国内電機の「敗戦」か 迷走するパナソニック 液晶・半導体も撤退、見えぬ戦略
国内電機の「敗戦」を象徴する出来事だった。
パナソニックが11月、液晶パネル事業からの撤退と半導体事業の売却を立て続けに発表した。
かつて液晶と半導体で世界市場をリードした日本の電機メーカーは、巨額投資を繰り返した中国や韓国メーカーなどとの競争になすすべなく惨敗。政府も公的資金投入などで支援したが再建はかなわなかった。
事業構造の見直しを余儀なくされたパナソニックを中心とする国内メーカーは今後どのような道を歩むのだろうか。
■「270億円」に驚き
「AV機器が沈んでいく中、車載向けなどにかじを切ったが、スピード感が足りなかった」。
パナソニックの半導体事業を担当する北折良常務は11月28日、台湾メーカーへの事業売却を発表した席で“敗戦の弁”をこう述べた。
パナソニックは松下電器産業時代の1957年、オランダ・フィリップスと合弁会社を設立して半導体事業に参入。
自社製のテレビやビデオデッキに搭載することで生産量を増やし1990年には世界シェアで10位になった。
しかしAV機器が売れなくなるにつれ業績が低迷。
近年は車載向けにシフトして収益改善を目指したが、米中貿易摩擦の影響などもあり黒字達成が困難になった。
半導体子会社の2019年3月期の売上高は922億円あったが、売却額は約270億円。北折常務は「金額は妥当」と強調したものの、社内の一部からは「思ったより安くて驚いた」との感想が上がった。
さまざまな製品の基盤となる半導体事業を手放すことで技術力の低下を懸念する声もあった。
パナソニックは、その1週間前には液晶パネル生産からの撤退を発表。
10年に生産を始めたが、16年には競争激化を受けてテレビ向けから撤退。
その後は医療機器や車載用などに特化して赤字脱却を目指したが、最終的に再建を断念した。
■同じ轍を踏んだ日本勢
半導体と液晶はかつて日本の「お家芸」とされ、世界に技術力を知らしめた。
だが時代とともに巨額投資で力をつけた海外勢に追いつかれ競争力を失った。
半導体は1980年代から90年代にかけ、NECや日立製作所、東芝などがこぞって事業を拡大し、日本勢で世界シェアの5割を握った。
ところが、半導体の主役がメモリーに代わるとインテルなど米国勢の高性能品に太刀打ちできなくなり、90年代中盤には韓国サムスンにも追いつかれた。
これを経験した日本勢は2000年代初頭、半導体と同じ轍(てつ)を踏まないために液晶パネル事業への巨額投資を加速させ、カーナビなどの中小型液晶パネルの世界シェアの約9割を日本勢が握った。
先頭に立ったのがシャープで、ライバルのパナソニックと競い合うように国内に巨大な液晶パネル工場を建設し、一時は「亀山ブランド」で世界のテレビ市場を席巻した。
しかし、08年のリーマン・ショックを機に世界でテレビ需要が落ち込むと、過剰投資のツケが回って業績が悪化。
16年に台湾の鴻海精密工業から出資を受け、日本の大手電機メーカーで初めて外資の傘下に入ることになった。
シャープが先鞭(せんべん)をつけた液晶パネル事業は結果的に中国勢や韓国勢に主役の座を奪われ、日本勢の多くが縮小や撤退に追い込まれた。
■「敗戦処理」で事業売却
一部メーカーは半導体、液晶ともに合従連衡を進めることで生き残りを図ったが、こちらも過酷な運命をたどっている。
半導体では、NECと日立、三菱電機のDRAM事業を統合したエルピーダメモリが12年に経営破綻。
3社のシステムLSI(大規模集積回路)事業を統合したルネサスエレクトロニクスも今年1~9月期に営業赤字に転落した。
液晶パネルでは東芝、日立、ソニーの液晶事業を統合し、一時シャープの合流もささやかれたジャパンディスプレイ(JDI)が外資の傘下で経営再建を目指すことが決まった。
いずれも国が事業再編の旗を振ったにもかかわらず、うまくいかなかった。
