情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

EPR実験はミステリーではない!

2019-05-12 15:43:58 | 情報と物質の科学哲学
シュレーディンガーは、観測問題に対するコペンハーゲン解釈の欠陥を突くために
量子状態の絡み合い量子もつれエンタングルメント)という概念を提唱しました。

量子力学の不完全性を突くためにアインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンは、
次のような思考実験(EPR実験)を提出しまた:

絡み合う量子状態にある二つの量子を反対方向に送出する粒子源があります。
粒子源から離れた所にある測定器(AとB)は、二つの粒子の量子状態(スピンや偏光)を
測定します。
但し、粒子源/測定器の三者間には通信手段がないとします。

測定器Aが測定した値をα、測定器Bが測定した値をβとします。
(1)二つの粒子は絡み合い状態にあるので、
(2)Aが測定値αを出した瞬間に(Bが測定する前でも)自動的にβも確定します。
逆も同様です。

これらは、量子力学による理論的帰結です。
この状況を量子状態の絡み合いと言います。

アインシュタインらは、次のように主張しました:
EPR実験は、通信手段のない粒子源/測定器の三者間に何らかの遠隔作用がないと
不可能だ。
遠隔作用は、量子力学でも認められない。
遠隔作用を仮定しないと得られないEPR実験は、量子力学が不完全であることを示す。

EPR実験と同じ性格を持つ実験結果は、量子力学の予想通りでした。
恰も気味の悪い遠隔作用(エーレンフェストによる表現)が存在しているように見えます。

これらの状況を量子のミステリーと呼ぶことがあります:
マーミン(町田茂訳) 『量子のミステリー』、丸善(1994)

測定器Aの操作と測定器Bの操作は独立なので、両者に力学的な因果関係は
存在しません。
それにも関わらず、
(1)AとBにおける実験結果をある形式で表現したものを分析すると
(2)そこに強い相関関係があるのです。

(1)Aの測定結果とBの測定結果を力学的因果関係で結びつけて考えると
(2)気味の悪い遠隔作用が存在している錯覚に陥ります。

しかし、
(1)二つの測定結果の強い相関は測定器間の力学的因果関係によるものではなく
(2)測定器間の位相的(空間的)な関係(二つの偏向板の相対角度など)によるものです。

EPR実験結果に気味の悪い遠隔作用や非局所性などのミステリーを感じる必要は全く
ありません。

アインシュタインやボームら量子力学不完全派は、
「量子状態は観測に無関係に確定している筈だ」と主張しました。
量子力学には発見されていない隠れた変数があるというのです。

ベルは、もし隠れた変数があるなら成り立つべき不等式を発見しました。
この不等式は数学的に導かれるもので、物理学とは無関係なものです。

アスペらは、量子の絡み合いを利用した実験でベルの不等式を検証しました。
その結果、
(1)ベルの不等式は成り立たない
(2)隠れた変数は存在しない
ことが実証され、量子力学の正しさが改めて確認されました。
つまり、量子力学が不完全ではないことが証明されたのです。

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量子測定はどの段階で終了するのか?

2019-05-12 14:37:23 | 物理学・量子力学
粒子検出前の領域には粒子に関する物質現象は何もありません。
この領域における粒子の状態は未確定で、それを記述するのは波動関数のみです。
 
測定前と測定後におけるこのような質的違いは、量子力学特有のものです。
古典力学では、測定前と測定後の何れにおいても物質現象は存在します。
 
測定器以降の領域に対して波動関数を適用すると次の困難が生じます:
観測者や測定器と観測者を含む外部世界を波動関数の対象としなければ
ならないからです。
理論的には可能かも知れませんが意味のある結果は出ません。
そもそも、方程式を解くための初期条件が決まりません。
 
観測問題の研究者が波動関数の対象をどの範囲にするのかは恣意的です:
並木美喜雄『量子力学入門-現代科学のミステリー-』、岩波新書210(1995)
 
ハイゼンベルクは、測定過程に関して次のように説明しています:
(河野、富山訳)『現代物理学の思想』、p.33、みすず書房(新装版1989)
 
測定前: 可能性の世界(波動関数による記述)
測定後: 現実の世界

そして、「可能」から「現実」への移行が観測をしている間に起こる。(引用終わり)
 
