ゴルフの空(GET Golf Academy 主宰 松村公美子のブログです)

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自分の知らないこと/自分が知っていること

2012年02月07日 | 人として思うこと
昨日のblogを書きながら、
父が私に言った言葉を思い出した。

以前のblogにも書いたことが有るが…、
高校を卒業する頃か、大学に入学した頃に、父と梅田に在る大きな本屋さんに行った時のこと。

父は、私に向かって「ぎょうさん本が有るやろ。おまえ、ここに有る本、全部読めるか?」と尋ねた。
私は、「絶対に無理や!」と答え、
「何故、そんな分かりきったこと尋ねるのか?ここに有る本、全部読めとでも言うの?」と怪訝そうな顔をして父の顔を見ると、
父は「そうやろ。一生かかっても無理と違うか?…ということは、おまえが、一生知らずにいることも多く有ると言う事や。世の中には、おまえが知らないでいることの方が、おまえが知っていることより、はるかに多く有ると言うことや。」と言った。

そして、「そやから、おまえが知らんことは、そのことについて、よく知っている人に、尋ねたらええ。よく知っている人に尋ねた方が、自分で何でもかんでも調べようとするより効率も上がるかもしれへんしな。」と言うようなことも言った。

その言葉を聞いた、その当時の私は、「それって、どんなに頑張って世の中を知ろうとしても、知りつくせるものではないと言っているようなもんやん。学ぶ気や本を読む気さえ失せさせるような言葉や。知らないことを知っている人に尋ねて良いなら、自分では別に知ろうとしなくても良いってことやん…」と感じたが、
後になってから、あの言葉は、父が私に暗に教えた「世の中」だったのかもしれない…と思う。

そして、たとえ仕事上、専門分野のことについては詳しくなったとしても、世の中に有るのは、それだけではない…と言う事を、どこかで知っておかなくては、鼻持ちならない人間になる。
そんな世間の狭い人間になるな。
知らないことは、知ってる人に「教えて下さい」と頭を下げられる人間になれ…と、父は、あの時、私にそう言いたかったのだろうな…と、その頃より、もう少し大人になってから、父の言葉の意味を理解した。

この父の言葉と同じようなことを内田樹さんも書いておられたので、引用しておきたいと思う。

『必要があればネットで何でも調べられると豪語する若者がときおりいるが、私はそういうものではないと思う。
検索するためには検索のためのキーワードを知っていることが必要だ。
しかし、そのキーワードそのものを知らない事項については、検索することができない。
「学ぶ」というのは、キーワードを検索することとは別のことである。
自分が何を知らないかについて、知ることである。
自分の知識についての知識を持つことである。
それは「知識をふやす」こととは違う。
「知識をふやす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。
「知識についての知識を持つ」というのは「階段を上がること」である。
ぜんぜん違う。
学校というのは子どもに「自分はなにを知らないか」を学ばせる場である。
一方、受験勉強は「自分が何を知っているか」を誇示することである。

世の中には自分の知らないことがたくさんあるんだ、と思うことができれば、それだけで学校に行った甲斐はある。
しかし、受験勉強は「自分にできること」に特化することを子どもに強いる。
もちろんそれにも意味はある。
それは「自分にできること」がわかれば、「自分にはできないこと」ができる人々とのコラボレーションを立ち上げることができるからである。
「自分の知らないこと/自分にできないこと」の中に位置づけられてはじめて「自分が知っていること/自分ができること」は共同的に意味を持つ。』

「知識についての知識を持つ」。
これは、言い換えれば、
「自分の世界の小ささ」の認識でもあると思う。

その「小ささ」に気づける人間になれ…。

内田樹さんのこの文章を読んだ時、父が言いたかったことも、これとよく似たことだったのかもしれないと思った…。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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お父さん、りっぱ! (jx)
2012-02-08 11:41:18
いやあ、立派なお父さんですね。

人間の知識や論理なんか、まったく取るに足らないものだとの
認識ができるかどうか、これってその人の本質を左右しますよね。

文明を発展させた科学だって、今は正しいと思われている理論も、
本当に正しいかは誰も答えられない。それは科学史が立証してます。

ましてや、我々の世間話に出てくる内容は、間違いとうそに振り回されている。
結局、人間の本質は「傲慢」なのかも知れないですね。
いかに自分自身を正しく認識するか。その心を忘れた瞬間に、
「傲慢」がのさばってくるんですね。
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Unknown (K)
2012-02-08 17:21:08
母に優しく、
娘たちに甘い父ですが…f(^_^;

そんな父の背中を見て育った私も、
あと数年すれば、この当時の父の年齢に追いつくんですよね…(^^;)))

なんだか…「ガンバレ私…」って感じです(^-^;
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