櫻井よしこ氏 「欧州が中国に近づくのは経済、お金なのです」
中国はいま、軍事面やAIIB(アジアインフラ投資銀行)をはじめとした金融面などあらゆる分野で、世界の秩序を変えようとしている。ベトナムが領有を主張する南シナ海のパラセル諸島(西沙諸島)に中国海軍の巨大基地を作るなど、巨大な経済力を背景に勢力拡大を狙う。そんな隣国に世界各国が翻弄される中、日本はどう対処すべきか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が緊急寄稿した。
中国が金融面で覇権拡大を打ち出してきたのがAIIB。フィリピンはAIIBには参加しましたが、軍事的には中国と衝突を繰り返しています。
中国は1990年代には突然、南沙諸島のミスチーフ礁をフィリピンから強引に奪い取り、近年ではルソン島からわずか200kmほどの場所にある(そして中国本土からは900kmも離れている)スカボロー礁に基地を建設中です。
また、アメリカの上院軍事委員長、ジョン・マケイン氏らが批判した南シナ海の埋め立て工事はほとんどがフィリピン領有の島々・岩礁に対するものです。
アキノ大統領はそうした中国の侵略に危機感を抱き、2014年2月、米紙『ニューヨークタイムズ』のインタビューで、「中国の非道を放置することは、英仏がナチスドイツに宥和政策をとって当時のチェコスロバキアへの侵略を許したことと同じだ」という主旨の訴えを世界に発信しました。
これはドイツに対してイギリスが戦うか否かを議論していた当時、イギリスの銀行家たちが宥和政策を求めて議会に請願したことを指しています。その後の歴史はイギリスのバンカーたちが完全に間違っていたことを示しています。
にもかかわらず、イギリスはAIIBに参加しました。キャメロン首相の姿が、かつてのイギリスの銀行家の姿に重なります。
いかなる国でも外交の方向を決める要素が国益であるのは当然です。いまヨーロッパ諸国は中国の横暴に目を瞑り、自国の経済的利益を最優先する道を選んだように見えます。
ヨーロッパから見れば中国は地理的に遠く、南シナ海での領土・領海の強引な収奪にも切迫感を持てず、危機感が薄いのでしょう。中国の覇権を直接の脅威として捉えることがあまりないのだと考えられます。
しかも、イギリスが仕掛けたアヘン戦争などのように、ヨーロッパ諸国は中国に対しては加害者ではあっても、中国から害を受けた記憶はありません。それゆえAIIB参加をめぐっては現在の中国共産党の傍若無人な実態を見極めることなく、比較的簡単に中国に引き寄せられてしまった可能性があります。
2012年5月、イギリスのキャメロン首相はチベットのダライ・ラマ法王と面会し、続いてチャールズ皇太子夫妻がダライ・ラマ法王を宮殿に招きました。それに対して中国側が猛烈に抗議し、英紙デイリー・テレグラフによれば、当時、様々な対英投資がストップしたと報じられています。その後、経済的に苦境に立たされたイギリスは中国の圧力に屈しました。
2014年6月の李克強首相の訪英では、中国はエリザベス女王との面会を要求し、実現させました。女王が国家元首ではない首相と面会するのは異例のことです。この訪英では、政府と民間を合わせ140億ポンド(約2兆4000億円)もの契約が調印されたとされています。
これらのことからわかるようにイギリスをはじめヨーロッパ諸国の優先順位は、中国の人権問題や覇権主義への対応ではなく、経済、お金なのです。2010年のギリシャ危機以降、ヨーロッパ経済は厳しい状態にあります。だからこそAIIB参加のように中国の経済力に頼ろうとする動きが出てきているのでしょう。
☆
江戸時代の後期、国力も無かった時代、アヘン戦争で負けた中国は英国の批判など、大昔なのか出てこない...。大英帝国、他ヨーロッパ諸国も昔は武力で他国を侵略、紳士の国などでは無く、時代に合わせたご都合主義の様だ。
1840年に始まった中国の清とイギリスとの間の戦争。この戦争は、麻薬であるアヘンが原因となったためアヘン戦争と呼ばれています。約2年続いたアヘン戦争はイギリスの勝利で終わり1842年、清は南京条約を結ばされました。
では、このアヘン戦争について、すこし詳しく見てみましょう。
