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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第十 雑下 八十三首
屏風のゑに、法師のふねにのりて侍りける所に 中納言道綱母
五百二十四 わたつみはあまのふねこそ有りときけ のりたがへてもこぎてけるかな
屏風の絵に、法師が舟に乗っているところに (中納言道綱母・右大将道綱の母・蜻蛉日記の著者)
(海原は、海女の舟が有るとは聞いていた、乗り違えても・法師が乗っても、漕いでいることよ……をうな腹は、女の夫ねが有り門利く、のり違えても・ほ伏しでも、おし進んでいることよ)
言の戯れと言の心
「法師…ほ伏し…お伏し」。
「わたつみ…海…言の心は女…海原…女腹…綿津身」「あま…海人…海女…女…妻」「ふね…舟…男…夫根…おとこ」「ときけ…と聞いている…門利いている…門効いている」「と…門…み門…おんな」「のりたがへ…乗り間違え…のり間違え」「のり…乗り…調子づき…勢いづき」「こぎて…漕いで…ふねを進めて」「かな…感動の意を表す」。
歌の清げな姿は、屏風絵についての感想。
心におかしきところは、たぶん寝所の屏風に書きつけた。不満の表明か、利けと励まされたか、効くとの感動か。
題不知 読人不知
五百二十五 名のみして山はみかさもなかりけり あさひゆうひのさすをいふかも
題しらず (よみ人しらず・拾遺集は貫之・男の歌として聞く)
(名だけで、山は三つの傘もないことよ、朝、夕の日が差すを言うのかも……名だけで、山ばは三つ重ねはないことよ、朝ひ、夕ひ、夜も思火の・挿すのを言うのかも)
言の戯れと言の心
「山…三笠山…三重なるやま」「山…山ば」「あさひゆうひ…朝日夕日…朝火夕火…とうぜん夜火を加えて三つ…これなら、はかない、おとこのさがでも可能かも」「日…日射し…火…情の燃える火…心には火さえ燃えつつ(万葉集にある)」「さす…差す…射す…挿す」。
歌の清げな姿は、みかさ山の名を問う、三つ重なる山か、三笠の山か、三傘の山か、朝昼夕日の差す山か。
心におかしきところは、三つ重なる山ばは名だけ、夕、夜、朝の三つ、情熱の火を燃やし挿すというのかも。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
公任のいう「心におかしきところ」について疑問のある方は、下の小文をお読みください。
歌を字義通りに聞き、掛詞や縁語を指摘されても、決して「心におかしきところ」は表われない。歌言葉の戯れの中にだけ顕れる。これは、人の生の心であり、カタカナで言いかえれば、エロス(性愛、生の本能)である。これこそが和歌の真髄であり命である。それを、曲がりなりにも「帯とけの」では解き明かしてきた。
このような「歌の様」については、藤原俊成「古来風躰抄」に、次のように教示されてある。「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れ(る)」と。「これを縁として仏の道にも通はさんため、且つは煩悩即ち菩提なるが故に」俗間の経書と同じだ、と云う。すでに、歌に顕れた「心におかしきところ」を見て来たわれわれには、充分に理解できる論旨である。また、「煩悩」を歌に詠めば、それは即ち、菩提(一つの悟りの境地)であるということは、歌詠む人や解き明かす者にとっては救いである。