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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
うるかいり すけみ
四百九十三 このいへはうるかいりてもみてしかな あるじながらもかはんとぞおもふ
うるかいり(魚料理の名という) (藤原輔相)
(この家は売るか、入りて見たいものだ、女主人もそのままに買おうと思うぞ……この井へは売るのか、入って見たいなあ、そのあるじともども買おうと思うぞ)
言の戯れと言の心
「いへ…家…言の心は女…井へ…おんな」「み…見…内覧…覯…媾…まぐあい」「てしかな…自己の願望を表す…したいものだ」「あるじ…家のあるじ…主婦…井へのあるじ…おんなの主人」「ながらも…そのままに…ともどもに」
歌の清げな姿は、「家売ります」の貼り紙を見ての感想。
心におかしきところは、遊び女との戯れ言。
あしがなへ
四百九十四 津のくにのなにはわたりにつくるたは あしかなへかもえこそ見わかね
あしがなへ(脚付き鼎・鍋の名という) (藤原輔相)
(津の国の難波あたりに作る田は、葦か、苗かも、見分けられないね……つのくにの何はあたりに作る田は・遊女たちの居る辺にとり繕う多くのおんなは、悪しか並みかも、えこそ・おんなこそ、見分けかねるな)
言の戯れと言の心
「津のくにのなにはわたり…津の国の難波辺り…淀川の船着き場は、山崎のほかに何箇所かあった。遊び女のいる所も有った」「つくる…作る…耕作する…料理する…とりつくろう…見かけを良くする…化粧する」「た…田…言の心は女…多…多数…多情」「あし…葦…悪し」「なへ…苗…並へ…並み…普通」「えこそ…得こそ…(後に打消しを伴って)不可能を表す…する事は出来ない…江こそ…おんなこそ」「江…言の心は女」「見…覯…媾…めとり…まぐあい」「わかね…分かね…分けず…(分けられない)」「ね…ず…打消しの意を表す」
歌の清げな姿は、津の国の葦原に作る田の様子。
心におかしきところは、装束調え化粧した遊び女の様子。
紀貫之土佐日記の二月九日、「和田の泊のあかれの所」を通る時に、「よね、いを乞へば行ひつ」とだけあるが、(米、魚を乞うので施しを行った……よ根いを・おとこを、乞うが、米と魚を与えて、行き過ぎた)と読むのである。
二月十六日、山崎の船着き場に着いた時には、一行はようやく船を離れる。船頭たちも一仕事終わったので、遊び女をかう。船の女たちは「売り人の心をぞしらぬ(あんなもの売る女の気が知れない)」といい。この世に「必ずしもあるまじき業なり(必ずしも有るべきで無い生業である)」と書きながら、その代金は一行の主婦(語り手の女)が支払った。それは、さりげなく「これにも返り事す」と書かれてある。
不思議な事に、今の国文学の読みは、表向きの意味から一歩も内に立ち入らない。大真面目な倫理観と、言葉が戯れることも知らない大真面目な言語観が邪魔しているようである。
上の二首の「心におかしきところ」が聞こえる文脈に立ち入るには、貫之の云う通り「歌のさま」を知り「言の心」を心得ることである。これ以外にはない。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。