18世紀ごろ。ヨーロッパでは、紅茶が大流行となりイギリスでは清から大量の茶を輸入していました。しかし、イギリスにしてみたら、清から茶を大量に購入するばかりで清との間では大幅な貿易赤字。時計や望遠鏡などを輸出するものの、そんなもの清の一部のお金持ちにしか人気がない。そこで、メキシコやスペインから購入した銀を中国に輸出し茶を購入していましたが、その銀も清国内でだぶつく状態となっていきます。そこで、銀よりもっといいものないかなぁ。とイギリスは考えます。
「そうだ!」
と思いついたものが、とんでもない代物でした。麻薬であるアヘンです。こんなの現在なら国際問題ですよね。しかも、イギリスでは絶対に輸入を許していない代物を他国に売りつけちゃおうというのだから、メチャクチャです。
当時、清ではアヘンの輸入禁止を決めていましたが密輸入でどんどんアヘンが入ってくるようになってしまいます。まぁ、当時すでに清は衰退期に入っており、輸入禁止と叫んでみてもあまり効果もない・・・。しかも、清の政府内では、賄賂をもらってアヘン輸入を黙認している人たちもいっぱいいるような状態。
そんな、こんなで、このアヘンが清で大ヒットとなってしまう。アヘンの輸入量が茶の輸出量を上回り、茶だけでは足りず、イギリスから嘗て購入した銀まで流出していくほど・・・。これが、原因となり清では経済危機にまで発展していきます。
そして、ついに清もいよいよ本格的に動き出します。清の道光帝(どうこうてい)は、アヘンを販売した者、アヘンを吸った者は死罪という厳しい法律を作り対応。そして、林則徐(りんそくじょ)という大臣は、これに従いイギリスの貿易商からアヘン2万3000箱を没収し捨ててしまいます。
これに怒ったイギリスは軍艦にて清の沿岸に発砲しアヘン戦争が始まりました。しかし、圧倒的なイギリス海軍の力により清は敗北。1842年、南京条約に調印となりイギリスは香港島を占領となりました。
このアヘン戦争。日本にはまったく関係ないようにも思えますが、よく考えればお隣の国の出来事。アヘン戦争の清敗北が原因となり鎖国中の日本にも外国船がたびたびやってくるようになります。
そして、ついに1853年にはペリーが浦賀に来航するのですね。
中国はいま、軍事面やAIIB(アジアインフラ投資銀行)をはじめとした金融面などあらゆる分野で、世界の秩序を変えようとしている。ベトナムが領有を主張する南シナ海のパラセル諸島(西沙諸島)に中国海軍の巨大基地を作るなど、巨大な経済力を背景に勢力拡大を狙う。そんな隣国に世界各国が翻弄される中、日本はどう対処すべきか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が緊急寄稿した。
中国が金融面で覇権拡大を打ち出してきたのがAIIB。フィリピンはAIIBには参加しましたが、軍事的には中国と衝突を繰り返しています。
中国は1990年代には突然、南沙諸島のミスチーフ礁をフィリピンから強引に奪い取り、近年ではルソン島からわずか200kmほどの場所にある(そして中国本土からは900kmも離れている)スカボロー礁に基地を建設中です。
また、アメリカの上院軍事委員長、ジョン・マケイン氏らが批判した南シナ海の埋め立て工事はほとんどがフィリピン領有の島々・岩礁に対するものです。
アキノ大統領はそうした中国の侵略に危機感を抱き、2014年2月、米紙『ニューヨークタイムズ』のインタビューで、「中国の非道を放置することは、英仏がナチスドイツに宥和政策をとって当時のチェコスロバキアへの侵略を許したことと同じだ」という主旨の訴えを世界に発信しました。
これはドイツに対してイギリスが戦うか否かを議論していた当時、イギリスの銀行家たちが宥和政策を求めて議会に請願したことを指しています。その後の歴史はイギリスのバンカーたちが完全に間違っていたことを示しています。
にもかかわらず、イギリスはAIIBに参加しました。キャメロン首相の姿が、かつてのイギリスの銀行家の姿に重なります。
いかなる国でも外交の方向を決める要素が国益であるのは当然です。いまヨーロッパ諸国は中国の横暴に目を瞑り、自国の経済的利益を最優先する道を選んだように見えます。
ヨーロッパから見れば中国は地理的に遠く、南シナ海での領土・領海の強引な収奪にも切迫感を持てず、危機感が薄いのでしょう。中国の覇権を直接の脅威として捉えることがあまりないのだと考えられます。
