情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

時間の矢とエントロピー

2019-05-09 08:59:24 | 情報と物質の科学哲学
「一方向に流れる時間」「時間の矢」という概念があります。
「一方向に流れる時間」は、「一様に流れる時間」とは無関係です。
 
一方向に流れる時間」は、物質現象の不可逆性非可逆性)を意味します。
 
不可逆現象の典型は熱現象です:
外部から遮断された環境の中で温度が異なる二つの物体を接触させると
(1)温度の高い物体から低い物体へ熱(運動エネルギー)が一方的に流れていき
(2)最終的には二つの物体の温度が同じ熱平衡状態になります。
逆に、
(1)同じ温度の二つ物体を接触させた場合
(2)どちらかの物体に一方的に熱が流れることは決してありません。
 
熱現象は、物体を構成している分子集団の運動によるものです。
分子集団における個々の分子が激しく運動すればするほど温度も高くなります。
 
熱統計力学の創始者の一人で原子論の闘志ボルツマンは、
「外部から遮断された系のエントロピーは時間の経過と共に増加する」
という有名なエントロピー増大則を証明しました。
このエントロピーは、測定できる物理量です。

ボルツマンのエントロピーにはもう一つの性格があります:
分子集団の無秩序の度合いを表す統計量であることです。
 
エントロピーは
(1)集団の状態が無秩序になるに従って増加し
(2)集団の状態が秩序化されるに従って減少します。

水が入ったコップに一滴の青インクを入れると
(1)一箇所にあった青インク(エントロピー最小)が時間の経過と共に水中に拡散し
(2)最終的には水全体が薄い青色になります(エントロピー最大)。
 
温度の違う二つの物体を接触させる場合、
(1)初期状態のエントロピーが最小で
(2)最終的に同じ温度になった状態のエントロピーが最大です。
 
状態の秩序の度合いという観点から見ると、
(1)インクを入れた初期状態
(2)異なる温度の物体を接触させた初期状態
の秩序の度合いは最大(無秩序の度合いは最小)です。
 
一方、
(1)コップの水全体が薄い青色に染まった最終状態
(2)二つの物体の温度が同じになった最終状態
の秩序の度合いは最小(無秩序の度合いは最大)です。
 
ところで、
(1)分子集団における個々の分子もニュートンの運動方程式を満たすので、
(2)エントロピー増大則は運動方程式の時間対称性と矛盾します。
 
そのため、この法則を巡って物理学史上稀に見る激しい論争が起きました。
結局、
(1)エントロピーが統計的概念であることを考慮すれば
(2)エントロピーの増加は運動方程式の時間対称性と矛盾しない
という解釈に落ち着きました。
 
エントロピーが時間の経過と共に増加するということから物理的時間に関して
一方向に流れる時間=時間の矢
という概念が生まれました。
 
「時間が一方向に流れる」という言い方は、時間が実在することを連想させます。
しかし、時間は物質的実在ではありません。
 
「物質現象が一方向に変化する」
「エントロピーが増大する方向に現象が変化する」
と言うべきです。
 
因みに、
(1)振り子のように現象が周期的に変化するだけなら
(2)それに対応して時間も進んだり戻ったりすると考えるのが合理的です。
 
周期的現象に一方向に流れる時間を使うことは、オッカムの剃刀にも反します。
 
物理学で往復する時間を使わないのは、自然現象の多くが周期現象でないからです。
 
(1)全く変化しない現象や
(2)熱平衡にある気体のように完全にランダムな現象に対しては
時間の概念を適用すること自体無意味になります。
 
従って、時間の矢という概念は絶対的なものではなく相対的かつ便宜的なものです。
 
エントロピーという概念には情報理論と熱統計力学のものがあます:
情報理論のエントロピーは、平均情報量を意味する確率概念です。
熱統計力学のエントロピーは
(1)統計的量である点では情報理論のものと同じですが
(2)測定できる物理量であるという点で情報理論のものと違います。
 
エントロピーが無秩序性の度合いを表している点では熱統計力学と情報理論で同じです。
更に、両者は符号が異なる点を除けば同じ形式で定義されます。
両者は、同じものだと主張する人が居る一方、違うものだと主張する人も居ます。

測定に関わる物質現象は、絶対不可逆過程になります。
この事実から、観測問題を新しい視点で決着することができます。
→情報概念を用いた観測問題の決着のブログ

「時間の矢」という言葉は、天体物理学者エディントンによります。
一般相対論で予言される重力による光の湾曲を確かめるため日食観測隊を指揮し、
アインシュタインの予言を実証しました。
 
