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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
なとりのこほり 重之
四百八十一 あだなりなとりのこほりにおりゐるは したよりとくる事をしらぬか
名取りの郡 (源重之・国司を歴任して陸奥で没した、公任より一世代上の人)
(はかないなあ、鳥が氷におりて居るのは、下より溶ける事を知らないのか……婀娜だなあ、女がこ掘りに折っているのは、ひそかに解けていることを、しらないのかあ)
言の戯れと言の心
「あだ…徒…かりそめ…はかない…婀娜…しなやかで色っぽい」「な…感動を表す…念を押しいう」「とり…鳥…神世から鳥の言の心は女、古事記などを、そのつもりになって・この文脈に一歩立ち入って、読めば、それと心得ることができる」「こほり…氷…こ掘り…い掘りと同じくまぐあい」「おり…下り…折り…小枝を折る…ものを夭折させる…逝かせる」「した…下…ひそかに・かくれて…下部」「とくる…(氷が)溶ける…(結ばれていたものが)解ける…(下燃えが)消える」
歌の清げな姿は、水に浮かぶ氷上の鳥の景色。
心におかしきところは、はかない、ものの果ての、男の気色。
さくなむさ 如覚法師
四百八十二 むらさきの色にはさくなむさしのの 花のゆかりと人もこそ見れ
しゃくなげ (俗名 藤原高光・多武峰少将・父は右大臣師輔、母は内親王)
(世の花よ・紫の色には咲くな、武蔵野の・賤しい田舎の、草花の縁のものと、人は見るぞ……男どもよ・斑咲きの色情には咲くな、賤しい田舎の、おとこ花の縁と、女は見るぞ)
言の戯れと言の心
「さくなむさ…しゃくなげ…石楠花…つつじ科の低木、白い花を咲かせる…木の言の心は男」。
「むらさき…紫…紫草…根は紫の染料…草の言の心は女…紫色…済んだ色…高貴な色…紫雲…これらは良い意味。物の名は戯れる。斑咲き、むら消え、むら雲など、良くない意味」「むさしの…武蔵野…荒野(平安時代の事)…盗人などひそむ所(伊勢物語のこと)…むさし…無才(無学)の…無財(極貧)の…むさ苦しい…賤しい…良くない意味」「花…木の花…男花…草の花…女花」「ゆかり…縁…血縁…関係あること」「見れ…見る…思う…交わる」「見…覯…媾…まぐあい」
歌の清げな姿は、花よ・上品で高貴ぶつた色には咲くな、むさし野の花のゆかりと人は見ぬくぞ。
心におかしきところは、おとこ花よ・斑咲きの色情には咲くな、賤しい花のゆかりと、女はみるぞ。
平安時代の人々は、言葉が字義以外に多様な意味を孕んでいること、それらは、浮かれたように戯れることを知っていた。その上に和歌は成り立っていたのである。
歌の言葉が一義なものならば、とりわけ物名歌などは、味気も色気もない言葉遊戯だけの歌に聞こえるだろう。そんな歌を公任は優れた歌に撰び、花山院は勅撰集に載せられたのか。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。