はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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臥龍的陣 涙の章 その24 わずかに見えてくる過去

2022年10月13日 10時21分12秒 | 英華伝 臥龍的陣 涙の章
それを聞き、聡い孔明は、すぐに思い当たったようだ。
愁眉をひらいて感嘆する。
「そうか、それで叔父を知っていたのだな」

「はい。そして、豫章から帰られた諸葛玄どのと襄陽で会ったのもそれがしでございます。
われらは高邁な理想をかかげ、子供たちのために村をつくりました。
ところが、やつらはわれらを追放し、理念をゆがめ、子供たちをおのれの欲望のはけ口にした。
そのことを告げるため、豫章からもどってきていた諸葛玄どのに事情を伝えたのです。

以前に新野の市場でお会いしたときには、貴方さまがあまりにご立派に成長されておりましたので、玄さまの甥御の孔明さまであるとはじめは気づかず、たいへん失礼をいたしました」

そうして、はじめて老人は、片膝をついたままの姿勢で、目の前に立つ孔明を見上げた。
雪のように白い、手入れの行き届いた髯を持つ、とても先日まで行商人をしていたとは思われぬ風格をもつ老人であった。
深く皺の刻まれた、品のよい顔をくしゃりとさせ、老人は言う。

「なんとご立派になられましたことか。貴方さまが劉豫州の軍師になられたことは、耳にしておりました。
何度、お会いしたいと思ったことでしょう。しかし、それがしのやつらへの告発が、ひいては諸葛玄どのの命を奪ったのもおなじこと。
それゆえ、自責の念のために、あなたさまの前に立つことを迷っておりました。
勇気の出ぬまま日々を重ねつつ、瓜売りにはげんでいたのです。
ですが、荒くれ者のおおい劉豫州の陣中で、貴方さまがご苦労を重ねていらっしゃるという噂も聞きました。
それを聞いたときは、新野のばか者どもを、のこらずまとめてひねり潰してやろうと思ったものでございます」

冗談でもなんでもなく、実際にそうしかねない、頑固そうな老人である。
たのむからそれはやめてくれと、趙雲はその光景を想像しながら思った。

孔明のほうは、なみだ目でおのれを見上げる老人の肩に、そっと手を触れる。
「張丹英を救ったのは、あなただったのだね」
「はい。斐仁のやつめが、襄陽の、劉公子の側近を殺した、という話を聞きまして、これはいよいよ『壷中』が動き出したのだと思い、こうして参上つかまつったわけでございます。
諸葛玄どのは、『壷中』が当初の理念を大きくはずれ、汚らわしい刺客を養成する隠れ里に成り下がったことに、責任を感じておいででした。

同時に、自分で作った『壷中』の理想のうつくしさに有頂天になり、万事がうまくいっていると思い込んでこのような事態を招くことになったおのれを責めておられた。
ですから、隠れ里に住まう子供たちのためにも、どうしても黙っていることができなかったのです。

申し訳ありませぬ。それがしも、諸葛玄どのの一本気なご気性を知っていながら、利用したようなもの。
諸葛玄どのは、他者のために、見返りをもとめずに手を差し伸べることのできる、ほんとうに、心優しいお方でございました。
しかし、ざんねんなことに、襄陽城には諸葛玄どのの言葉に動かされ、ともに立ち上がる者がおりませんでした。
『壷中』は、いえ、『壷中』をゆがめた豪族どもは、諸葛玄どのに、命を助ける代わりに、代償として、甥の一人…つまり、貴方さまか、均さまを人質として差し出せと要求してまいりました」

とたん、孔明の顔色が、傍で見てはっきりわかるほどに、蒼ざめた。

「まことか」
「はい。しかし、斯様な要求を受けるわけには参りませぬ。諸葛玄どのが突っぱねたので、『壷中』と豪族たちは、報復と見せしめのために、諸葛玄どのを暗殺したのでございます。

ですが、諸葛玄どのとて、黙って殺されたわけではございませぬ。
諸葛玄どのは、貴方さまを守るために、賭けをされたのです。

もし、自分が殺された場合、『壷中』についての話の一切をつづった書簡が、中原と江東におられる、孔明さまのご親戚に送られる。
それは、決して開いてはならぬものとして預けてあるが、もし孔明さまにすこしでも身の危険が及ぶようなことがあれば、ご一同はその書簡を開き、それを世に公表する、と」

つづく



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