戦での顔良の目的は、敵を圧倒すること、怖気をふるわせ、数で蹴散らすこと、そしてうまくいけば大将の曹操の首をとること。
めまいがするほどの兵力差のある袁紹と曹操である。顔良は、天地がひっくりかえろうと、自軍が負けることがあるはずがないと信じている。
それは顔良にかぎらず、袁紹軍のすべての人間、飯炊きのから主君の袁紹に至るまで、全員がそう信じて疑っていなかった。
曹操は負け、袁紹が勝つ。
勝って当然なのだ、負ける要素はどこにもない。
袁紹は顔良ら先陣をかざる武将たちのため、華々しい壮行会をひらいてくれた。
春のおとずれがあちこちで感じられる二月、まだ風にぴりりとした寒さののこるなか、宴は盛大にひらかれた。
城内においては枯れ木にすぎなかった梅にぽっかりと白い花がほころびはじめ、長い冬のあいだは聞かれなかった小鳥の軽やかな歌声もところどころから聞こえ始めていた。
軒先の氷柱も数を減らし、身を細らせ、ぽたぽたと地面に雫をたらしている。その音が、さらに春を告げる音となって、あちこちに響いていた。
城内のあちらこちらでは、春のかおりに合わせた香が焚き染められ、その白煙のなかを艶やかな色につつまれた仕女たちが、宴の準備のために忙しく立ち働く。
その衣擦れの音と、袁紹の抱える楽団の音、宴に出席している客人たちの会話などがまざりあい、ちょうどいいさざめきとなっていた。
宴の主役は沮授と顔良、淳于瓊であった。このたび本陣である黎陽からおなじく出陣する三人である。
沮授という男は九年前の初平二年に袁紹の配下になった男で、袁紹の知恵袋として河北の統一に尽力してきた。もともと気難しい顔をした男だが、今日はとくに表情が冴えない。
文官、武官と分けられた席なので、となりの武官である淳于瓊に、いったいなにがあったのかとたずねると、淳于瓊はその質問じたいに困ったような顔をして、知らぬのか、と逆にたずねてきた。
なにも知らなかったので、知らぬ、と素直に答えると、淳于瓊は主席の袁紹のほうをちらちらと気にかけながら、小声で言った。
「昨年、対曹操の作戦を論議したさいに、あのお方と田豊どのは、持久戦を主張なさったであろう。けっきょく主公は速戦を採用なさったのだが、沮授どのとしては、それがいまも気にかかっているようなのだ」
なにをいまさら、と顔良はあきれた。
この年の前の年である建安四年、袁紹は曹操を駆逐するためには、どのような作戦でかれを圧倒すればよいかを謀臣たちにたずねた。
すると、沮授と田豊は、先にほろぼした公孫瓚との戦の傷もまだいえていない、土地と人の回復を待ちながら持久戦でことに当るべきだと主張。
一方の郭図、審配、逢紀らは、なんの、そのような悠長なことを言っていられるか、いまが天下統一の好機にほかならない、家柄、人望、兵数、財力、人材のすべてにおいて、袁家は曹操を圧倒しているのである、数で押して、素早く曹操を踏み潰したほうが良い、という主張をした。
兵は拙速を尊ぶと古くからいうではありませぬか、もたもたしていたなら、またも曹操に先に越されてしまいます。
つづく…
めまいがするほどの兵力差のある袁紹と曹操である。顔良は、天地がひっくりかえろうと、自軍が負けることがあるはずがないと信じている。
それは顔良にかぎらず、袁紹軍のすべての人間、飯炊きのから主君の袁紹に至るまで、全員がそう信じて疑っていなかった。
曹操は負け、袁紹が勝つ。
勝って当然なのだ、負ける要素はどこにもない。
袁紹は顔良ら先陣をかざる武将たちのため、華々しい壮行会をひらいてくれた。
春のおとずれがあちこちで感じられる二月、まだ風にぴりりとした寒さののこるなか、宴は盛大にひらかれた。
城内においては枯れ木にすぎなかった梅にぽっかりと白い花がほころびはじめ、長い冬のあいだは聞かれなかった小鳥の軽やかな歌声もところどころから聞こえ始めていた。
軒先の氷柱も数を減らし、身を細らせ、ぽたぽたと地面に雫をたらしている。その音が、さらに春を告げる音となって、あちこちに響いていた。
城内のあちらこちらでは、春のかおりに合わせた香が焚き染められ、その白煙のなかを艶やかな色につつまれた仕女たちが、宴の準備のために忙しく立ち働く。
その衣擦れの音と、袁紹の抱える楽団の音、宴に出席している客人たちの会話などがまざりあい、ちょうどいいさざめきとなっていた。
宴の主役は沮授と顔良、淳于瓊であった。このたび本陣である黎陽からおなじく出陣する三人である。
沮授という男は九年前の初平二年に袁紹の配下になった男で、袁紹の知恵袋として河北の統一に尽力してきた。もともと気難しい顔をした男だが、今日はとくに表情が冴えない。
文官、武官と分けられた席なので、となりの武官である淳于瓊に、いったいなにがあったのかとたずねると、淳于瓊はその質問じたいに困ったような顔をして、知らぬのか、と逆にたずねてきた。
なにも知らなかったので、知らぬ、と素直に答えると、淳于瓊は主席の袁紹のほうをちらちらと気にかけながら、小声で言った。
「昨年、対曹操の作戦を論議したさいに、あのお方と田豊どのは、持久戦を主張なさったであろう。けっきょく主公は速戦を採用なさったのだが、沮授どのとしては、それがいまも気にかかっているようなのだ」
なにをいまさら、と顔良はあきれた。
この年の前の年である建安四年、袁紹は曹操を駆逐するためには、どのような作戦でかれを圧倒すればよいかを謀臣たちにたずねた。
すると、沮授と田豊は、先にほろぼした公孫瓚との戦の傷もまだいえていない、土地と人の回復を待ちながら持久戦でことに当るべきだと主張。
一方の郭図、審配、逢紀らは、なんの、そのような悠長なことを言っていられるか、いまが天下統一の好機にほかならない、家柄、人望、兵数、財力、人材のすべてにおいて、袁家は曹操を圧倒しているのである、数で押して、素早く曹操を踏み潰したほうが良い、という主張をした。
兵は拙速を尊ぶと古くからいうではありませぬか、もたもたしていたなら、またも曹操に先に越されてしまいます。
つづく…