は、なおさらであった。
気の毒になり、凍り付いている毛を庇うようにして、口を入れる。
「おい、いきなり脅すやつがあるか。仲良くしてやってくれ。しばらく俺と一緒に行動するのだからな」
「これはこれは、面倒見のよろしいことで。この無茶な冒険者のために、骨折りをなされるか」
「無茶?」
偉度は小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、言った。
「わたしは軍師を描こうと思ったことは一度もありませんよ。だって、無理だもの」
「おまえも、やはりそう思うか。だが、なぜそう思う?」
「軍師はね、あの雰囲気に特長があるのです。玲瓏たる容姿のなかに隠された、強靭な精神、鋼のごとき意志。見た目が問題なのじゃない。心のありようが、あの方を、世にも稀な絶佳に見せているわけですよ」
縮こまっていた毛は、偉度の言葉に、なにかしら心に響くものがあったらしい。
首を伸ばして、偉度に尋ねた。
「どこに特長があると思われますか」
「特長? そんなことは、あんたが観察して、見つけ出すことだろう」
厳しくぴしゃりとやられ、毛は首を亀のようにひっこめて、趙雲の後ろに隠れる。
偉度は、こういう育ちの良さそうな同年輩の若者には、ことさら意地悪をする傾向がある。

「意地悪しないで教えてやれ。どうせ、あまたある意見のうちのひとつだ。出し惜しみするな」
「出し惜しみなんかじゃありませんが、まあいいや。顔の作りがどう、体つきのしなやかさがどう、という話じゃありません。先ほども申しましたとおり、雰囲気。あの方の心の中にあるものがさまざまに作り上げ、全身から発せられる、気、とでも申しましょうか。あの独特の迫力で全身を鎧われておられるからこそ、軍師は軍師なのです。
それともうひとつ、どちらかといえば、脆弱なふうに見られがちな体躯をしておられるのに、舐めた態度に出る者がすくないのは、仕草でしょう。
あの人を、まったくの他人だと思って、そこいらに何もさせずに座らせておけば、わたしたちは、まちがいなく、軍師を女のような弱弱しい男がいる、というふうにしか見ない。
でも実際には、軍師はすこしも弱弱しくなんかない。わたしたちがそう思うのは、あのひとの言動を聞いたからであるし、あの人の仕草は、役者のように、ぴしゃりと、まるで謀ったように綺麗に決まるのです。軍師がうろたえて、オロオロとみっともなくしているところは、見たことがありません。つまり、そういった印象の積み重ねが、さらにあの人の特別な印象を強くするのでしょう」
「まあ、たしかに、困っていても、妙に堂々とえらそうにしているやつだからな。なるほど、ヒトによって、あれこれ違うものだな。おまえは、雰囲気や仕草が、軍師の特長だというのか」
「仕草を絵に籠める、というのは案外むずかしいのですよ。それにあの人ときたら、まるでだれかに指揮されているように、ここぞという場面にぴったりの仕草をするのです。司馬徳操の私塾で学んだ成果なのですかね。あまりに決まりすぎていて、圧倒されてしまうこともありますよ。あと雰囲気、これを絵に出す、というのは、名人でも、なかなか難しいでしょう」
「言われてみれば、仕草は力強いな。顔が女のようだと思うのは、おまえもか」
「顔の形の線が鋭いので、女の顔ではないのですが、睫毛が長いので、そう見えてしまうのですよ。あれで損をしている人ですよね。女々しいところなんか、すこしもありゃしないのに」
「そこは同感だ」
と、趙雲は偉度の言葉にうなずいた。
「でも、男らしいかといえば、そうでもない」
偉度は、すっかり毛のことは頭になくなったらしく、頭の後ろで手を組んで、なにやら思案して彼方を見る。
「女顔、というのは、わたしのような顔を言うのです。軍師が女装しても、似合わない。今月の給料を賭けてもいい」
「賭けるまでもなく、似合わぬだろうよ」
趙雲が言うと、偉度は目を細めて、にやりと意味ありげに笑った。
「でもすこし、見てみたいと思いませぬか」
「いいや、全然。話を戻せ。軍師は、女々しくもないが、かといって男らしくもない。では、なにものだ?」
「その得体の知れなさこそが、実は諸葛孔明という人間のもつ、美の源かもしれませぬな。引き合いに出すのはあれですが、若くて美しい宦官のように、男でも女でもない、独特の神秘的な、妖しい気配というのと、すこし似ている気がいたします」
「かといって、弱い存在ではない」
「それは、われらがあの人の言葉を、いつも耳にしているからですよ。あの人は弱音を吐かないし、基本的には能天気ですから、落ち込んでもすぐに回復する。それに結構しぶといですしね。そういう性格を知っているから、強い、と思っているからで、将軍が最初に軍師と会った時は、どう思われましたか?」
「最初? 最初から、あいつは偉そうであったから、なんだか嫌なやつだと思ったな」
「へえ、本当ですか」
興味津々、といった顔で偉度が首を伸ばしてくる。
「では、いつごろから、いまのようになったのです」
「いまのように、とは?」
「またまた誤魔化す。まあ、よろしいですけれどね。さて、そこの労役囚、考えはまとまったかい」
趙雲が振り返ると、毛は、すっかり混乱し、なにをどう捕らえたらよいのか、わからなくなっているようであった。
たしかに、孔明という多面性をもつ人間を、一瞬を切り取るしかできない絵で表現するのは、なかなかに難しいかもしれない。
趙雲は毛をつれ、偉度の執務室をあとにした。

