■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
かにひのはな 伊勢
四百八十三 わたつみのおきなかにひのはなれいでて もゆとみゆるはあまつ星かも
かにひの花 (伊勢・宇多帝の御時の人・古今集女流歌人の第一人者)
(海原の沖中に日の離れ出て、燃ゆると見えるのは、天つ星かも……をうな腹の奥中に、ひの離れ出て、燃えていると見えるのは、吾間つ欲しかも)
言の戯れと言の心
「かにひのはな…かにひの花…知らない花の名だが、枕草子(草の花は)に、色は濃からねど、藤の花といとよく似て、春秋咲くがおかしきなりとある…草の花…女花」。
「わたつみの…海の枕詞…海神…海原…大海原…をうな腹」「おき…沖…奥…女…をんな」「ひ…日…陽光…火…彼」「もゆ…燃ゆ…萌ゆ…情念の炎」「み…見…眺望…覯…媾…まぐあい」「あまつ…天津…あまの…女の…吾間の」「つ…の…所属の意を表す」「星…夜明けの星…金星かも…欲し…情欲」「かも…疑いの意を表す…感動・詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、暁、しだいに白らみはじめるころ、海原にでる、燃えるような一筋の光。
心におかしきところは、暁、彼の離れでるとき、燃ゆ見ゆるは、あまの情欲かあゝ。
公の歌集 拾遺集では、第五句、あまのいさりか(海人の漁火か)とされてある。生々しさは少し減らされたが、「花の色濃きを見すとて、こきたるが、おろそかにも男は思うものだなあ」という女の情念の表出という趣旨に変わりは無い。
をみなへしといふ事をくのかみにおきてよみ侍りける 貫之
四百八十四 をぐら山みねたちならしなくしかの へにけん秋をしる人ぞなき
をみなへしという、事を・言を、句の頭において詠んだ (紀貫之・和歌中興の祖・万葉集の人麻呂、赤人を歌のひじりと仰ぎ見た人)
(小倉山、峰たち均し鳴く鹿の、経たであろう、秋を・年の数を、知る人はいないことよ……小暗い山ば、峰に立ち均し・み根を絶ちならし、汝身唾流す、さ男肢下の経たであろう飽きを、感知する・汁、女はいない)
言の戯れと言の心
「をみなへし…女郎花…草花…女花の名…名は戯れる。をみな圧し、をみなおさえつけ」。
「をぐら山…小倉山…山の名…名は戯れる。お暗山、小暗い山ば」「暗し…未熟な…もの事に通じていない…不足したところがある」「みね…峰…頂点…身根」「たち…立ち…断ち…絶ち」「ならし…鳴らし…均し…平らにし…山ばでなくし」「なく…鳴く…泣く…涙流し…汝身唾流し」「しか…鹿…肢下」「秋…飽き…厭き」「しる…知る…感知する…汁…濡れる」「人…人々…女」。
歌の清げな姿は、小倉山に鳴く鹿の経過した年の数を思う。
心におかしきところは、小暗い山ばも絶ち均し、なみだ流す、し下の飽きの果て、愛でたし。しかし、しるおんなはない。
この歌、拾遺集には「雑賀」にある。なにはともあれ、愛でたくて祝うべきことを、詠んだ歌にちがいない。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。