この説明は、測定前と測定後の事象全体を時間の流れと共に捉えています。
しかし、測定前の領域に対して流れる時間を適用することはできません。
何故なら、測定前の領域に対する記述は複素数である波動関数という抽象的な記述
だからです。
測定前の抽象的な記述に対して流れる時間を適用することはできません。
 
従って、「可能」から「現実」への移行というハイゼンベルクの主張には無理があります。
この主張が観測問題や解釈問題という擬似問題をもたらしたのです。
測定前の非物質的事象と測定後の物質現象とは分離して議論すべきです。
  
粒子の検出過程は、以下の三つからなります:
(1)検出前に関する部分
 波動関数による抽象的説明です。
 最も簡単な場合、二つの状態ベクトル(複素ベクトル)が重なった状態です。
 ここに流れる時間を適用することはできません。
 
(2)検出現象に関する部分
 検出器はマクロな物質なので波動関数による説明は事実上不可能です。
 最も簡単な場合、二つの状態ベクトルのいずれかに対応する物質現象が生じます。
 
ここで注意すべきことは、観測者の有無は(1)(2)については関係ないことです。
 
(3)検出信号発生に関する部分
 二つの異質な説明が必要になります:
  (イ)信号発生の物質現象に関する物理的説明
  (ロ)信号が運ぶ検出情報に関する情報的側面
 
観測者の存在は、(ロ)の検出情報の読取りの場面で初めて関係します。
観測者が検出現象(2)に直接影響することは不可能です。
 
ノイマンやウィーグナーらは、検出過程がこれら異質な部分から成ることを無視しました。
その為、測定に主観あるいは意識の関与を持ち込み、観測問題に無益な混乱をもたらしたのです。
 
物理学者は、測定器以降の現象も物理理論のみで説明できると錯覚しています。
しかし、別のブログで説明したように測定値は情報概念であり、この概念は物理学の
説明対象から逸脱しています。

「量子現象の測定がどの段階で終了するのか」は、観測問題に関係します:
町田茂
 『量子論の新段階-問い直されるミクロの構造-』、フロンティア・サイエンス・シリーズ、
  丸善(1986)
 
物理学者は、測定器における物質現象については詳細に分析しています。
しかし、測定器が物質現象として情報を定義し創発していることへの理解が
ありません。
そのため測定がどの段階で終了するのかについて見解が分かれるのです。
 
測定と測定値の読取りは別の行為です:
(1)測定結果を何らかの媒体に記録したり遠隔地に送信したりする場合
(2)測定値の読取りがいつ、どこで、誰によって、どのようになされるのかは
観測者の都合で決まります。
 
このような状況を想定すると、
「測定器から測定値情報が出力された時点で測定は終了する」
と考えるのが合理的です。
 
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「波動関数=粒子情報波」「波束の収縮=粒子情報の収縮」説

2019-05-11 17:04:37 | 情報と物質の科学哲学
次の事実に注目します:
(1)基本粒子には本質的に確率的性質がある。
(2)粒子を記述する波動関数ψは、粒子の物理量や物質的属性ではない。
(3)ψは、粒子の確率的性質を反映している。
(4)確率は、測定と不可分の関係にある。
(5)測定は、情報を創発する
 
波動関数ψは、粒子の粒子的性質および波動的性質に関する未確定情報を表現する波です。
そこで、波動関数ψを量子情報波と名付けます。
波動関数は量子状態の情報を担うので、実体を連想させる波束の収縮という用語の代わりに
量子情報の収縮という用語を使うことを提案します。
そうすれば波束の収縮についての無用な議論は無くなるでしょう。
 
(測定前) 量子情報波は広い空間における量子状態の確率的情報を担う
(測定後) 情報の収縮により一つの測定値情報が確定する
 
粒子情報波仮説のもとでは
(1)粒子は観測前には未確定情報を持つ物質として存在し、
(2)観測後に確定した情報を持つ物質として存在します。
 
この見方は、アインシュタインがパウリに対して言った
「月は見ていないときには存在しないのか」
という問に間接的に答えています。
 
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量子力学に潜むカテゴリー錯誤の数々

2019-05-10 10:34:58 | 情報と物質の科学哲学
大多数の物理学者は、素朴な唯物論者です。
そのため、下記にあげるような数々のカテゴリー錯誤を犯しています。
物理学者は、そのことに全く無頓着です。
 
