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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
五条の尚侍の賀の屏風のゑに、松のうみにひちたるかたあるところに
伊勢
五百十六 うみにのみひたれる松のふかみどり いくしほとかはしるべかるらむ
五条の尚侍(藤原満子四十歳・伊勢とほぼ同年)の賀の屏風の絵に、松が海に浸っている姿のあるところに、(伊勢・貫之とほぼ同世代・古今集、拾遺集を通して女流歌人の第一人者)
(海にばかり浸っている松の深緑、幾らほど染め入れしたとかは、知ることできるでしょうか……女ばかりの宮に浸っている女人の深い若さ、幾肢お、とかは知れて当然でしょうね)
言の戯れと言の心
「うみ…海…言の心は女…ここは、女官たちの世界(尚侍はその長官)」「松…待つ…長寿…言の心は女」「みどり…緑…若い色」「いくしほ…幾染め入れ…染料に浸した回数…幾肢お…おとこの数」「べかるらむ…べからむ…可能の推量の意を表す…できるだろう…当然の推量の意を表す…当然何々でしょう」。
海や松の言の心は、先ず、此のような意味であろうかと一歩この言語観の中に踏み込んでから、紀貫之「土佐日記」を、そのつもりになって読めば、鶴(鳥)と共に女であると心得ることができる。そして、歌の表現様式を知れば、「歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて、今を恋ひざらめかも」と言う、古今集仮名序の結びの文がよく理解できるだろう。
歌の清げな姿は、海に枝の浸っている松の絵を見ての感想。深緑の松の長寿ははかり知れないでしょう。
心におかしきところは、女どもの中に浸っている貴女の深く若々しい色艶、ひとしほの数は問わずとも知れるでしょうよ。
天暦御時に名ある所所のかたを屏風にかかせ給ひて人人に歌たて
まつらせ給ひけるに たかさご
五百十七 をのへなる松のこずゑはうちなびき なみの声にぞ風も吹きける
天暦の御時に有名な所々の絵を屏風に画せられて、人々に歌を奉らせたので、「絵は高砂の松」、(無名・拾遺集は忠見・壬生忠見・父は古今集撰者壬生忠岑)
(たかさごの・峰の上にある松の梢は揺れなびき、風浪の音して・それに、松風も吹いたことよ……山ばの峰の上に達した女が、小づ枝は射ち靡き伏した、並の小枝にぞ、女の心の・風も吹きつけたことよ)
言の戯れと言の心
「をのへ…尾の上…峰の上…絶頂」「なる…にある…成る…或る情態に達する」「松…言の心は女」「こずゑ…梢…小枝」「うちなびき…(風に)揺れる…靡き…射ち果て靡きたおれ伏す」「なみ…浪…風波…並み…平凡」「声…こえ…小枝…おとこ」「風…松風…女の心風…頼りないのねえ・なんともはかないことよ・言うほどの物でも無いわ・なおも乞うているのに・その他色々な言葉にできない心風が吹くことだろう」
歌の清げな姿は、峰の松の梢靡き、風波の音に、松風の音が加わる高砂の風景。
心におかしきところは、頂点に極まり達した女が、靡き伏した並の小枝に、心風を吹きかけた。(如何なる女心かは聞き耳により異なる)。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。