兵舎に戻ると、陳到をはじめ、張飛までも混ざって、なにやらわいわいとやっている。
なにかな、と思って覗いて見れば、兵卒たちの調練もせずに、陳到や張飛たちが中心となり、木の棒で、地面に、めいめいで、なにやら書き付けている。
さては、と思って見てみれば、やはりそれは、孔明を描いたものであった。
趙雲が覗いてみると、張飛は、えへんと得意そうにして、胸を張る。
「どうだ、なかなかよく描けているだろ。おい、おまえが例の画師か。俺に弟子入りしてもよいのだぞ」
屈託なく言う張飛に、趙雲が、地面に描かれた絵に目を落とすと、そこにはたしかに、孔明らしき人物の絵が描かれていた。
うりざね顔の中に、ぱっちりと大きな目、高い鼻梁はすっと通って、綺麗な線を描いて、形の良い唇に繋がっている。
「美人だな」
趙雲が言うと、ますます張飛は、うへへ、と嬉しそうにする。
張飛は意外に器用なのだ。
だが、趙雲は、更に素直な感想をつぶやく。
「しかし、これは軍師ではないな」
なにおう、と言いつつ、趙雲に噛み付こうとする張飛であるが、陳到や毛も、その絵をみて、上手だ、けれど、なんだか軍師じゃない、と口々に言い始めたので、口をへの字にしてしまった。
「ちぇっ、うまく描けたと思ったのによ。でもまあ、たしかに言われて見りゃあ、軍師じゃないわな。男装した美人、って感じだな」
素直なところを見せて、張飛はしまいには、自分でそれを認めた。
「なんでかな。目がちょっと釣り上がり気味なところやら、鼻の高いところとか、唇とか、ひとつひとつは、よく描けているんだがなぁ。どうして軍師にならねぇんだろう」
はて? と首をひねる張飛の後ろで、陳到が、そおっと自分が地面に描いた孔明の絵を、足で消そうとしている。
趙雲はそれを押し留め、地面に描かれたそれを見た。

人間らしい。

と、いうのは、目は二つ、鼻はひとつ、唇はひとつ。
しかし指が六本、頭が妙に大きく、胴が短く、足が極端に長い、という、妖怪じみた者の姿がそこにあったからだ。
「なぜ指が六本もあるのだ」
「知らないあいだに生えました」
「計算ちがいで書き足してしまったのだろう。叔至、ずばり言うが、下手だな」
しゅんとした陳到であるが、持ち前の前向きさを、すぐさま発揮し、将に画才は必要ございませぬゆえ、と言った。