 カテゴリー: 「範疇」ともいう。認知過程全般に介在する内的表現の要素。
「概念」との関係では、一般に、内包(所属事例に共通する性質)によって定義する場合に「概念」、
外延(所属事例そのものの集合)によって定義する場合に「カテゴリー」と使い分ける。
すなわち、「概念(意味内容)」が「カテゴリー(事象の分類)」を指示する。
(日本認知科学会編『認知科学辞典』、共立出版(2002))
 
カテゴリー錯誤カテゴリーミス): 二つの異なるカテゴリーを同一のカテゴリーのものとして扱うこと。
例えば、
ヒト(種のカテゴリー)と山田一郎や鈴木二郎(個人のカテゴリー)とを同一のカテゴリーものとして扱うこと。
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(1)波動像と粒子像の矛盾は物理的錯覚
 
波動関数の確率解釈を提唱したボルンの著書
(三木忠夫訳)『物理学の変革をめぐって』、東京図書、pp.48-49(1973)<BR>
から引用します:
 
量子論の基礎は、エネルギーと振動数が互いに比例するという、プランクの関係(E=hν)にある。
しかし、この”量子仮説”にはもともと不合理な点がある。
(1)エネルギーという概念は一つの粒子(光量子とか電子とか)に関するもので、
  空間的ひろがりのごく小さい物体に関する概念である。
これに対し、
(2)振動数という概念は波動に関するものであるが、
  波動は必然的に空間の大きな領域を満たすものである。
従って、一つの粒子のエネルギーと、一つの波の振動数を等しいとおくこと自体が
全く非合理なのである。
(引用終わり)
 
プランクの関係を非合理としたボルンの考えは以下の理由で間違いです:
E=hνという等式は、
(1)エネルギーと”波動が概念として同じである”ことを意味するのではなく
(2)エネルギーEとhνが”量的に同じ”であることを意味するだけなのです。
 
従って、プランクの関係は粒子が”局所的にあると同時に拡がっている
ことを意味するのではないのです。
 
アインシュタインの有名な式E=mccも同様です:
(1)エネルギーと質量が概念として同じであることを意味するのではなく
(2)エネルギーEとmccとが量的に同じであることを意味するだけです。
 
E=hνあるいはE=mccは「等価式あるいは換算式」として理解すべきものなのです。
 
(1)粒子的性質は、粒子の衝突という物質現象として直接現れますが
(2)波動的性質は物質現象として直接現れることはありません。
波動的性質は、多数の粒子による干渉縞として間接的に現れるのです。
1個のみの粒子では干渉縞は現れません。
 
これらの事実は、電子の波動的性質と粒子的性質はカテゴリーが違うことを示します。
電子の波動的性質と粒子的性質とを矛盾として捉えるカテゴリー錯誤です。
量子力学における波動像と粒子像とはカテゴリーが違うので対立する概念ではありません。
 
ボーアやハイゼンベルクらは、電子に備わる波動像と粒子像とを矛盾すると考えました。
これを解決するために
(1)ボーアは、二つの像を相補的に理解すべきことを提案し(相補性原理)
(2)ハイゼンベルクは、不確定性原理によってこの矛盾を解消できるとしました。
 
しかし、カテゴリーの違うものに対して矛盾する、しないを議論するのは
論理学的に無意味です。
粒子の波動像と粒子像とを矛盾として捉えるのは物理的錯覚に過ぎません。
 
量子力学では次のように関係付けています:
粒子的性質 ⇔ 局所性
波動的性質 ⇔ 非局所性
このような捉え方をするから粒子像と波動像が矛盾するのです。
 
波動関数が複素数であることを考慮して次のように理解すべきなのです:
粒子的性質 ⇔ 物質的局所性
波動的性質 ⇔ 情報的非局所性
こうすれば粒子像と波動像の矛盾は解消できます。
量子の絡み合いも違和感なく理解できます。
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(2)-波動関数ψの重ね合わせは物質的干渉ではなく情報的干渉-
波動には重ね合わせの原理が成り立つという特異な性質があります。
これを用いると電磁波の干渉や回折現象を力学的に説明できます。
 
シュレーディンガー方程式の波動関数ψも波動方程式を満たします。
量子力学は、二重スリット実験における電子の干渉縞をこの原理で説明します。
 
しかし、電磁波における波動の重ね合わせと波動関数における重ね合わせは本質的に違います:
(1)電磁波の場合には電場および磁場という実体(測定できる物理量)があるので、
   波動の重ね合わせは力学的現象(物理量の加減算)として理解できます。
一方、
(2)波動関数ψは複素数なので対応する実体はありません。
   波動関数の重ね合わせは、単に複素ベクトルの加減算に過ぎません。
(3)更に、波動関数ψには確率的性格もあるのです。
 
