帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百二十八)(五百二十九)

2015-11-30 00:08:26 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄

 

 

拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首

 

橘のただもとが人のめにしのびてものいひはべりけるころ、とほき

所にまかり侍りとてこのをんなのもとにいひつかわしてはべりける

 ただもと

五百二十八  わするなよほどは雲井になりぬとも そらゆく月のめぐりあふまで

橘の忠幹が人の妻に忍んで情けを交わしていた頃、遠い所にやって来たとて、この女の許に言い遣った、(橘忠幹)

(忘れるなよ、隔たりは雲の居るところほどになったとしても、空行く月が巡って、今日の月に合うまで・一年だ……他の人と・和するなよ、ほとは煩悩の井とになってしまっても、空々しく逝くつき人おとこが、巡って満月となって合うまでは)

 

言の戯れと言の心

「わするな…忘れるな…和するな…和合するな」「ほど…距離…隔たり…ほと…陰…おんな」「雲…煩わしくも心に湧き立つもの…煩悩…情欲など」「井…居…在る…井…おんな」「ぬ…しまう…しまった…完了の意を表す」「そらゆく…空を行く…空々しく逝く」「月…空の月…つき人おとこ」「あふ…逢う…合う…和合する」

 

歌の清げな姿は、伊勢物語の業平が京を逃れ東へ下るの時、友人たちに宛てた歌そのまま。これが歌の姿。隠れ蓑でもある。

心におかしきところは、聞き耳のある女には、男の心は充分に伝わっただろう。

 

 

題不知                         貫之

五百二十九  としつきはむかしにあらず成りぬれど 恋しきことはかはらざりけり 

題しらず                        紀貫之

(年月は、過ぎて・昔のままではなくなるけれど、あなたが・恋しいことは、変わりないことよ……疾し突きの尽きは、武樫ではなくなってしまうけれど、あなたが・恋しいことに変わりはないことよ)

 
言の戯れと言の心
 
「としつき…年月…歳月…疾し突き・疾し尽き…早過ぎる尽き」「むかし…昔…以前…武樫」「ざり…ず…ない…打消し」「けり…気付き・詠嘆」

 

歌の清げな姿は、歳月経ても変わらぬ愛。

心におかしきところは、早くも身は尽きてしまっても、きみ恋しい心は変わらない。


 
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 「優れた歌」について、藤原俊成は『古来風躰抄』で、次のように言う。

 

歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし
 
艶(えん)、現代の古語辞典を頼りに訳せば、「あでやか・なまめかし・優美・妖艶・美しくて相手をひきつける魅力にあふれているさま・感覚的官能的な美しさ」である。また、「あはれ」は、「しみじみとした風情が有る・かわいい・いとしい・かわいそう・悲しい・さみしい」となる。これで、俊成の歌論が解けるわけではない。俊成の撰んだ優れた歌を読んで、上のような感慨が心に伝わるかどうかが肝心である。こころみに、わかり易さのために男女の愛の贈答歌を読む。『古来風躰抄』上にある歌、万葉集巻第二、

大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首

あしひきの山のしづくに妹待つと われたち濡れぬ山の雫に

(……あの山ばの、した垂れに・し尽くときに、あなたを待っていると、われたちまち濡れてしまった、山ばの雫に)

石川郎女の和し奉る歌一首

われまつと君が濡れけんあしひきの 山の雫にならましものを

(……上りくる・わたしを待って、君は濡れたのねえ、あの山ばの、貴身の・雫により、成り上がればよかったなあ)


 「清げな姿」は略す。浮言綺語のような戯れは「山…山ば」「しづく…雫…垂れる…しつく…肢尽きる…おとこ尽きる」「山の雫…秋色の葉の落ちるさま…夜露朝露の雫…山ばのおとこのなみだ」。参考「に…時に…のために…により」「まし…だったらよかった…なるつもりだった」「ものを…のに…のになあ」。