特に官民ファンドからの度重なる支援を受けながら再建に失敗したJDIをめぐっては、「国の後ろ盾に甘えていた」(業界関係者)との批判が根強くある。
半導体と液晶パネルの国際競争に敗れた日本の電機メーカーは「敗戦処理」として次々とパソコンなどの不採算事業を手放し、構造改革に追われた。
液晶と半導体を手放さずにいたパナソニックも、ここに来てついに退場を決めた。
■描けない成長戦略
パナソニックは2021年度までに赤字事業をなくす方針を掲げる。
巨額投資の成果が出ない車載事業を「成長の柱」から外し、オフィスの空間設計や工場の省人化など法人向けサービス事業を新たに成長の柱に据えた。
住宅事業と電気自動車用の一部電池の生産事業をトヨタ自動車との合弁会社に移すなど事業の統廃合を進めるが、社内からは「会社の目指す姿が分かりにくい」との声が上がる。
巨額赤字に陥ったプラズマテレビ事業からの撤退などで一時業績を回復させたが、リストラに追われた面もあり成長戦略を描けていない。
そんな中、津賀一宏社長は「中国市場で勝てなければパナソニックの将来はない」と語り、今年4月に社内カンパニー「中国・北東アジア社」を新設するなど中国にも目を向け始めている。
中国では16年ぶりの家電工場建設も明らかになった。
ただ、中国市場は国際情勢の影響を受けやすく、思うような成果を上げられるとはかぎらない。
液晶と半導体から撤退したパナソニックが再び輝くことができるかは見通せない状況だ。
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このテレビは平成22年6月に購入した物だが当時は三重県亀山工場が世界を席巻していた。
今は亀山工場はどのようになっているのか!...近くの方いれば情報コメント欄に下さい。
僅か10年で日本は大きく変わってしまった...ノーベル賞で浮かれている場合でも無い。
お隣4000年、韓国などノーベル無しでも、この応用技術でドンドン成長する現実。
国内電機の「敗戦」を象徴する出来事だった。
パナソニックが11月、液晶パネル事業からの撤退と半導体事業の売却を立て続けに発表した。
かつて液晶と半導体で世界市場をリードした日本の電機メーカーは、巨額投資を繰り返した中国や韓国メーカーなどとの競争になすすべなく惨敗。政府も公的資金投入などで支援したが再建はかなわなかった。
事業構造の見直しを余儀なくされたパナソニックを中心とする国内メーカーは今後どのような道を歩むのだろうか。
■「270億円」に驚き
「AV機器が沈んでいく中、車載向けなどにかじを切ったが、スピード感が足りなかった」。
パナソニックの半導体事業を担当する北折良常務は11月28日、台湾メーカーへの事業売却を発表した席で“敗戦の弁”をこう述べた。
パナソニックは松下電器産業時代の1957年、オランダ・フィリップスと合弁会社を設立して半導体事業に参入。
自社製のテレビやビデオデッキに搭載することで生産量を増やし1990年には世界シェアで10位になった。
しかしAV機器が売れなくなるにつれ業績が低迷。
近年は車載向けにシフトして収益改善を目指したが、米中貿易摩擦の影響などもあり黒字達成が困難になった。
半導体子会社の2019年3月期の売上高は922億円あったが、売却額は約270億円。北折常務は「金額は妥当」と強調したものの、社内の一部からは「思ったより安くて驚いた」との感想が上がった。
さまざまな製品の基盤となる半導体事業を手放すことで技術力の低下を懸念する声もあった。
パナソニックは、その1週間前には液晶パネル生産からの撤退を発表。
10年に生産を始めたが、16年には競争激化を受けてテレビ向けから撤退。
その後は医療機器や車載用などに特化して赤字脱却を目指したが、最終的に再建を断念した。
■同じ轍を踏んだ日本勢
半導体と液晶はかつて日本の「お家芸」とされ、世界に技術力を知らしめた。