これらの性格をもつ波動関数の重ね合わせを力学的に解釈することは全く無意味です。
力学的なイメージを伴う干渉という用語を複素ベクトルの加減算に用いるのは不適当です。
 
量子力学における波動関数の重ね合わせや干渉は
(1)物質的現象を意味するものではなく
(2)量子現象に関する情報の重ね合わせとして理解すべきものです。
 
しかも、物理学者は確率の干渉という数学的に意味不明な用語を平気で用いています。

光が波動であることを証明したヤング干渉実験があります。
これを光子に対して扱うには場の量子論が必要になります。
光子にはシュレーディンガー方程式が適用できないからです:
佐藤文隆『アインシュタインの反乱と量子コンピュータ』、
”光子によるヤング干渉の誤解を正す”、京都大学学術出版会(2009)
 
量子力学に潜むカテゴリー錯誤(3)- ボーアの量子条件に対する「物質波による説明」は物理的虚構-
 
量子力学の教科書に物質波(ド・ブロイ波)を用いてボーアの量子条件を導く説明があります。
世界的名著である朝永振一郎の教科書も例外ではありません。
 
ド・ブロイは、電子の波動性を担う物質波の安定性の概念でボーアの量子条件を導きました。
そのことで”物質波は実在する”と確信しました。
しかし、この説明も量子力学におけるカテゴリー錯誤です。
 
電子軌道が離散的になるというボーアの量子条件を次のように説明します:
円周上の軌道で電子が安定して存在するには電子の物質波が定常波でなければならない。
何故なら、定常波以外の波動は不安定なため減衰するから。
 
これは、非物質的な理由によって物質現象を説明しています:
(1)複素数である物質波が定常波になるから(非物質的原因
(2)電子がボーアの量子条件を満たす離散的軌道で安定して存在する(物質的結果)。
 
この種の説明が正しいのは、電磁波、弦、円板のような物理的振動の場合に限ります。
 
物質波による説明は「善意の偽り」pia fraus;クライン『19世紀の数学』、p.1、
共立出版(1995)でしょうか。
 
量子力学の哲学をやさしく説明した本が出ました:
森田邦久
 『量子力学の哲学-非実在性・非局所性・粒子と波の二重性』、講談社現代新書2122(2011)
 
 観測問題、解釈問題に関する説を多数紹介しています。
 説明が丁寧で数式も殆どないので、文系の人でも読めます。
 科学哲学を関西弁で軽妙洒脱に説明するのも魅力です。
 
この本で非常に不満な点を敢えて挙げると:
(1)「状態ベクトル(波動関数)は本質的に複素数である」ことの説明がありません。
   状態ベクトル(波動関数)に対応する物質的状態が実在するかのような印象を与えます。
   これは、物理学者に共通する認識であり、実にミステリアスです。
(2)量子力学における「波」と古典力学における波が本質的に違うことの説明がありません。
   粒子と波の対立を古典力学と同じ視点で捉えています。
   これも状態ベクトル(波動関数)が複素数であることを説明しないことに依るものです。
 
基本粒子の波が複素波であることを理解しない限り粒子の波動的性質や波動的振る舞いに関する
混乱はなくなりません。
 
 
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不規則現象による時間の定義

2019-05-09 10:54:18 | 情報と物質の科学哲学
個々の量子現象は、不規則かつ独立的に起こります。
この不規則な現象は、ポアソン過程と呼ばれる確率過程です。
放射性元素崩壊の過程もポアソン過程です。
 
ポアソン過程を解析すると、放射性元素崩壊の半減期を正確に導けます。
半減期とは放射性元素集団の半分が自然崩壊するまでの時間です。
 
(1)放射性元素集団で自然崩壊する元素の個数をカウントし、
(2)崩壊した元素の割合を計算すれば不規則現象に基づく時間を定義できます。
この際、カウントする操作は時間概念と無関係なことに注意して下さい。
 
この定義は、ニュートンの時間ではありません。
個々の元素崩壊は予測不可能なため、そこにニュートンの時間概念は適用できません。
 
 
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