しかし陳到は、このほがらかなことばには同意しなかった。かれは特徴のない顔に翳りを浮かべていう。
「それがしには、そうとはおもえませぬ。このままわれらだけで白馬に深入りして、敵に四方を囲まれたらなんとします。ここはいったん止まり、敵の出方を見るべきです」
「敵の出方なぞ待っておられるか。そんなものを待っていたら、曹操の首を討つ好機を逃してしまうぞ」
「なれば、せめて斥候がもどるのを待つべきです。ほんとうに将軍の読みがただしいのか、それをたしかめてから進軍してもおそくはありますまい」
陳到のことばに、馬上で瓢箪の水を飲み干していた顔良は、おおいに不快をおぼえた。
副将の立場である陳到が慎重であることは、全軍のためにいいことだが、それの度が過ぎる気がした。
「ほんとうにおれの読みがただしいか、だと。陳到、おまえはおれの勘をうたがうのか。おれは戦場でまちがったことがない、だからここまで生き延びられたのだ」
「それはじゅうぶんに承知しておりますが」
「おりますが。が、なんだ。今回ばかりはちがうと申すか」
「左様です」
顔良がカッと頭に血をのぼらせるほどに、陳到はその整ってはいるが、華のまるでない顔をかたくして、答えた。
「敵があまりに脆すぎます。これはわれらを誘引せんとする曹操の思惑がはたらいているのかもしれませぬ。だとすると、われらはあまりに深入りしすぎました。いまからでも遅くありませぬ。兵とともに十里、いえ、せめて四里は引き返しましょう。そうすれば、敵が反撃してきた際にも、建て直しをはかることが容易となります」
「そんなにここに留まりたくば、おまえがひとりで留まればよい。おれの副将に臆病者はいらぬ。さあ、とっととおれの前から去ね!」
顔良が手にした瓢箪を投げつけると、それはみごとに陳到の額にこつんと当った。
飲み残した水が瓢箪の口からはじけて、陳到の砂埃をかぶった髪をぬらす。
しかし、そこまでされても、陳到はその場から動こうとしなかった。
「どうした、なぜ去らぬ」
「それがしは、あくまで将軍の副将でございます。将軍がどうしても退かないとおっしゃるならば、それがしも将軍と運命をともにするまで」
顔良は気が立っていたが、もとは単純なおとこであったし、やさしさも持っているおとこであった。
陳到がこれほどまでにおびえるのは、あまりになにもかもうまく行き過ぎていることが原因だろうとかんがえ、そして、これまでいろいろ尽くしてくれた陳到を、ただおびえているからという理由で切り捨ててしまうのは、あまりに無情だとおもった。
陳到がいままでそばにいてくれなかったら、政治的に不器用な顔良は、いまほど高い地位を維持できなかっただろう。
それほどに、陳到の内助の功はすばらしかった。
つづく…
「それがしには、そうとはおもえませぬ。このままわれらだけで白馬に深入りして、敵に四方を囲まれたらなんとします。ここはいったん止まり、敵の出方を見るべきです」
「敵の出方なぞ待っておられるか。そんなものを待っていたら、曹操の首を討つ好機を逃してしまうぞ」
「なれば、せめて斥候がもどるのを待つべきです。ほんとうに将軍の読みがただしいのか、それをたしかめてから進軍してもおそくはありますまい」
陳到のことばに、馬上で瓢箪の水を飲み干していた顔良は、おおいに不快をおぼえた。
副将の立場である陳到が慎重であることは、全軍のためにいいことだが、それの度が過ぎる気がした。
「ほんとうにおれの読みがただしいか、だと。陳到、おまえはおれの勘をうたがうのか。おれは戦場でまちがったことがない、だからここまで生き延びられたのだ」
「それはじゅうぶんに承知しておりますが」
「おりますが。が、なんだ。今回ばかりはちがうと申すか」
「左様です」
顔良がカッと頭に血をのぼらせるほどに、陳到はその整ってはいるが、華のまるでない顔をかたくして、答えた。
「敵があまりに脆すぎます。これはわれらを誘引せんとする曹操の思惑がはたらいているのかもしれませぬ。だとすると、われらはあまりに深入りしすぎました。いまからでも遅くありませぬ。兵とともに十里、いえ、せめて四里は引き返しましょう。そうすれば、敵が反撃してきた際にも、建て直しをはかることが容易となります」
「そんなにここに留まりたくば、おまえがひとりで留まればよい。おれの副将に臆病者はいらぬ。さあ、とっととおれの前から去ね!」
顔良が手にした瓢箪を投げつけると、それはみごとに陳到の額にこつんと当った。
飲み残した水が瓢箪の口からはじけて、陳到の砂埃をかぶった髪をぬらす。
しかし、そこまでされても、陳到はその場から動こうとしなかった。
「どうした、なぜ去らぬ」
「それがしは、あくまで将軍の副将でございます。将軍がどうしても退かないとおっしゃるならば、それがしも将軍と運命をともにするまで」
顔良は気が立っていたが、もとは単純なおとこであったし、やさしさも持っているおとこであった。
陳到がこれほどまでにおびえるのは、あまりになにもかもうまく行き過ぎていることが原因だろうとかんがえ、そして、これまでいろいろ尽くしてくれた陳到を、ただおびえているからという理由で切り捨ててしまうのは、あまりに無情だとおもった。
陳到がいままでそばにいてくれなかったら、政治的に不器用な顔良は、いまほど高い地位を維持できなかっただろう。
それほどに、陳到の内助の功はすばらしかった。
つづく…