このニュースは世界中を駆け巡り、アインシュタインを一躍世界的有名人にしました。
エディントンは、弟子チャンドラセカールがブラックホールを予言したことを
意地悪く批判しました。
 
そのことでブラックホールの発見は何十年も遅れてしまったのです:
アーサー・I・ミラー(阪本芳久訳)
 『ブラックホールを見つけた男』、草思社(2009)
文章(訳)が巧みで読者がその場にいるような印象を与える好著です。
科学者といえどもいかに世俗的なものであるかがよく分かるお薦めの一冊です。
 
水爆の開発がブラックホールの研究につながったことにも驚かされます。
宇宙論に関する研究は、相対論、量子論、トポロジー等に関する超難解な
知識が不可欠であり、それらを縦横に駆使して研究を進める科学者の頭脳には
ただただ感嘆するほかありません。
 
一般相対論についての最近の研究を解説した興味深い雑誌があります:
『重力波・ブラックホール 一般相対論のいま』、別冊日経サイエンスNo.215(2016-10)
 
アインシュタインは当初ブラックホールの存在を認めませんでした。
しかし、近年になって重力波やブラックホールに関する研究が盛んになっています。
同誌にはアインシュタインの経歴にも触れた記事もあります。
彼は、天才中の天才という呼ばれ方をされています。
 
それは間違いないのですが、家庭運には恵まれず離婚や二人の子供との離別も経験しています。
そのような苦境の中、数学の巨峰ヒルベルトと一刻を争いながら一般相対論を仕上げたというのは正に超人です。
 
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!
 

時間とは何か 新しい時間論 時間は情報概念である!

2019-05-08 15:50:12 | 情報と物質の科学哲学
「時間とは何か」に関しては、「心とは何か」と共にギリシャ時代から議論が絶えません。
一般の人にも関心があるので多くの本が出ています:
 
松田卓也、二間瀬敏史
 『時間の本質をさぐる-宇宙論的展開-』、講談社現代新書、講談社(1990)
 
入不二基義
 『時間は実在するか』、講談社現代新書、講談社(2002)
 
吉永良正編
 『時間とは何か』、別冊日経サイエンスNo.180(2011)
 
時間の概念は、子供の頃から経験的に無意識に習得するので心の隅々に染み込んでいます。
そのため、
(1)「時間の流れ」や「時間の矢」の直観を心の中から取り除くことは不可能であり
(2)恰も時間という実体があるように錯覚します。

物理的時間は物理量ですが、物質の質量や電荷などの物理量と違い物質の属性ではありません。
これが時間概念の際立った特徴であり、そのため極めて難解なものになっています。

ところで、
(1)時計で振り子の周期を計る場合と
(2)秤で石の質量を計る場合とでは
「計る」という言葉の意味が全く違うことに注意すべきです。

(1)前者は振り子の往復運動という変化する現象(コト)の属性を計っているのに対し
(2)後者は石の質量というモノの属性を計っています。

そこで、
時間は変化する現象の情報的属性である」「情報は情報概念の一種である」
という「時間=情報を提唱します。
この説は、時間には実体がないことを含意します。

時間は、物質と同じ仕方でこの宇宙に実在しているものではありません。
「時間は実在するか」という問いに対しては「時間は情報的実在である」と答えます。

時間を情報概念として定義すると、時間が持つ様々な性格をうまく説明できます:
(1)情報にはシステム依存性があるので
(2)物理学、脳科学、心理学、社会学、歴史学、生物学、動物の種や個体
などのシステムにそれぞれ固有の時間概念を措定することが可能になるからです。
(3)時間概念の定義に「周期性」という時間に関係した概念を用いる同語反復を避けられます。

「時間=情報」説は直ちに「空間=情報に拡張できます。
時空間は光伝播によって決まる幾何学的存在ですから「時空間=情報」説は合理的です。

時間や空間それ自体が物質に作用することは決してありません。
このことも「時空間=情報」説を裏付けます。

「時間=情報」説は、時間論の様々な混乱を解消する時間論のコペルニクス的転回と言えます。

相対論の本には「空間が物質の運動に影響する」という初心者に誤解を与える説明があります。
物質の運動に影響を与えるのは空間そのものではなく重力場や電磁場なのです。
時間および空間という概念は、自然現象を整合的に記述するために物理学者が導入したものです。
 
「時間=情報」説によれば時計は
(1)「時間という実体を計る」機械ではなく
(2)「時間情報を定義して出力する」機械になります。
 
言い換えると、時計は物質現象を利用して時間情報を定義して出力する機械です。
これを「時計=時間を定義して創発する機械」説と名付けます。
物質による情報の定義と創発の例になります。
ディジタル時計は、生成された時間情報を文字盤などの情報表現物質で出力します。
 