だが時代とともに巨額投資で力をつけた海外勢に追いつかれ競争力を失った。
半導体は1980年代から90年代にかけ、NECや日立製作所、東芝などがこぞって事業を拡大し、日本勢で世界シェアの5割を握った。
ところが、半導体の主役がメモリーに代わるとインテルなど米国勢の高性能品に太刀打ちできなくなり、90年代中盤には韓国サムスンにも追いつかれた。
これを経験した日本勢は2000年代初頭、半導体と同じ轍(てつ)を踏まないために液晶パネル事業への巨額投資を加速させ、カーナビなどの中小型液晶パネルの世界シェアの約9割を日本勢が握った。
先頭に立ったのがシャープで、ライバルのパナソニックと競い合うように国内に巨大な液晶パネル工場を建設し、一時は「亀山ブランド」で世界のテレビ市場を席巻した。
しかし、08年のリーマン・ショックを機に世界でテレビ需要が落ち込むと、過剰投資のツケが回って業績が悪化。
16年に台湾の鴻海精密工業から出資を受け、日本の大手電機メーカーで初めて外資の傘下に入ることになった。
シャープが先鞭(せんべん)をつけた液晶パネル事業は結果的に中国勢や韓国勢に主役の座を奪われ、日本勢の多くが縮小や撤退に追い込まれた。
■「敗戦処理」で事業売却
一部メーカーは半導体、液晶ともに合従連衡を進めることで生き残りを図ったが、こちらも過酷な運命をたどっている。
半導体では、NECと日立、三菱電機のDRAM事業を統合したエルピーダメモリが12年に経営破綻。
3社のシステムLSI(大規模集積回路)事業を統合したルネサスエレクトロニクスも今年1~9月期に営業赤字に転落した。
液晶パネルでは東芝、日立、ソニーの液晶事業を統合し、一時シャープの合流もささやかれたジャパンディスプレイ(JDI)が外資の傘下で経営再建を目指すことが決まった。
いずれも国が事業再編の旗を振ったにもかかわらず、うまくいかなかった。
特に官民ファンドからの度重なる支援を受けながら再建に失敗したJDIをめぐっては、「国の後ろ盾に甘えていた」(業界関係者)との批判が根強くある。
半導体と液晶パネルの国際競争に敗れた日本の電機メーカーは「敗戦処理」として次々とパソコンなどの不採算事業を手放し、構造改革に追われた。
液晶と半導体を手放さずにいたパナソニックも、ここに来てついに退場を決めた。
■描けない成長戦略
パナソニックは2021年度までに赤字事業をなくす方針を掲げる。
巨額投資の成果が出ない車載事業を「成長の柱」から外し、オフィスの空間設計や工場の省人化など法人向けサービス事業を新たに成長の柱に据えた。
住宅事業と電気自動車用の一部電池の生産事業をトヨタ自動車との合弁会社に移すなど事業の統廃合を進めるが、社内からは「会社の目指す姿が分かりにくい」との声が上がる。
巨額赤字に陥ったプラズマテレビ事業からの撤退などで一時業績を回復させたが、リストラに追われた面もあり成長戦略を描けていない。
そんな中、津賀一宏社長は「中国市場で勝てなければパナソニックの将来はない」と語り、今年4月に社内カンパニー「中国・北東アジア社」を新設するなど中国にも目を向け始めている。
中国では16年ぶりの家電工場建設も明らかになった。
ただ、中国市場は国際情勢の影響を受けやすく、思うような成果を上げられるとはかぎらない。
液晶と半導体から撤退したパナソニックが再び輝くことができるかは見通せない状況だ。
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このテレビは平成22年6月に購入した物だが当時は三重県亀山工場が世界を席巻していた。
今は亀山工場はどのようになっているのか!...近くの方いれば情報コメント欄に下さい。
僅か10年で日本は大きく変わってしまった...ノーベル賞で浮かれている場合でも無い。
お隣4000年、韓国などノーベル無しでも、この応用技術でドンドン成長する現実。