帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百二十)(五百二十一)

2015-11-25 00:05:03 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


 

拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首

 

大江為基がいへにうりにまうできたりけるかがみつつみて侍りける

かみにかきつけて侍りける              読人不知

五百二十  けふまでとみるになみだのますかがみ なれにし影を人にかたるな

大江為基(紫式部の先輩の赤染衛門とほぼ同年)の家に売りに来た鏡を包んであった紙に書き付けてあった、(よみ人しらず・男の歌として聞く)

(今日までと見るに涙の真澄鏡、映し慣れた・おちぶれた、我が姿を人に語るな……山ばの京まではと、思うに・見るに、汝身唾の増す彼が身、萎えてしまった、影を・陰を、他人に語るな)

 

言の戯れと言の心

「けふ…今日…きゃう…京…山ばの頂点…感の極み」「みる…見る…思う」「見…覯…媾…まぐあい」「なみだ…眼の涙…おとこの汝身唾」「ますかがみ…真澄鏡…増す彼が身…増す屈身…しおれます身」「鏡…貴重品…土佐日記には(眼もこそ二つ有れ、ただ一つある鏡)という描写が有る如く大切な品物」「なれ…慣れ…馴れ…萎れ…生気が無い…よれよれ」「影…映像…姿…陰」「を…対象を示す…お…おとこ」。

 

歌の清げな姿は、不毛なところに立つ松に寄せて、わが世を嘆いてみせた男の歌。

心におかしきところは、やくたたずこの夜を経るわれを、古妻は、なんと見るだろうかあ。

 

 

小一条左大臣まかりかくれてのち、かの家にかひ侍りけるつるのなき

はべりけるをききはべりて              小野宮大臣

五百二十一 おくれゐてなくなるよりはあしたづの などてよはひをゆづらざりけん

小一条左大臣(藤原師尹・藤原実頼の弟・五十歳)が亡くなられて後、彼の家で飼っていた鶴が鳴いたので、(小野宮大臣・藤原実頼太政大臣・公任の祖父)

(とり遺されて鳴くよりは、葦鶴が、どうして、弟に千歳の・齢を譲らなかったのだろうか……逝き遅れて泣くよりは、粗野な女の、長寿を、生の永続力を・どうして弟に譲ってくれなかったのかあ)

 

言の戯れと言の心

「おくれゐて…後れ居て…先立たれ…とりのこされて」「なく…鳴く…泣く」「あしたづ…葦鶴…水辺の野鳥…悪し女」「鶴…鳥…言の心は女」「よはひ…年齢…夜這い…夜を生き延びる」「ゆづる…譲る…他人に与える…己は控え目にする…辞退する」「ざり…ず…打消の意を表す…(譲ら)ない…辞退しない」「けん…けむ…済んでしまったことの原因理由など推量するする意を表す…(どうして、年齢を譲らなかった)のだろう…(どうして、夜這いを辞退しなかった)のだろう」

 

歌の清げな姿は、弟を亡くした嘆きを、聞き耳持たない鶴に投げつけた。

心におかしきところは、遺され嘆き泣く女たちに、やつの夜這いを、どうして辞退しなかったのだろうか。

 

小一条左大臣は、色々な意味で、「好き好きしき人」だったようである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。