アナログ時計にはこの情報表現物質はありません。
時計の針と文字盤を人が見て時間情報を得ます。
 
「時間=情報」説の妥当性を述べます。
(1)時計を用いて時間情報を生成し
(2)それを情報表現物質として出力し
(3)情報を読取り器で読取って制御に利用するシステムがあります。
 
人工衛星や自動制御システムがその例です。
このシステムは時間情報を利用した情報駆動型制御システムです。
 
単なる補助パラメータである物理的時間には物質的作用はありません。
 
自由空間において毎秒1メートルで等速運動する時計を考えます。
この時計は、時刻表示がそのまま距離表示になっています。
 
前述の「時計=時間情報生成機械」説を参考にすると、
この機械(時空計)は、時間情報と距離情報を同時に生成していることになります。
 
特殊相対性理論における光は、時間情報と空間情報を規定する情報表現物質になります。
 
物理学を根底で支えているのは光速度不変の原理です。
この原理によると時間と空間は独立した概念ではなく、互い密接に関係しています。
 
光速が時間軸目盛りの情報と空間軸目盛りの情報を同時に規定しています。
この事実は、光が自然界における情報表現物質であることを意味しています。
 
光を用いた距離計と時計の原理を示します:
 
(距離計)
(1)任意の波長を持つレーザー光を用意します。
(2)光干渉計によりその波長を測定し、それを単位距離として定義します。
   これを用いて空間軸の目盛りを作ります。
(3)その目盛りに基づいた距離計を作ります(レーザーを用いた距離計)。
 
(時計)
(1)先の波長の半分の長さを持つレーザー型共振器を作ります。
(2)共振器の左端からレーザーを発射し、同時にカウントを始めます。
(3)レーザーが右端で反射されて左端に到着したときにカウント数を1つ増します。
(4)これを時間目盛りの単位時間として定義します。
   これを用いて時間軸の目盛りを作ります。
(5)前述のカウンター出力を用いて時計を作ります。

外部作用のない物体は等速運動するという慣性の法則とを参考にすると、
この物体は古典力学における時間情報と空間情報を同時に規定する情報表現物質になります。
この物体の運動の軌跡を基にして空間軸の目盛りと時間軸の目盛りを作ることができます。

そうすれば、ニュートンの「流れる時間」という不自然な仮説を排除することができます。
これも「時間=情報」説の正当性を裏付けるものです。

詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!

実在とは何か 実在の多義性

2019-05-08 09:50:00 | 情報と物質の科学哲学
ヒト、ロボット、コンピュータ、機械、測定器などのシステムにとって特定の対象が実在するかしないかは理論的には決まりません。
 
対象がそのシステムに影響を与えるか否かによって実在性が決まると考えるべきです。
 
物質的あるいは非物質的に影響しない対象を実在すると考えるのはオッカムの剃刀に反します。
 
オッカムの剃刀:
 「存在は必要もなしに増加してはならない」という概念節減の原理。
 中世の哲学者オッカムによる。(『集英社国語辞典』)
 
同じものが実在したりしなかったりする例は無数に有ります:
*色や音は、健常者には実在しますが、先天的視聴覚障害者には
 実在しません。
*色や音は、健常者には実在しますが、測定器には実在しません。
*AさんのクオリアはAさんには実在しますが、Bさんには実在しません。
*心は、普通の人たちには実在しますが、唯物論者には実在しません。
*数や普通名詞は、プラトン主義者には実在しますが、
 非プラトン主義者には実在しません。
*神は、信者には実在しますが、信者でない人には実在しません。
*霊や死後の世界は、信じる人には実在しますが、信じない人には
 実在しません。
 
非物質的な対象について実在という言葉を使う場合には必ず制限付きなのです。
これを無視した途端に無用の混乱、誤解、不信、争いが生じることは周知の事実です。
 
情報は、高等動物だけに実在するものではありません。
測定器、コンピュータ、ロボットなど無機物にも実在します。
 
この場合、情報は情報表現物質に担われて実在しています。
これを情報的実在と名付けます。
 
情報の実在を認めないと測定器、コンピュータ、ロボット、動物の現象は理解できません。

物質や物理量の実在と情報の実在では実在の意味が違います:
物体の質量は、物体に実在します。
物体の質量の測定値という情報は、測定器に実在します。
物体の名称、形、色(クオリア)は、物体にではなく脳神経回路の現象に担われて実在します(心的実在)。

