先日のblogにも「読みます」と書いていた(笑)、内田樹さんと甲野善紀さんの対談集『身体を通して時代を読む』の中で、甲野さんが、このようなことをおっしゃっていた。
引用させていただくと…。
『最初のうちはできないけれど、稽古を重ねるとだんだんとうまくできるようになる技とか、初心者にも簡単にできる代わりに、上級者には退屈、というようなものが「基本」であるのではない。そうではなくて、「基本の型」というのは、無限の解釈可能性に開かれているので、初心者がその型から引き出す技法的課題と、上級者が引き出す技法的課題とが違っている。だから、その「基本の型」を「あ、できた」と思ってクリアーする「仕方」そのものが、段階ごとに違う。
ひとつの型からひとつの技術的テーマしか見いだせない人間は、同じ稽古を無限に繰り返すことになりますが、ひとつの型からその進度に応じて、そのつど異なる、より困難な技術的課題を発見できる人間は、「進化の仕方」そのものが変わってくるということがありうると思うんです。』
…この箇所、非常に、共感致しました…(^^)
レッスンにおいて、これが「基本の型」ですと提示させていただくものは、「初心者だから、これ」「上級者だから、これ」といったような区別は無い方がいい。
レッスンで、提示させていただく「基本の型」は、「型を型として使いこなせる型」であり、「繰り返して練習していれば、その型から、初心者の方が引き出される技法的課題と、上級者の方が引き出される技法的課題は、おのずと違ってくるもの」であるのがいい。
…と、私も思います。
これは、レッスン形態が、グループレッスンだからではなく、
スイングを、よくよく考えてみれば、人間の身体的機能は“同じ”であるなら、その「基本となる型」は、“技術的なレベルを超越する”…と思えるから。
無限の可能性を秘めている「基本の型」を考え、提示させていただくのが、私の役目です。
そして、その「基本の型」は、初心者、上級者を問わないもののようでも、追求して行けば、「深いぃ~」し、
その深さを堪能していただければ、『「進化の仕方」そのものが変わってくるということがありうる』ものであるほど良い…と思っている。
甲野さんは、続けて…、
『だから、凡人をして、「進化の仕方か進化する」ように誘う装置として、「基本の型」、「よくできた型」というのは練成されてできたのではないかと僕は思っているんです。』とおっしゃっていた(書いてあった…笑)。
古くから伝わる武術などには、そういう確固とした「基本の型」が有るようだ。
誰でも、あきらめずに稽古していれば、必ず、身に付くと言ったような型が…。
だけど、今、ゴルフの練習の仕方や、“ドリル”として、レッスン書などを通して提示されている方法は、本当に、様々…。
色んな人が色んなことを言うために、ややこしくなり過ぎている…。
これら全てを網羅して練習しようとすればするほど、訳が判らなくなってしまうのではないか?と思えるほどである(苦笑)。
それを、どうにか、そうではなくて…、
練成された「基本の型」を、
「進化の仕方が進化する」ような「基本の型」を、
ゴルフにもそういう「基本の型」を、
見い出して行かなければいけないのではないか…
と、この甲野さんの言葉を読んでいて、改めて、そう思った。
引用させていただくと…。
『最初のうちはできないけれど、稽古を重ねるとだんだんとうまくできるようになる技とか、初心者にも簡単にできる代わりに、上級者には退屈、というようなものが「基本」であるのではない。そうではなくて、「基本の型」というのは、無限の解釈可能性に開かれているので、初心者がその型から引き出す技法的課題と、上級者が引き出す技法的課題とが違っている。だから、その「基本の型」を「あ、できた」と思ってクリアーする「仕方」そのものが、段階ごとに違う。
ひとつの型からひとつの技術的テーマしか見いだせない人間は、同じ稽古を無限に繰り返すことになりますが、ひとつの型からその進度に応じて、そのつど異なる、より困難な技術的課題を発見できる人間は、「進化の仕方」そのものが変わってくるということがありうると思うんです。』
…この箇所、非常に、共感致しました…(^^)
レッスンにおいて、これが「基本の型」ですと提示させていただくものは、「初心者だから、これ」「上級者だから、これ」といったような区別は無い方がいい。
レッスンで、提示させていただく「基本の型」は、「型を型として使いこなせる型」であり、「繰り返して練習していれば、その型から、初心者の方が引き出される技法的課題と、上級者の方が引き出される技法的課題は、おのずと違ってくるもの」であるのがいい。
…と、私も思います。
これは、レッスン形態が、グループレッスンだからではなく、
スイングを、よくよく考えてみれば、人間の身体的機能は“同じ”であるなら、その「基本となる型」は、“技術的なレベルを超越する”…と思えるから。
無限の可能性を秘めている「基本の型」を考え、提示させていただくのが、私の役目です。
そして、その「基本の型」は、初心者、上級者を問わないもののようでも、追求して行けば、「深いぃ~」し、
その深さを堪能していただければ、『「進化の仕方」そのものが変わってくるということがありうる』ものであるほど良い…と思っている。
甲野さんは、続けて…、
『だから、凡人をして、「進化の仕方か進化する」ように誘う装置として、「基本の型」、「よくできた型」というのは練成されてできたのではないかと僕は思っているんです。』とおっしゃっていた(書いてあった…笑)。
古くから伝わる武術などには、そういう確固とした「基本の型」が有るようだ。
誰でも、あきらめずに稽古していれば、必ず、身に付くと言ったような型が…。
だけど、今、ゴルフの練習の仕方や、“ドリル”として、レッスン書などを通して提示されている方法は、本当に、様々…。
色んな人が色んなことを言うために、ややこしくなり過ぎている…。
これら全てを網羅して練習しようとすればするほど、訳が判らなくなってしまうのではないか?と思えるほどである(苦笑)。
それを、どうにか、そうではなくて…、
練成された「基本の型」を、
「進化の仕方が進化する」ような「基本の型」を、
ゴルフにもそういう「基本の型」を、
見い出して行かなければいけないのではないか…
と、この甲野さんの言葉を読んでいて、改めて、そう思った。
芸事にも職人の技でも、更にはビジネスにも。
人間の得意技は、知識(技)の蓄積と伝承ですからね。他の動物には、
決して出来ない。
うちの愚妻が書道をやってます。展示会などにも出展して、私が言うのも
何ですが、かなりの腕前です。なのに、彼女は毎晩のように、「臨書」を
やってます。臨書は、昔の名人の字を真似て写すんですね。よくまあ
飽きずに、って思うのですが、これが書道の「基本」と言って止めません。
私も書道は、ちょっとだけかじってました
伯母が書家なもので…。
あっ、うちの伯母も日展とかに出してます。
奥様と、お知り合いだったりして…
書道も、楷書に行書に草書に臨書をやって、その上で、創作ですよね。
基本の無い創作は、ただの落書き
確かに、どんな世界においても、これと同じことが言えるかもしれませんね