が、しばらく、その妖怪モドキをながめていた趙雲は、妙に、これは孔明だな、と思えてきた。
張飛も同じふうに受け止めたらしく、趙雲と並んで、ふぅむ、と難しい顔をしつつ、陳到の描いた孔明を見下ろしている。
「人間じゃないように見えるのに、目がなれてくると、軍師かな? と思えてくる、不思議な絵だな」
「なにかな、つまり軍師が人間じゃねぇってことか? ほら、昔、軍師がまったく食事を摂らなくなったときがあっただろ。そのとき、もしかして軍師は、仙人みたいに、本当に霞しか食ってねぇんじゃねえか、ってみんなで話したことがあったな」
「軍師は人間だぞ」
「わかってらぁな。だが、なんというか、軍師が実は人間じゃねぇ、ってなっても、どこかで『やっぱりな』と思うところってないか。なぜなのだろうな。やっぱ雰囲気か? 琅邪の人間って、不思議なヤツが多いって話だからな。徐福とかよ」
張飛は、平和になったのを機に、孔明や馬良らの姿に触発され、書物を読むようになったので、ここぞとばかりに得た知識を披露したがる傾向にある。

徐福とは、不老不死を願う始皇帝に、東の大海に浮かぶという蓬莱という島国に不老不死の薬がある、といって金を出させ、そのまま逐電した、という不思議な逸話の主人公だ。
この徐福が、孔明とおなじ、琅邪の出なのである。
琅邪というのは、中華最高の霊峰である泰山を頂く土地でもあり、神秘的なことになにかと結びつく土地でもある。
どこか、中原ともちがう文化風土があるのかもしれない。
徐州の人間は総じて背が高く、それがさらに神秘的な雰囲気を加えているのかもしれない。
まして、容姿が良ければ、なおさらだ。
異国、あるいは異世界との繋がりを思わせる雰囲気、自分たちとは違う風土の中に居た者。
違和感にも似た空気を孔明が醸し出している。
それが目に見えぬ力となって、周囲の目を引くのだろうか。

「軍師はむずかしい。あの方のお顔は、わたしの法則に当てはまりませぬゆえ」
みんなに、やれ妖怪だ、やれ遠い蛮地の異邦人だ、叔至の本当の姿だ、と、懸命に描いたものを、さんざんに馬鹿にされ、いささか傷心ぎみの陳到は、頭をぼりぼりと掻きながら、言う。
「おまえの法則とは、なんだ」
「主公も、将軍らもそうですが、人のもつ迫力というものは、いかにその人が、それまでの過程で苦労してきたかによって増すものだと、叔至は信じておりましたが、軍師はいささか、それとは違うようですな。
裕福なお家に生まれ育ち、ご両親は早世されたとはいえ、親代わりであった叔父君に大切に育てられ、その後も姉上や弟と仲良く暮らしていたという」
「良家といっても、さまざまだぞ。外からはわからぬ」
趙雲の脳裏には、長兄であり、呉に使える諸葛謹と、孔明の確執がある。
腹違いとはいえ、実の兄から、目の仇にされているのだから、苦労知らずであったとはいえまい。
それに、叔父をめぐるさまざまな暗い出来事が、あれの目に、一種の憂いを与えていると、趙雲は思っている。
「しかし、将軍、それでも、飢えたこともなく、戦乱の恐怖のただ中にいたこともない。矢面に立ち、死を覚悟したこともない、しかもあれだけお若い方が、主公に負けない威圧感を出す。不思議ではありませぬか。これは、生まれ持ってのもの、としか言いようがございませぬ」
「生まれつき、で片づけるなよ。実は、知らないところで苦労しているのかもしれねぇじゃねぇか」
と、珍しく張飛が、孔明を擁護するようなことを言った。そして、趙雲に、なあ、と同意を求める。
張飛は、おそらく、孔明が勉強家であること、くわえてたいへんな努力家であることを言いたいのだろう。
しかし、陳到が言うことも、的外れではない。
いくら書物と向き合って努力したところで、経験には叶わない。
この城のなかでも、世間を知らない部類に入るであろう孔明が、艱難辛苦をほとんど嘗め尽くした劉備と、ほぼ同等の迫力を持っている、というのも、不思議な話なのである。
「あれは、一で十を知る類いの人間なのだ」
趙雲がぼそりと言うのを、張飛も陳到も聞こえなかったらしく、その後も、孔明について、ほかの将兵たちも巻き込んで、あれやこれやと話を咲かせた。
結局、『軍師は不思議』という、あやふやなところに落ち着いたらしい。

つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/14)


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