帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百八十九)(四百九十)

2015-11-07 00:06:32 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

とち ところ たちばな                すけみ

四百八十九  おもふどちところもかへずすみへなむ たちはなれなば恋しかるべし

とち ところ たちばな               (藤原輔相・物名の歌の名手)

(思い合う者どうし、所も変えず住み、過ごしていたい、たち離れたならば、恋しいだろう……思い合う伴侶、和合の極みで・変わることなく、す見て過ごしたい・すごすぞ、絶ち離れたら乞いしがるだろう)

 

言の戯れと言の心

「とち・ところ・たちばな…植物の名、音を借りただけのこと、歌の清げな姿に植物の紋様が付いている」。

「どち…同士…友…伴…伴侶」「ところ…所…住所…処…山ばの頂上…宮こ」「すみ…住み…す見」「す…洲…おんな」「見…覯…媾…まぐあい」「なむ…その情態の実現への強い意志を示す…したい・しよう」「たち…接頭語…出で立ち…絶ち」「恋し…乞いし…求める」「べし…推量の意を表す…するだろう…確実な推測を表す…きっとする」

 

歌の清げな姿は、竹馬の友とは同じ里で孫ができても共に遊びたいものだ。

心におかしきところは、思い人と和合したまま山ばの峰でいつまでも過ごしたい。

 

 

さはやけ                    (すけみ)

四百九十   春風のけさはやければうぐひすの 花のころもはほころびにけり

さはやけ                    (藤原輔相・物名の歌の名人)

(春風が今朝速く吹いたので、鶯の花の・梅の花の、衣はほころびて・つぼみは花開いて、しまったことよ……春情の心風が、今朝・帰りがけに、はげしく吹いたので、春告げる女の衣は、再び・開いてしまったなあ)

 

言の戯れと言の心

「さはやけ…野菜の名という・詳細不明」。「春…季節の春…春情」「風…季節風…心に吹く風…厭き風や心も凍る寒風もあるがここは春情の風」「けさ…今朝…男の帰る時」「うぐひす…鶯…春告げ鳥」「鳥…言の心は女」「花…美しい女花…男木の花」「ころも…衣…心身を包んでいる物…心身の換喩」「ほころび…破綻…つぼみが開く…身も心も開く」「に…ぬ…完了」「けり…詠嘆」

 

歌の清げな姿は、春風、清々しい朝、鶯、梅の花のほころび、春の風情。

心におかしきところは、朝、両人に吹いた激しい春情の心風、花の衣のすそを吹き返す。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。