(これまでに書いてきたブログを書籍化するにあたり、先ず、私がティーチングプロになった経緯を書いておきたいと思います)
ゴルフをはじめた当初(18~19歳のころ)は、将来、自分がこういう職業に就くなどとは、ゆめゆめ思っていなかった。
最初は、ゴルフが面白くとも何ともなかった。プロに対する憧れすらも、全く無かった。
単に、「何かスポーツがしたいな。何が良いかな。(ゴルフの)練習場になら、時間の空いた時に、一人ででも行けるな。ゴルフなら、それまでしていたソフトボールのバッティングと少し似てるかもしれないし、練習すれば、上手くなれるかな…?」なんて、とても軽い気持ちで、よく練習場に足を運ぶようになった。
練習しているうちに、ソフトボールをしていた経験が生きたのか、ボールがよく飛ぶようになってきた。
私の練習している姿を見ていた周囲のおじさま方も、「よぉー飛ばすなぁー」「そんだけのパワーが有ったら、プロになれるんちゃうか」「この前、この練習場に来ていた女子プロ(当時ツアーに出ておられた方)でも、あんたより飛んでなかったで」などと言ってくれるようになった。
でも、それを聞いても、「ふぅーん、そうなの…」と思うくらいで、「時々、こうして練習に来て、ボールをバコーンと打ってることが面白いだけやねん。ラウンドに行くと言っても、ほとんど歩いているだけのゴルフの競技自体には、あんまり興味が有りません」って感じだった。
それでも、もうちょっと上手くなりたいなと思ってゴルフスクールに入ると、ラウンドに誘ってもらえる機会も増え、スコアに対する”欲”も出るようになった。
だけど、プロになるために必要だと思える70台のスコアには、まだまだ手の届かないレベルだった。
なので、大学を卒業すれば、どこかの会社に就職。
それが、当然と思える選択をした。
入った会社は、証券会社。当時は、バブルの全盛期。
活気の溢れる会社で、華やかなOL時代???いやいや、残業だらけのOL時代を過ごした。
そして、訪れたブラックマンデー。株価が軒並み大暴落。
底なし沼のように株価が下がり、値もつかない1日。
値下がりを示す緑色の数字で染まった株価ボードを茫然と眺めながら、手の打ちようも無く、会社にいてた人みんなの顔も、ただただ青ざめていた。
その日を境に、会社にいながら、物凄いストレスを感じるようになった。
背中から後頭部にかけて凝り固まり、時々血液が逆流したのではないかと思えるような頭痛も起きた。
「これはいけない。ストレス解消のためにも、もっと運動しなきゃ!」そう思い、多少帰宅は遅くなっても、会社帰りに、また、ゴルフの練習に通うようになった。
パコーン、パコーンとボールを打って汗をかくと、爽快だった。
顔見知りのおじさま方と、ゴルフの話をしていると楽しかった。
証券会社にいた頃は、その頃で夢も有った。
店頭企画という営業企画を練る部署で働きたい。兜町(東京)に行きたい。
そして、いつかはウォール街(ニューヨーク)を闊歩してみたい。
証券ウーマンとして働く、そんな夢も、ブラックマンデーと共に、どこかに消え始め「転職した方が良いのでは…」と、徐々に思うようになった。
「”転職”と言っても、今度は、どんな会社で働きたいかな?」「自分が本当にやりたい仕事って何だろう?」「自分に何が出来るかな?」
株価ボードを見ながら、そんなことをぼんやりと考え始めるようになった。
転職を考え始めたら、仕事に対する意欲も徐々に薄れ、「ここ(証券会社)に、このままいててもラチがあかない。ひとまず退職しよう」と、3年半務めた会社を思い切って辞めた。
辞めてからは、暫く実家でのんびり…。
この間、”番茶も出花”で、”永久就職”を考えなかったこともない。
だけど、もうひとつビビッ!と来ず、結局見送り…。
そんな時、ゴルフのレッスンを受けていたプロが「自分の助手をしないか?」と、話を持ちかけてくれた。
「初心者の人に、グリップの握り方とか教えたってくれたらええねん」
当時は、まだ資格が有るとか無いとか、そんなレベルでレッスンが考えられている時代ではなく、そこそこ上手けりゃ、プロの助手でアルバイト。
そういうことも、大目に見られている時代だったかもしれない。
「う~ん??」と考えた挙句、「そういう仕事をするのなら、一度、本当に私もプロになれるかどうか、試してみたい」「今までゴルフは、全く趣味としか考えていなかった。自分の全身全霊を賭けて、一生懸命に練習していた訳でもない。だったら、一生のうちの短い期間で構わないから、ゴルフの修行をしてみたい」と思うようになった。
