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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
いかるがにげ 躬恒
四百九十五 ことぞともききだにわかずわりなくも 人のいかるかにげやしなまし
いかるがニ毛(馬の毛色という、あし毛) (凡河内躬恒・みつねを侮るなかれ、つらゆきに優るとも劣らないという)
(此のような事だとも、聞きわけることなく、むやみに、人が怒るなあ、逃げたほうがよさそう……これが限界・男のさがだよ・他所で何もしていないよ、聞きわけもなく、むりやりにも、妻は、井駆るか・い根かるかあ、逃げようかな、死んでしまいそう)
言戯れと言の心
「ことぞともききだにわかず…事の次第を説明しても、そうかとも聞きわけず…異なる、そうではないとの言い訳を聞きわけもせず」「わりなくも…理解せずに…むりやりに…りくつぬきに」「人…他人…女…妻」「いかる…怒る…井駆る…井を追い立て駆り立てる…い根刈る…小枝折る…逝かせる」「い…井…おんな」「かる…狩る…猟する…刈る…駆る…かりたてる」「か…疑問を表す…詠嘆を表す」「しなまし…してしまおう…した方がよさそう…死なまし…死んでしまうだろう」「まし…適当の意を表す…仮に想像する意を表す」
歌の清げな姿は、宮仕えなどしていると、稀にかな、有る事。
心におかしきところは、夫婦などしていると、よくあるある事かな。
四十九日 すけみ
四百九十六 秋風のよもの山よりおのがじし ふくにちりぬるもみぢかなしも
四十九日(四十九日めの法事・死者がたぶん極楽浄土に旅立つ日) (藤原輔相・物名歌の名人)
(秋風が、四方の山々よりそれぞれに、吹くにつれ、散ってしまう紅葉・黄葉、哀しいことよ……飽き風が、夜なのにものの山ばに、思い思いに、吹いたために、散ってしまう飽きの色、愛おしくつらいこと)
言の戯れと言の心
「秋風…季節風…飽き風…心に吹く風」「よもの山…四方の山…夜もの山ば」「も…のに…(未だ暁では無い)のに」「おのがじし…それぞれに…自主的に…思い思いに」「もみぢ…紅葉・黄葉…秋の色…飽きの色情」「ぬる…ぬ…完了したことを表す…ぬれる・ゆるむ」「かなし…哀し…さみしい…つらい…愛し…いとしい…かわいい」「も…詠嘆を表す…感動を表す」「も…詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、秋風に四方山のもみぢ葉散る、秋の日のもの哀しいさま。
心におかしきところは、あき風が心に吹いて、思い思いに、山ばより逝けに散り堕ちるかなしいさま。
以上で、拾遺抄 巻第九「雑上」は終わる。
江戸時代以降の国学と近代の国文学によって、和歌は「枕詞、序詞、掛詞、縁語、歌枕」などという言葉で示される修辞法によって表現されていたと説明される。しかし、そのような解釈方法は、物名歌には無力であるため、優れた歌などと思えず、言語遊戯に過ぎないとされてきた。
平安時代の人々は、古今和歌集や拾遺集の物名歌を、そのように享受していたのだろうか。否である。貫之、公任、俊成の歌論によって解けば上の通り、優れた歌の条件を備えている。現代の和歌の解釈方法を、根本から改めて、古典和歌の解釈をやり直すべきだと強く思うばかりである。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。