はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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甘いゆめ、深いねむり その3

2013年07月03日 09時05分09秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
先に越される、というのは、曹操が漢帝国のあるじである皇帝を保護し、それを自領の許都にて匿ったことをさす。
すでに天下は荒れにあれ、年若い無力な皇帝には実権はなにもない状態であったが、やはり、いくばくかの威光はのこっていて、帝を許都に擁立するということは、曹操は帝の代理人になったということと同義だった。
漢帝国にいまだ忠節を誓う人物は多く、かれらは帝に仕えたければ、その庇護者である曹操に屈しなければならない状況ができあがった。
曹操もそのあたりは心得ていて、自分に節を折らない人物はつぎつぎと排除して、地盤固めをおこなっている。

もっとも、自勢力に帝を組み込もうとかんがえたのは、曹操ひとりではなかった。袁紹の家臣で、沮授の盟友でもある田豊もまた、帝を袁紹の本拠地である鄴にお迎えするようにと指示していた。じゅうぶんに、それはできるはずであった。
ところが袁紹は、溺愛する末子袁尚のとつぜんの病のほうが気がかりで、帝どころではない。袁紹みずからが袁尚の看病にあたっているそのあいだに、帝は曹操にとられてしまった。
田豊はそのとき、悔しさのあまり杖を地面に叩きつけて地団駄を踏んでいたという。

もちろん、曹操が帝を背景に急速に求心力を高めたことは、そのチャンスをみすみす見逃した袁紹にもよくわかっていた。
だからこそ、速戦を主張する郭図らのことばが耳に心地よく響いたのかもしれない。
それに、どう比較しても、ちっぽけな曹操の兵力と、膨大といってもいいほどの兵力と財力を持つ袁紹、小と大、蟻と象、勝つのがどちらかは、目に見えている。もし土地と人の回復を待ちながら持久戦に入ったとしても、結局、なんらかの被害は出てしまうものではないか。
ならば、速戦で早めに決着をし、曹操を料理したあと、ぞんぶんに河北と河南の地を慰撫してやればよいのだ。袁紹はそう考えた。

ところが、田豊とともに持久戦を主張する沮授は、まだその考えにこだわっている。
顔良は、自分の策が容れられなかったからといって、沮授はあからさまに顔に不平を出しすぎなのではないかと、主君の気持ちになって不快になった。
顔良も、もともと顔に出るたちである。
そのいかつい太い眉をひそめていると、やはりそれと察したのか、となりの淳于瓊がまた言った。
「あくまでうわさであるが、沮授どのは、この戦は負けるかもしれぬといって、ご一族にご自身の財貨をお分けになったそうだぞ。大将ともあろうものが、不吉な行いをするものだて」
それこそあきれた話だ。
よりによって、壮行会に出席しながら、その負けを予感して、あんなちんけな顔をしている、それだけでも腹立たしいのに、負けたと想定して、そのあとの処理もちゃっかり行っているとは。
顔良には、用意周到さというべきか、そのあたりの身の振りかたはどうしても理解できない。生きるときは生き、死ぬときは死ぬ。それが顔良の哲学であったから。
だいたい沮授は、袁紹軍のなかでも、もっとも強大な軍権を所有している人物である。いわば大将といってよいが、その人物が負けを予想してしょんぼりしているということ事態が、なにやら異様な感じでもあった。
対照的に、速戦を主張していた郭図や審配、逢紀たちはじつにほがらかに酒を飲んでいる。

つづく…


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