はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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虚舟の埋葬・あとがき 1

2009年08月20日 17時08分28秒 | 虚舟の埋葬
ながいながーいお話となりましたが、ご読了どうもありがとうございました。お時間をいただきまして恐縮です。多謝ですm(__)m 

わたしは、正史三国志のなかでは、孔明、董和の伝につづいて、費文偉の伝がすきです。
孔明や董和は、立派な人だったんだな、と感心してしまうのですが、文偉の場合は、人柄がにじみでている。
「いいひと」だったんだな、という印象を受けます。
が、このサイトを開設してから、ほかの人物の伝と平行して見ていると、ひっかかる部分が。

それは、孔明の死後に発生した、魏延の謀反と、楊儀のその後の悲惨な死。
この両者の死に深くかかわっているのが、費文偉なのです。
魏延と楊儀の最後については、演義がもっともオーソドックスな流れだと思います。
儂を討てるものがおるか、と呼ばわると、馬岱が、ここにおるぞ! と答えて魏延の首を刎ねる…
しかし、正史を読むと、魏延は、けっして謀反を起こしたのではない、という陳寿の言葉と、さらに魏延の伝についている『魏略』の『なぜこうまで違うのか』と疑問符をつけられて紹介されている、『魏延こそが孔明の棺を守っていたが、身の危険をおぼえた楊儀に殺された』という注釈のせいで、印象が微妙なものになってきます。

とりあえず、陳寿や季漢補臣賛の作者のコメントは横においておき、じつは、魏延と楊儀の死が、謀殺であったなら?
ミステリーのセオリーに当てはめると、この二人が死ぬことで、当時、いちばん得する人間は……費文偉? 
ちがいます。蒋琬です。

蒋琬と文偉、そして休昭が、ずっと共闘体制をとっていたのは、蒋琬が尚書令と益州刺史を兼任した際に、文偉と休昭に、自分の地位を譲りたいと劉禅に言っていることからわかります。
差し引いて考えても、よい関係を築いていたはず。
孔明の死後は、後継と指名された蒋琬ですが、不安材料が。
蒋琬は無名で、経歴もあまりよろしくない。
対する楊儀のほうがベテラン。
しかし、性格に問題があった。
魏延もまた同様。
かれらが新しい体制に障害になるのは、目に見えている。
そこで、孔明の後継を速やかに引き継ぐため、問題を起こしそうな二人を、費文偉と共謀して殺してしまったとしたら…

二人の死後、いちばん得したのは蒋琬・文偉・休昭の一派である。
特に文偉は、自分の息子の嫁に劉禅の娘、自分の長女は皇太子妃にと、後宮政治にも乗り出しており、それだけ見ると、なかなか権勢欲が強かった…ようにも見える。
わたしは、これをブラック・ヒイ説と名づけ、いつか小説にしようと構想を練っておりました。

しかし、たびたび費文偉の伝を見ていると、なんだか違和感がある。
それは、わたしが文偉に思い入れを強くしてしまったからではなく、ブラック・ヒイ説を採ると、文偉の性格に整合性がなくなってしまうからなのです。
費文偉というのは、公務中に博打を打ったり酒を飲んだりと、なかなか豪快な人物なのですが、反面、慎重なところも持ち合わせていて、呉へ使者として赴いたさい、孫権に矢継ぎ早に質問されて困ってしまい、わざと座を外すと、ひそかに答えのアンチョコを作って、座に戻り、答えた、ということをしております。
孔明のように、打てば響く、といったタイプではなかったようです。
妙な答えをして、孫権を怒らせたらマズイ、と思ったのもあるのでしょうが、そこには責任感や真面目とともに、、誠実な人柄がうかがえます。

さて、こういう人物が、孔明の死後、一転して、魏延を騙し、楊儀を庶民に落とす。
これはまちがいないところなわけですが、伝を読むかぎりでは、そこだけが、文偉が大きく動いた、黒い部分で、ほかのエピソードに、陰湿さは感じられません。

姜維に兵を一万しか預けていなかったということも、そこに暗い思惑は感じられない。
姜維が文偉に不満を持っていた、ということを臭わせるようなものはない……史料から引き出した憶測のみになってしまうのですが、姜維は、文偉が死ぬまで、何十年と言うことを聞いていたわけですから、悪い関係ではなかったと思います。

つづく…


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