情報の実在性は、システム依存的なのです。
 
以上のことから分かるように実在という言葉には多義性があります:
物理的実在物質的実在情報的実在心的実在機能的実在
 
このような状況を実在の多義性と名付けます。
 
物理学者は、実在という言葉を物理的実在あるいは物質的実在という極めて狭い意味で使います。
 
量子力学的現象は、このような狭い実在概念のみでは決して理解できません。
量子力学にとって測定器というシステムに依存する情報的実在という概念が不可欠だからです。
 
数学においても数学的実在という概念が考えられます。
数学という体系(システム)において不可欠な諸概念がそれに該当します。
 
例えば、数的概念、幾何学的概念、論理的概念、等々は数学的実在といえます。
実数論においては無限小数という概念が不可欠です。
しかし、実数には定義不可能なもの(非論理的実数)も含まれます。
この実数が果たして数学的に実在すると言えるのかは、極めて疑わしいのです。
 
実在とは何かについての特集記事があります:
「別冊日経サイエンスNo.186 実在とは何か」、(2012.8)
 
様々な実在論がありますが、前述の分析から「どれが正しいのか」と問うことには殆ど意味がありません。
 
心のみが実在すると主張する唯心論があります。
物質のみが実在すると主張する唯物論もあります。
両者の議論が収束する兆しはありません。
 
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!

実在とは何か 実在の意味が違う量子力学と古典物理学

2019-05-08 09:06:14 | 情報と物質の科学哲学
実在という概念に対する量子力学の考え方:
(1)測定前の電子のスピンや光子の偏光の量子状態は未確定
(2)測定によって量子状態が確定し実在化
(3)測定値は特定の値の中からランダムに生じる
(4)その確率は波動関数ψの絶対値の2乗に比例する
 
このように測定に依存する物理量の実在性という概念は、
量子力学特有のものです。
 
古典物理学では測定と無関係に確定した物理量が実在します。
 
「測定前の粒子の位置は、未知でも粒子は特定の位置にある。」
アインシュタインが生涯固執したこの主張は、量子力学では
認められません。
 
量子力学における「実在性」には次の2種類があると考えるべきです:
(粒子の検出前) 粒子は情報的に実在している
(粒子の検出後) 粒子は物質的に実在している

アインシュタインはパウリに対して
「月は見ていないときにはないのか?」
という有名な問いかけをして、物理量の実在に対する量子力学の
考え方を批判しました。
 
アインシュタインは「観測者に無関係な実在論」に生涯固執しました。
そのため彼は古典物理学者に分類されています。

パウリは、
「針の先で何人の天使が踊れるか」というような何も知り得ない
ことに頭を悩ますべきではないとアインシュタインに忠告しました。
 
アインシュタインは、マッハの思想に基づいてニュートンの絶対空間と
絶対時間を否定しました。
それにも拘わらず、彼は量子力学に対してはマッハの思想を無視したのです。
ボーアらコペンハーゲン派は、そのことでアインシュタインを厳しく
批判しました。
 
中世のスコラ哲学者たちは、「針の先で何人の天使が踊れるか」について
真剣に議論しました。
このような形而上学的議論を批判するときに、この例え話が使われます。
 
(以下、『集英社国語辞典』から引用)
 スコラ哲学:中世ヨーロッパで成立した哲学
  カトリックの教義を信仰をもって受け入れ、ギリシャ哲学の助けで
  信仰の哲学として体系化
  「スコラ」は教会や修道院付属の学校の意
 形而上:形がなく、感覚ではその存在を知ることのできないもの
  時間・空間を超えた、抽象的、観念的なもの
 形而上学:
  【哲】事物の本質や存在の根本原理を思惟・直観などによって
     究めようとする学問
(引用終わり)
 
『岩波理化学辞典』には「物理量」という単独の項目はありません。
これは、『岩波情報科学辞典』に「情報」という単独の項目がないの
と同じです。
「物理量」や「情報」という用語は、多様に使われるため一義的な
説明ができないからでしょう。
『岩波生物学辞典』には生物に関係する情報の項目があます。
 
ニュートン(阿部良夫訳)『自然哲学の数学的原理』、大思想文庫11、
岩波書店(1935) からニュートンの絶対空間/絶対時間に関する記述を
引用します:
「絶対時間」
絶対の、真の、数学的時間は、それ自身として基本性によって、他の対象に関係なく、一様に流れてゆく。それはまた、継続期間ともよばれる。
「絶対空間」
絶対の空間は、基本性により、他の対象に関係なく常に等しく且つ不動でありつづける。
(引用終わり)
詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!

