「将軍が、なぜ養父上を?」
芯からふしぎそうにたずねてくる紅霞の顔を見て、ああ、この姫は、いまもっておれとの縁談のことを聞いていないのだな、と顔良はおもった。
なぜ袁紹はかのじょに話をしてくれなかったのだろうか、という疑念が、ふっと胸の奥から黒く浮かび上がってきたが、それは、いま吟味することではない。
顔良はあえて、その疑念を押し殺した。
主公が姫を出し惜しみするのなら、こちらはこちらの出方をするまで。
顔良は、姿勢をただし、なるべくいかめしく見えるようにきをつけながら、言った。
「それはすべて、姫のためでござる」
「わたくしの」
「左様。姫のために、曹操の首をとってまいります。曹操の首さえあれば、田豊どのは助かるのです。そして、そのあかつきには、姫、それがしが迎えをよこしますゆえ、我が家に来てはくださりませぬか」
言ってから、これでは単に、家に遊びに来てくれと言っているようにも聞こえるなと後悔した。顔良はとことん、口が下手なのである。
わかりづらいことばをどう受け止めたかと、おそるおそる紅霞を見ると、かのじょは勘のよいところをみせて、頬をりんごのように紅潮させている。
その表情は、うぶな娘のそれで、かのじょが、色恋沙汰には、これまでとんと縁なく生きてきたことがうかがわれた。
その顔が、なんともかわいい。衆目がなかったら、顔良はおもいのまま、紅霞を抱きしめていたかもしれなかった。
紅霞はというと、どう返事したらいいのかわからないようで、落ち着かない様子を見せている。
これでふだんだったら、さまざまな侍女に傅かれているのだから、気の利いた者が代弁してくれるのだろうが、いまはあいにくひとりだ。
紅霞は顔良をちら、ちら、と見ながら、どうしたものかともじもじしている。
その態度を見て、顔良は夢がふたたび甦るのを感じた。
調練場で見た、あの侮蔑の目のなかでは、顔良は無能な男だった。
ところが打って変わって、紅霞の目には、いまは頼れる勇将と映っている。
顔良としても、いまがほんとうのおれなのだと叫びたいところであった。
しかし、叫ぶ代わりに、腰にぶら下げていた上質の玉で出来た佩玉をとると、顔を赤らめてことばをなくしているかわいらしい紅霞の手に握らせた。
「これがそれがしの気持ちでございます。姫、それがしは、きっと生きてもどります。そして曹操の首をとって帰ってまいります」
「わたしのために?」
「はい、姫のために。それまでどうか、姫もご健勝で」
顔良はあくまで口下手であった。姫を甘くとろけさせることばをつむげるはずもなく、その身を案じたことばをつい言ってしまった。
だが、姫は佩玉を両手に大事そうに持ち、それからはじめて、花がほころぶようにうれしそうに笑った。
目じりにちいさく涙が浮かんでいたのは、田豊のことを案じているだけではあるまい。
紅霞。野原いちめんに咲き乱れる紅い花のさまをそう表現するという。
姫は素朴で、美しく、清く、そして力強い。
この姫のために、そして自身の夢をかなえるために、おれは行くのだ。
顔良は姫の笑顔を胸に刻んで、片時も忘れまいとした。
つづく…
芯からふしぎそうにたずねてくる紅霞の顔を見て、ああ、この姫は、いまもっておれとの縁談のことを聞いていないのだな、と顔良はおもった。
なぜ袁紹はかのじょに話をしてくれなかったのだろうか、という疑念が、ふっと胸の奥から黒く浮かび上がってきたが、それは、いま吟味することではない。
顔良はあえて、その疑念を押し殺した。
主公が姫を出し惜しみするのなら、こちらはこちらの出方をするまで。
顔良は、姿勢をただし、なるべくいかめしく見えるようにきをつけながら、言った。
「それはすべて、姫のためでござる」
「わたくしの」
「左様。姫のために、曹操の首をとってまいります。曹操の首さえあれば、田豊どのは助かるのです。そして、そのあかつきには、姫、それがしが迎えをよこしますゆえ、我が家に来てはくださりませぬか」
言ってから、これでは単に、家に遊びに来てくれと言っているようにも聞こえるなと後悔した。顔良はとことん、口が下手なのである。
わかりづらいことばをどう受け止めたかと、おそるおそる紅霞を見ると、かのじょは勘のよいところをみせて、頬をりんごのように紅潮させている。
その表情は、うぶな娘のそれで、かのじょが、色恋沙汰には、これまでとんと縁なく生きてきたことがうかがわれた。
その顔が、なんともかわいい。衆目がなかったら、顔良はおもいのまま、紅霞を抱きしめていたかもしれなかった。
紅霞はというと、どう返事したらいいのかわからないようで、落ち着かない様子を見せている。
これでふだんだったら、さまざまな侍女に傅かれているのだから、気の利いた者が代弁してくれるのだろうが、いまはあいにくひとりだ。
紅霞は顔良をちら、ちら、と見ながら、どうしたものかともじもじしている。
その態度を見て、顔良は夢がふたたび甦るのを感じた。
調練場で見た、あの侮蔑の目のなかでは、顔良は無能な男だった。
ところが打って変わって、紅霞の目には、いまは頼れる勇将と映っている。
顔良としても、いまがほんとうのおれなのだと叫びたいところであった。
しかし、叫ぶ代わりに、腰にぶら下げていた上質の玉で出来た佩玉をとると、顔を赤らめてことばをなくしているかわいらしい紅霞の手に握らせた。
「これがそれがしの気持ちでございます。姫、それがしは、きっと生きてもどります。そして曹操の首をとって帰ってまいります」
「わたしのために?」
「はい、姫のために。それまでどうか、姫もご健勝で」
顔良はあくまで口下手であった。姫を甘くとろけさせることばをつむげるはずもなく、その身を案じたことばをつい言ってしまった。
だが、姫は佩玉を両手に大事そうに持ち、それからはじめて、花がほころぶようにうれしそうに笑った。
目じりにちいさく涙が浮かんでいたのは、田豊のことを案じているだけではあるまい。
紅霞。野原いちめんに咲き乱れる紅い花のさまをそう表現するという。
姫は素朴で、美しく、清く、そして力強い。
この姫のために、そして自身の夢をかなえるために、おれは行くのだ。
顔良は姫の笑顔を胸に刻んで、片時も忘れまいとした。
つづく…