先日、友人と、子供の頃や若い頃に、「将来、こうなりたいって思っていた夢って、どんなだった?」なんて話をした。
皆さんの、夢って、どんなでした?
友人は、「お料理の上手なお嫁さん」でした。(まだ、この友人、独身なんですけど…苦笑)
私は…小学校の低学年だった頃は、(このブログにも何度か書いたことが有る)プロ野球選手(笑)。
自分が大人になる頃には、女の子のプロ野球球団ができているはずだと、何故だか、そう信じてた(爆!)。
でも、親に言わせると、小学校の頃の作文には「私は、将来、歯医者さんになって、お母さんの歯を治してあげます」って書いたらしい。
「そんなこと、書いたっけ?」って思う。
と言うか、そうなってないんだから、そんな作文のことは忘れ去りたいって思っているのに…。
親は、その私の都合の良い忘却を打ち破るかのように、「その作文、まだ、残ってるで。見せたろか?」なんて言う(苦笑)。
「見たくない、見たくない、もう、そんな作文、破り捨てて欲しい…」って思うけど、親は親で、こんな作文を残していると言うことは、私が、歯医者さんになってくれることを密かに夢見ていたのだろうか?(笑)
高校に入ってからは、「体育の先生になって、ソフトボール部の顧問になる」。
私には、それしか道は無い…なんて思ってた。
子供の頃、将来と思っていた今の職業は、ティーチングプロ。
でも、ゴルフを趣味でしていた20歳代前半の頃に、ふと、「私、ゆくゆくは、プロになってゴルフの先生してたりして…」なんて思ったことが有ったのを、友人と話している最中に思い出した。
でも、その頃は、「無理だろうな…プロなんて…」って思ったから、現実を直視して、真面目に(?)就職活動をして、大学卒業後は、証券会社に入った。
その後、「やっぱり一度は、プロを目指してみたい」と思って、20歳代も後半になってからゴルフ場の研修生になった。
それから、ティーチングプロになるまで、色んな紆余曲折を経ながら、一目散に駆けて来たけれど、気が付けば、今の私って、ゴルフをはじめて、ゴルフを好きになり出してから、漠然と夢見てた職業に就いているんだな…なんて思った。
「夢が叶ってるんやん」と、友人が言った。
「そうやな、今いる”ここ”って、20歳代前半の頃に夢見ていた場所やん…」って、そう言われてみて、はじめて気がついた。
夢が現実になると、夢が夢でなくなるし、夢だった場所も生活の場所だし、日常になるから、ここが夢の場所だったなんて気付きにくくなる。
でも、「そう言えば、私、夢が叶ってるやん…」って思ったら、「今いるこの場所を、もっと大切にしなきゃ…」なんて思えた。
何だか、この感覚って、大好きだった人と結婚しても、暫く連れ添っていれば、その人の存在自体が空気みたいに感じられて、いつも一緒にいるから、その人の嫌な面も短所も色々と見えて、大好きの感覚も薄れるんだけど、でも、大好きだった人と結婚してるんだって思えば、幸せな気分になれて、「やっぱり大切にしなきゃ…」って思えるのに似てるかな?
先日、友人と話していて、人は、知らず知らずのうちにも、こうなりたいと潜在的に思っている方に、歩いて来るものなのかも…、私、20歳代前半の頃に夢見た方向に、いつの間にか歩いて来てるやん…って思った。
…今日は『母の日』。
20歳代も後半になってから、ゴルフ場の研修生になると言って実家を飛び出した私(最初に所属したゴルフ場が、全寮制だったため)。
私が家を出て行った日に、母は、夜空を見上げて月を見て、「あの子も、今、この月、見てるかな?ゴルフが好きだからと、あんな道に向かって進んで行って…。あんな道に進んでも、果たして、あの子にゴルフの道は開けるのかな?この夜の暗がりのように、あの子の将来は全く見えないわ…」って思ったと、最近になって聞いた。
何故か「歯医者になりたい」と書いてしまった小学校の頃の作文を、大事に残している両親。
親の密かな期待を裏切ってしまったかもしれない私。
自分の夢を叶えるために、『親の心、子知らず』で、家を飛び出した私。
「申し訳なかった」と思うと同時に、やっぱり、親には、いつまでも頭を上げることはできません…。
皆さんの、夢って、どんなでした?