物理学がハードプロブレム「クオリアの謎」を解けない理由

2019-05-07 10:19:38 | 情報と物質の科学哲学

脳科学におけるハードプロブレムの一つに
「脳という物質から何故感覚(クオリア)が生じるのか
というものがあります。

ある波長の光を見たときに
(1)ヒトの特定のニューロンが発火して
同時に
(2)そのヒトは”赤い”という感覚(クオリア)を感じるとします。

他の波長の光を見たときには
(1)その特定のニューロンは発火せず
(2)”赤い”という感覚も感じないとします。

このとき、次の対応関係が得らます:
ある波長の光 ⇔ ”赤い”感覚

この対応関係には次のような問題点があります。
”赤い”という感覚自体は言語で説明できないことです。

故に、この関係は客観的/普遍的なものには成り得なません。

関係という概念も”赤い”という概念も<BR>
(1)抽象的概念である点では同じですが
(2)言語で説明できるか否かという点で本質的に違います。

以上の議論から
「感覚や意識を言語によって客観的に説明することは原理的に不可能」
という結論が得られます。

当然、物理学によるクオリアの解明も不可能になります。

ニューロンの発火現象を物理的に測定しても、
「赤い」という言葉や”赤い”という感覚(クオリア)を確認できないことは自明です。
「脳現象は究極的には物理則で説明できる」
とする物理還元主義は砂上の楼閣です。

測定によって物理量を情報化すると物理量の次元が失われます。

視覚細胞や聴覚細胞も入力物理量の次元を消滅させます。
神経細胞の出力はどれも神経パルスという同一の形式です。

失われた物理的次元を心的次元として復活させるのが感覚や意識の役割だです。
脳は、多様な物理的次元をもつ物理空間に対応して心的次元をもつ心理空間を作るのです。

生物は、進化の過程で脳にそのような機能を獲得したものと推測されます。
図式的には次のようになるのかも知れない:
     (物理的次元)   (心的次元)
     光の波長と強度  → 色彩の感覚
  空気振動の波長と強度  → 音色の感覚

目に入る光の強度とそれに対する視覚的な印象の強さとの間には
ウェーバー・フェヒナーの法則が成り立つことが精神物理学で知られています。
音や温度などに対しても同様な法則が成り立っています。

しかし、感覚の印象の強さと感覚そのものとはカテゴリーが違ういます。
前者は量で表現できるが、後者は量では表現できません。

精神物理学的法則が成り立つからといって、感覚そのものを物理的に説明できる
とは言えません。

脳の情報処理をモデル化したニューラルネットは、パターン認識器やロボットに利用されています。
これは、神経回路を一種の計算回路とみなすことがある意味で妥当なこと示します。

情報処理の場合には数理モデル/記号処理モデルが可能です。
しかし、感覚自体にはこの種のモデル化は不可能です。
感覚と実数/記号とはカテゴリーが違うからです。

生理物理学の開祖でもあるヘルムホルツは
「神経興奮(ニューロン発火のこと)から、知覚がいかにして生じるのか」
という問いかけをしています:
大村敏輔訳・注・解説 『ヘルムホルツの思想-認知心理学の源流』、ブレーン出版(1996)

ニューロンの発火と感覚とが「どのように対応するのか」は、解明できます。
しかし、「何故、感覚が生じるか」は解明できません。
客観的性格をもつ物理則は、主観的な感覚を扱えないのです。

ファインマンは、物質現象が「何故」起こるのかを問えないと言います。
「どのよう」に起こるのかを問えるだけだと言います。
物質現象でさえもそうなのです。

遺伝子の核酸の分子構造発見でノーベル賞を受賞したクリックは、
脳神経科学に転向して意識の解明に取り組みました。
大多数の脳科学者と同様に物理還元主義を信じ、
何故意識が生じるのかをニューロンの発火現象から説明しようとしました:
クリック、コッホ
 ”意識とは何か”、別冊日経サイエンス123、特集:脳と心の科学(心のミステリー)(1998)

コッホは、日経サイエンス、2011年9月号で
「人工知能の意識を測る」という記事を書いています。
生きているヒトの意識は、ロボットの意識と同じと主張します。
強いAI主義/物理還元主義者の思い込みの強さが分かります。

「ニューロンの発火現象を調べれば意識は解明される」
という脳科学のドグマは明らかに砂上の楼閣です。

人工センサーによる臭いの識別が実用化されていますが、そのことは臭いの感覚を数値化できることを証明している訳ではありません。

感覚と実数とはカテゴリーが違うので感覚そのものを実数で表現することは不可能です。
人工知能研究者は、この事実を無視します。

詳細は、パソコンサイト 情報とは何か 情報と物質の関係から見える世界像 を是非ご覧ください!