ゴルフをはじめた当初(18~19歳のころ)は、将来、自分がこういう職業に就くなどとは、ゆめゆめ思っていなかった。
最初は、ゴルフが面白くとも何ともなかった。プロに対する憧れすらも、全く無かった。
単に、「何かスポーツがしたいな。何が良いかな。(ゴルフの)練習場になら、時間の空いた時に、一人ででも行けるな。ゴルフなら、それまでしていたソフトボールのバッティングと少し似てるかもしれないし、練習すれば、上手くなれるかな…?」なんて、とても軽い気持ちで、よく練習場に足を運ぶようになった。
練習しているうちに、ソフトボールをしていた経験が生きたのか、ボールがよく飛ぶようになってきた。
私の練習している姿を見ていた周囲のおじさま方も、「よぉー飛ばすなぁー」「そんだけのパワーが有ったら、プロになれるんちゃうか」「この前、この練習場に来ていた女子プロ(当時ツアーに出ておられた方)でも、あんたより飛んでなかったで」などと言ってくれるようになった。
でも、それを聞いても、「ふぅーん、そうなの…」と思うくらいで、「時々、こうして練習に来て、ボールをバコーンと打ってることが面白いだけやねん。ラウンドに行くと言っても、ほとんど歩いているだけのゴルフの競技自体には、あんまり興味が有りません」って感じだった。
それでも、もうちょっと上手くなりたいなと思ってゴルフスクールに入ると、ラウンドに誘ってもらえる機会も増え、スコアに対する”欲”も出るようになった。
だけど、プロになるために必要だと思える70台のスコアには、まだまだ手の届かないレベルだった。
なので、大学を卒業すれば、どこかの会社に就職。
それが、当然と思える選択をした。
入った会社は、証券会社。当時は、バブルの全盛期。
活気の溢れる会社で、華やかなOL時代???いやいや、残業だらけのOL時代を過ごした。
そして、訪れたブラックマンデー。株価が軒並み大暴落。
底なし沼のように株価が下がり、値もつかない1日。
値下がりを示す緑色の数字で染まった株価ボードを茫然と眺めながら、手の打ちようも無く、会社にいてた人みんなの顔も、ただただ青ざめていた。
その日を境に、会社にいながら、物凄いストレスを感じるようになった。
背中から後頭部にかけて凝り固まり、時々血液が逆流したのではないかと思えるような頭痛も起きた。
「これはいけない。ストレス解消のためにも、もっと運動しなきゃ!」そう思い、多少帰宅は遅くなっても、会社帰りに、また、ゴルフの練習に通うようになった。
パコーン、パコーンとボールを打って汗をかくと、爽快だった。
顔見知りのおじさま方と、ゴルフの話をしていると楽しかった。
証券会社にいた頃は、その頃で夢も有った。
店頭企画という営業企画を練る部署で働きたい。兜町(東京)に行きたい。
そして、いつかはウォール街(ニューヨーク)を闊歩してみたい。
証券ウーマンとして働く、そんな夢も、ブラックマンデーと共に、どこかに消え始め「転職した方が良いのでは…」と、徐々に思うようになった。
「”転職”と言っても、今度は、どんな会社で働きたいかな?」「自分が本当にやりたい仕事って何だろう?」「自分に何が出来るかな?」
株価ボードを見ながら、そんなことをぼんやりと考え始めるようになった。
転職を考え始めたら、仕事に対する意欲も徐々に薄れ、「ここ(証券会社)に、このままいててもラチがあかない。ひとまず退職しよう」と、3年半務めた会社を思い切って辞めた。
辞めてからは、暫く実家でのんびり…。
この間、”番茶も出花”で、”永久就職”を考えなかったこともない。
だけど、もうひとつビビッ!と来ず、結局見送り…。
そんな時、ゴルフのレッスンを受けていたプロが「自分の助手をしないか?」と、話を持ちかけてくれた。
「初心者の人に、グリップの握り方とか教えたってくれたらええねん」
当時は、まだ資格が有るとか無いとか、そんなレベルでレッスンが考えられている時代ではなく、そこそこ上手けりゃ、プロの助手でアルバイト。
そういうことも、大目に見られている時代だったかもしれない。
「う~ん??」と考えた挙句、「そういう仕事をするのなら、一度、本当に私もプロになれるかどうか、試してみたい」「今までゴルフは、全く趣味としか考えていなかった。自分の全身全霊を賭けて、一生懸命に練習していた訳でもない。だったら、一生のうちの短い期間で構わないから、ゴルフの修行をしてみたい」と思うようになった。