山梨県が大変な雪災害に見舞われているようですね。
Facebookでも、この実情を知らせる記事が載っています。
心配する声も挙がっています。
それらの写真を見ると、
車がすっぽりと埋まってしまうくらいの大量の雪が降ったこと、
雪の重さで屋根が抜け落ちているのが分かります。
また、雪による道路の寸断で、コンビニから食料が無くなっている、
まるで陸の孤島となってしまっているようだとの記事も…。
Yahoo!ニュースなどを見ると、今日は、徐々に回復しはじめているようですが…、
でも、こういう実情を知ると、本当に顔が曇りますね。
胸が痛みます。
自然災害が起きたことが悔しいです。
そして、自然災害の前で、人間は無力と、痛感させられます。
でも、今、どれだけ心配しても、現実的に助けに行くことのできない私たちは、こんな時、なにができるのでしょうか?
…買い物に行きました。
で、パンを買おうとします。
でも、今、雪災害の起きている地域の人たちは、食料がなくて困っておられる。
それなのに、今、自分は、目の前にある美味しそうなパンを買って食べようとしている。
雪で困っておられる人たちのことを思うと、こんなの食べられない。
だから、買うのをよそう…では、
パンを買わない。
↓
パン屋さんが儲からない。
↓
パン屋さんがパンを作れない。
↓
パンの製造量が減る。
↓
輸送できるパンが無い。
…という、負の連鎖に陥るような気がします。
こういう時こそ、
みんながパンを買う。
↓
パン屋さんの利益が上がる。
↓
パン屋さんがパンをたくさん作ることができる。
↓
パンの製造量が増える。
↓
輸送できるパンの量も増える。
…という、これは、たとえばの話しですが、こういう“元気”や“活気”を生むことが、
間接的な方法ではあるけれど、
一人ひとりにできることではないか?と思う。
祈りや願いを込めて、「パンを買うこと」。
そういうことのような気がします。
一人ひとりは、どれだけ心の動揺があったとしても、各々の活動は停滞させない…遂行する…それが自然災害に対する対処の仕方。
でないと、自然災害に、人間社会が潰されてしまいます。
…と、そう思うのが、私の阪神・淡路大震災から得た教訓ですかね。
Facebookでも、この実情を知らせる記事が載っています。
心配する声も挙がっています。
それらの写真を見ると、
車がすっぽりと埋まってしまうくらいの大量の雪が降ったこと、
雪の重さで屋根が抜け落ちているのが分かります。
また、雪による道路の寸断で、コンビニから食料が無くなっている、
まるで陸の孤島となってしまっているようだとの記事も…。
Yahoo!ニュースなどを見ると、今日は、徐々に回復しはじめているようですが…、
でも、こういう実情を知ると、本当に顔が曇りますね。
胸が痛みます。
自然災害が起きたことが悔しいです。
そして、自然災害の前で、人間は無力と、痛感させられます。
でも、今、どれだけ心配しても、現実的に助けに行くことのできない私たちは、こんな時、なにができるのでしょうか?
…買い物に行きました。
で、パンを買おうとします。
でも、今、雪災害の起きている地域の人たちは、食料がなくて困っておられる。
それなのに、今、自分は、目の前にある美味しそうなパンを買って食べようとしている。
雪で困っておられる人たちのことを思うと、こんなの食べられない。
だから、買うのをよそう…では、
パンを買わない。
↓
パン屋さんが儲からない。
↓
パン屋さんがパンを作れない。
↓
パンの製造量が減る。
↓
輸送できるパンが無い。
…という、負の連鎖に陥るような気がします。
こういう時こそ、
みんながパンを買う。
↓
パン屋さんの利益が上がる。
↓
パン屋さんがパンをたくさん作ることができる。
↓
パンの製造量が増える。
↓
輸送できるパンの量も増える。
…という、これは、たとえばの話しですが、こういう“元気”や“活気”を生むことが、
間接的な方法ではあるけれど、
一人ひとりにできることではないか?と思う。
祈りや願いを込めて、「パンを買うこと」。
そういうことのような気がします。
一人ひとりは、どれだけ心の動揺があったとしても、各々の活動は停滞させない…遂行する…それが自然災害に対する対処の仕方。
でないと、自然災害に、人間社会が潰されてしまいます。
…と、そう思うのが、私の阪神・淡路大震災から得た教訓ですかね。