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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
冷泉院の東宮におはしける時に、つきを待つ心の歌殿上のをのこども
よみ侍りける 蔵人藤原仲文
五百一 有りあけの月のひかりをまつほどに わがよのいたくふけにけるかな
冷泉院の東宮におはしける時に、月を待つ心の歌、殿上の男どもが詠んだ (蔵人藤原仲文・公任の父藤原頼忠らと同世代の人)
(有明けの月の光を待つ間に、わが夜がひどく更けてしまったことよ……暁に残るつき人おとこの照り輝きを、待つほどに・保持する間に、わが夜の・わがたけ節の、ひどく老けてしまったことよ)
言の戯れと言の心
「有りあけの月…明け方の空に残る月…暁まで元気なつき人おとこ」「ひかり…光…おし照る月光…月人壮士の栄光…おとこの照り輝き」「まつ…待つ…朝を待ち夜を過ごす…保持・持続する」「ほど…程…時間…間…ほと」「よ…世…男女の仲…夜…竹などの節…夫肢…おとこ」「ふけ…更け…老け…萎え・衰え」「に…ぬ…しまった…完了した意を表す」「けるかな…気付き・詠嘆」
歌の清げな姿は、夜も更けたが、我が世の栄光を待つ間にひどく老けてしまったよ。
心におかしきところは、暁のつきにて頂天に上り完了すべきを、わがふしは夜更けにひどく老けてしまうことよ。
もの忌などで男どもが殿上で徹夜した時の座興の歌。
参議玄上がめの、月のあかきよ門の前をまかりわたるとて、消息を
いひ入れて侍りければ、 伊勢
五百二 雲井にてあひかたらはぬ月だにも わがやどすぎて行くときは見ず
参議玄上の娘が、月の明るい夜、門の前を(牛車で)通り過ぎると、消息を(使いの者が)言い入れたので、(伊勢・古今集・後撰集を通じて女歌人の第一人者)
(雲の上に居て、語り合うことのない月でさえも、わが家を照らさず通り過ぎて行く時なんて見たことない……頂天にて和合できない月人壮士でも、わがや門を、通り過ぎて行く時は、見たことないわよ・立ち寄る)
言の戯れと言の心
「参議玄上がめ…玄上の妻ではなく娘…伊勢より年下、藤原玄上女として『後撰集』に歌が有る」「消息…動静…現状…今夜中に方違えのため何処そこへ行きますなどという事」。
「雲井…雲居…宮中…頂点」「相語らわぬ…親しく話したことがない…情けを交わさない…和合しない」「月…大空の月…月人壮士…貴女の父君…男…おとこ」「やど…宿…家…やと…や門…屋戸…おんな」「見ず…見た事無い…有り得ない…全く無い…『拾遺集』では最後の二字、『なし』に変えられてある」。
歌の清げな姿は、大空の月でさえ隈なく照らし、わが家にもさし入るものを。親しくない父君でさえ立ち寄るでしょうに。
心におかしきところは、有頂天に上げてくれないつき人おとこでさえ、わがいへの門には立ち入るものを、見ないけど。
妹をたしなめるように、心におかしい返歌を書いて、使者に手渡したのだろう。
今の人々は、「雲井」が宮中という意味でも有る事は知っているのに、なぜ、「月」「ひかり」「よ」「宿」「見」に「言の心」や「戯れの意味」が無いと決めつけてしまうのだろう。そうして、「掛詞」や「縁語」という概念で解く歌には、「心におかしきところ」がない。それは優れた歌で無い以前に、和歌ではなく、ただの文句である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。