友人は、「お料理の上手なお嫁さん」でした。(まだ、この友人、独身なんですけど…苦笑)
私は…小学校の低学年だった頃は、(このブログにも何度か書いたことが有る)プロ野球選手(笑)。
自分が大人になる頃には、女の子のプロ野球球団ができているはずだと、何故だか、そう信じてた(爆!)。
でも、親に言わせると、小学校の頃の作文には「私は、将来、歯医者さんになって、お母さんの歯を治してあげます」って書いたらしい。
「そんなこと、書いたっけ?」って思う。
と言うか、そうなってないんだから、そんな作文のことは忘れ去りたいって思っているのに…。
親は、その私の都合の良い忘却を打ち破るかのように、「その作文、まだ、残ってるで。見せたろか?」なんて言う(苦笑)。
「見たくない、見たくない、もう、そんな作文、破り捨てて欲しい…」って思うけど、親は親で、こんな作文を残していると言うことは、私が、歯医者さんになってくれることを密かに夢見ていたのだろうか?(笑)
高校に入ってからは、「体育の先生になって、ソフトボール部の顧問になる」。
私には、それしか道は無い…なんて思ってた。
子供の頃、将来と思っていた今の職業は、ティーチングプロ。
でも、ゴルフを趣味でしていた20歳代前半の頃に、ふと、「私、ゆくゆくは、プロになってゴルフの先生してたりして…」なんて思ったことが有ったのを、友人と話している最中に思い出した。
でも、その頃は、「無理だろうな…プロなんて…」って思ったから、現実を直視して、真面目に(?)就職活動をして、大学卒業後は、証券会社に入った。
その後、「やっぱり一度は、プロを目指してみたい」と思って、20歳代も後半になってからゴルフ場の研修生になった。
それから、ティーチングプロになるまで、色んな紆余曲折を経ながら、一目散に駆けて来たけれど、気が付けば、今の私って、ゴルフをはじめて、ゴルフを好きになり出してから、漠然と夢見てた職業に就いているんだな…なんて思った。
「夢が叶ってるんやん」と、友人が言った。
「そうやな、今いる”ここ”って、20歳代前半の頃に夢見ていた場所やん…」って、そう言われてみて、はじめて気がついた。
夢が現実になると、夢が夢でなくなるし、夢だった場所も生活の場所だし、日常になるから、ここが夢の場所だったなんて気付きにくくなる。
でも、「そう言えば、私、夢が叶ってるやん…」って思ったら、「今いるこの場所を、もっと大切にしなきゃ…」なんて思えた。
何だか、この感覚って、大好きだった人と結婚しても、暫く連れ添っていれば、その人の存在自体が空気みたいに感じられて、いつも一緒にいるから、その人の嫌な面も短所も色々と見えて、大好きの感覚も薄れるんだけど、でも、大好きだった人と結婚してるんだって思えば、幸せな気分になれて、「やっぱり大切にしなきゃ…」って思えるのに似てるかな?
先日、友人と話していて、人は、知らず知らずのうちにも、こうなりたいと潜在的に思っている方に、歩いて来るものなのかも…、私、20歳代前半の頃に夢見た方向に、いつの間にか歩いて来てるやん…って思った。
…今日は『母の日』。
20歳代も後半になってから、ゴルフ場の研修生になると言って実家を飛び出した私(最初に所属したゴルフ場が、全寮制だったため)。
私が家を出て行った日に、母は、夜空を見上げて月を見て、「あの子も、今、この月、見てるかな?ゴルフが好きだからと、あんな道に向かって進んで行って…。あんな道に進んでも、果たして、あの子にゴルフの道は開けるのかな?この夜の暗がりのように、あの子の将来は全く見えないわ…」って思ったと、最近になって聞いた。
何故か「歯医者になりたい」と書いてしまった小学校の頃の作文を、大事に残している両親。
親の密かな期待を裏切ってしまったかもしれない私。
自分の夢を叶えるために、『親の心、子知らず』で、家を飛び出した私。
「申し訳なかった」と思うと同時に、やっぱり、親には、いつまでも頭を上げることはできません…。