しかも、イギリスが仕掛けたアヘン戦争などのように、ヨーロッパ諸国は中国に対しては加害者ではあっても、中国から害を受けた記憶はありません。それゆえAIIB参加をめぐっては現在の中国共産党の傍若無人な実態を見極めることなく、比較的簡単に中国に引き寄せられてしまった可能性があります。
2012年5月、イギリスのキャメロン首相はチベットのダライ・ラマ法王と面会し、続いてチャールズ皇太子夫妻がダライ・ラマ法王を宮殿に招きました。それに対して中国側が猛烈に抗議し、英紙デイリー・テレグラフによれば、当時、様々な対英投資がストップしたと報じられています。その後、経済的に苦境に立たされたイギリスは中国の圧力に屈しました。
2014年6月の李克強首相の訪英では、中国はエリザベス女王との面会を要求し、実現させました。女王が国家元首ではない首相と面会するのは異例のことです。この訪英では、政府と民間を合わせ140億ポンド(約2兆4000億円)もの契約が調印されたとされています。
これらのことからわかるようにイギリスをはじめヨーロッパ諸国の優先順位は、中国の人権問題や覇権主義への対応ではなく、経済、お金なのです。2010年のギリシャ危機以降、ヨーロッパ経済は厳しい状態にあります。だからこそAIIB参加のように中国の経済力に頼ろうとする動きが出てきているのでしょう。
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江戸時代の後期、国力も無かった時代、アヘン戦争で負けた中国は英国の批判など、大昔なのか出てこない...。大英帝国、他ヨーロッパ諸国も昔は武力で他国を侵略、紳士の国などでは無く、時代に合わせたご都合主義の様だ。
1840年に始まった中国の清とイギリスとの間の戦争。この戦争は、麻薬であるアヘンが原因となったためアヘン戦争と呼ばれています。約2年続いたアヘン戦争はイギリスの勝利で終わり1842年、清は南京条約を結ばされました。
では、このアヘン戦争について、すこし詳しく見てみましょう。
18世紀ごろ。ヨーロッパでは、紅茶が大流行となりイギリスでは清から大量の茶を輸入していました。しかし、イギリスにしてみたら、清から茶を大量に購入するばかりで清との間では大幅な貿易赤字。時計や望遠鏡などを輸出するものの、そんなもの清の一部のお金持ちにしか人気がない。そこで、メキシコやスペインから購入した銀を中国に輸出し茶を購入していましたが、その銀も清国内でだぶつく状態となっていきます。そこで、銀よりもっといいものないかなぁ。とイギリスは考えます。
「そうだ!」
と思いついたものが、とんでもない代物でした。麻薬であるアヘンです。こんなの現在なら国際問題ですよね。しかも、イギリスでは絶対に輸入を許していない代物を他国に売りつけちゃおうというのだから、メチャクチャです。
当時、清ではアヘンの輸入禁止を決めていましたが密輸入でどんどんアヘンが入ってくるようになってしまいます。まぁ、当時すでに清は衰退期に入っており、輸入禁止と叫んでみてもあまり効果もない・・・。しかも、清の政府内では、賄賂をもらってアヘン輸入を黙認している人たちもいっぱいいるような状態。
そんな、こんなで、このアヘンが清で大ヒットとなってしまう。アヘンの輸入量が茶の輸出量を上回り、茶だけでは足りず、イギリスから嘗て購入した銀まで流出していくほど・・・。これが、原因となり清では経済危機にまで発展していきます。
そして、ついに清もいよいよ本格的に動き出します。清の道光帝(どうこうてい)は、アヘンを販売した者、アヘンを吸った者は死罪という厳しい法律を作り対応。そして、林則徐(りんそくじょ)という大臣は、これに従いイギリスの貿易商からアヘン2万3000箱を没収し捨ててしまいます。
これに怒ったイギリスは軍艦にて清の沿岸に発砲しアヘン戦争が始まりました。しかし、圧倒的なイギリス海軍の力により清は敗北。1842年、南京条約に調印となりイギリスは香港島を占領となりました。
このアヘン戦争。日本にはまったく関係ないようにも思えますが、よく考えればお隣の国の出来事。アヘン戦争の清敗北が原因となり鎖国中の日本にも外国船がたびたびやってくるようになります。
そして、ついに1853年にはペリーが浦賀に来航するのですね。