はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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虚舟の埋葬 27

2009年08月15日 21時44分28秒 | 虚舟の埋葬
味方を救うという、これほど明確で正義にかなった攻撃の理由はあるまい。
兵の士気は高く、魏文長の名を怖じることなく、みな果敢に戦った。
あれほど、猛者集団として恐れられていた魏延の部隊であるが、この混乱の中、統制を取り戻すことができず、総攻撃のなか、呆気なく討ち果たされ、あるいは降伏した。
とくに、敵味方の判然とせぬなかでの王平のはたらきはめざましく、馬謖の街亭の失敗の際にも、退却時におおくの味方を救った実績のあるこの男は、ここでもやはり、無駄な殺生を避け、きわめて正しく味方を救い上げ、また、多くの敵を降伏させた。

しかし、陣が総崩れになってしまったあと、南谷口に歓声はなかった。
肝心の魏延の姿がなかったのである。
最小限の犠牲で抑えられはしたものの、やはり血の流されることになった戦場のあとを文偉は見回した。
粉々に砕かれた木材が、魏延の軍と、味方の軍の兵力と士気の差をあらわしていた。

『敵』となって死んだ者たちの遺体を片づける兵卒の表情は、どれも暗い。
かれらが不本意な死を迎えねばならなかったこと、混乱した状況では、おのれの意志よりも運が左右したことを、みな知っているのだ。
なかには、最期まで状況をつかめずに、逝った者もいるにちがいない。

酷いことをした、と文偉は思った。
魏延への怒りもあるが、この無残な光景を生み出したのは、自分でもあるのだ。
そこへ、姜維が近づいてきた。
「費司馬、魏文長は逃げましたぞ」
「まさか、北へ?」
「いいえ。あの者が」
と、姜維が指さす方向には、見張りとして働いていた兵卒が、自分はどうなるのかと、おどおどと周囲に目を配りながら、座らされている。
「攻撃がはじまる直前に、子や部下たちと共に逃げる魏文長を見たそうでございます。思わず、どちらへと尋ねたところ、魏文長は『正義を訴えるために退く』と答えたとか」
『正義』と聞いて、とたん、文偉はかっ、と腹を立てた。
「部下を見捨てて逃げ出しておいて、『正義』が聞いて呆れる。どこまで堕ちるのか、あの男は! 北へ行ったのではないのなら、どこへ?」
「漢中でございます」
「漢中か」
鸚鵡返しにし、かえって面倒だな、と文偉は思った。

魏延にとって、漢中は、だれより知り尽くした土地である。
しかも、大部隊を率いるのではなく、わずかな手勢とともに逃げ出したということは、かえって機動力が上がっているだろう。
さらに魏延は、漢中の地理を熟知している。
こちらの知らぬ道を行くであろうから、追跡はむずかしくなる。
漢中には、魏延と懇意にしていた豪族もある。
魏延を庇い、潜伏を手伝う可能性もあった。

こちらも部隊を編成し、すぐに追跡をさせようとした文偉であるが、大きな黒馬にまたがった将が一騎、手を振って近づいてくる。
その姿を認め、文偉はおどろいた。
「馬岱どの。後詰めをお願いしておりましたが、どうなされましたか? もしや、仲達に動きが?」
「いいや、仲達に動きはない」
答えると、孔明より年上の老将は、年を思わせぬ流麗な動きで、馬を下りた。
馬岱は、羌族と漢族の双方の血を引く、褐色に焼けた肌をもつ男だ。
文偉とは古馴染みで、天水から羌族と親しんでいた姜維とも親交が深い。
姜維と文偉の双方を見ると、馬岱は顔をしかめた。
「なんと薄情なことよ。それがしに、なんの役目もくださらぬとは。老人は、みなの後ろからゆっくりついていき、目の前で戦が起こっていても、だまって眺めていればよいとでもお考えなのか?」
「いえ、そのような」
文偉が首を横に振ると、馬岱は、声をたてて、豪快に笑った
「冗談だ。かつて剛侯(黄忠)が、このように、よくごねておったのを思い出して、真似てみたのだ。案外、面白いものだのう」
文偉は、馬岱の場違いな冗談に、思わず苦笑する。
「お人の悪い。本気かと」
「半分は本気だから、まったくの冗談というわけではない。さて」
と、馬岱は顔を引締めると、あらためて文偉の目を見据えた。
「魏文長は逃げたか」
「漢中へ向かったそうでございます。これより、追跡をいたします」
「人は決まっておるのか」
「わたくしが」
と、進み出たのは姜維である。
まだ、具体的にだれが、とは文偉も決めていなかったが、妥当なところで、姜維になるだろうとは思っていた。
騎馬の扱いにかけては、姜維の右に出る者はない。胆力もある。

馬岱は、ふむ、と頷くと、言った。
「それがしに、その役目をお与えくださらぬか」
「なんと?」
思わず文偉が言うと、馬岱は情けなさそうに顔をしかめた。
根が陽気な男なので、こういう緊迫した状況に置いても、どこか余裕があるように見える。
「驚かれることが心外でございますぞ。それがしとて、お二方と同様に、丞相からは、ひとかたならぬ恩義を受けた者。この機に、その恩を返さずして、なんといたしましょうや。
たしかに、我ら青羌兵は、これまで、他軍とは一線を画して参りました。が、このようなわがままを長年にわたり許されたのも、ほかならぬ、丞相の深いご理解があったからこそ。
丞相がおられたからこそ、われらは威侯のお志を守りつづけられた。そのご恩を、いま、返させていただく。
魏延がいくら身軽になったとはいえ、神速を誇る、わが騎馬部隊からすれば、その足も亀の歩みに見えまする。かならず魏延を追いつめ、捕らえてまいります」
文偉は、馬岱の言葉に、素直に感動した。
政争にはいっさい加わらないで、わが道を行く態度をつらぬいてきたこの男が、恩返しをするために、節を折ろうとしているのだ。
「そうおっしゃってくださるならば、なんと心強い。是非に」
馬岱の手を取って、喜ぶ文偉であるが、となりの姜維はあくまで冷静に尋ねた。
「将軍のご配下に、漢中の地理に詳しい者はおりますか?」
「任せよ。それがしにとっても漢中は故地。亡き威侯と轡を並べて、四方を駆け回っておった」
「おお、そうでございましたな。愚言を申しました。どうぞご容赦くださいませ」
「いやいや、かつての漢中をめぐっての動乱を知る者も、もはや数えるだけとなり申した。貴殿らが知らずとも仕方ない。さて、それでは、それがしはさっそく、魏文長を追う。朗報を待たれよ」
「御身気をつけて」
「案ずるな、威侯が守ってくださる」
そういって笑いながら、馬岱は黒馬にまたがって駆け去って行った。


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