さてさて、かなり期間が空きましたが…『響きあう脳と身体』を読んで…の続きです。
この本の中で茂木さんは、『たとえば脳科学の分野でも「研究というのはこうやればいいんだ」とか「こうするのがまっとうだ」みたいな話があふれています。そんなこと、知ったことじゃないんですよ(笑)。僕の知っているまともな研究をやっている学者で、そんな生き方をしてきた人なんて一人もいません。「こうやるといいよ」と言われてそれをおとなしくやってくるような人にまともな学者なんかいない。…最近は健康法とかも「こうやると健康になれます」みたいなマニュアルもどきのものが多いでしょう?けれど、生き物というのは「そんなこと知ったことじゃねえよ」という無茶苦茶なエネルギーがないと、ほんとうの意味での輝きが出ないと思います。…今の社会が決めた「こういうふうにすると人生幸せだよ」というルールに従順であればあるほど、そういうメチャクチャなパワーからは離れていってしまうような気がします。』とおしゃっていた。
”マニュアルに従順過ぎないこと”は、私も、賛成。
結局、自分や自分の考えに自信が無いから、マニュアルに従順にならざるをえないのではないかと思う。
マニュアルに固執し過ぎていれば、自分なりの工夫や、創造性も発揮できない。
中には、マニュアルに書いてあること、取り扱い説明書に書いてあることを数多く知っていると言うだけで、いかにも自分が偉くなったように感じる人もいるのだろうが、裏を返せば、「書いてあるじゃん」。
もうひとつ先に進もうと思えば、そこからは、自分なりの創意工夫が要る。
知識は知識として知った上で、自分はどう思うのか、自分ならばどうするかを考えて行かないと、マニュアルにがんじがらめになってしまい、そこから脱却できなくなる。
そして、そういう人は、茂木さんもおっしゃっていたけれど、自分の信じている枠組みから外れたものは見えない、というか見たくないのかもしれません。
それでは、やはり、まともな学者や研究者にはなれないですよね。
どの世界にも、最低限抑えておかなくてはいけない”基本”は有る。
ゴルフを教えるでも、最低限知っておかなくてはいけない”基本”は有る。
だけど、「だから、このような指導法がいいでしょう」と言われた通り、言わば、マニュアル通りの教え方では、いずれどこかで”頭打ち”が来る。
その時に、「これで、マニュアル通りだから」と、そこから脱却できないようでは、結局、マニュアルに逃げ込んでいるだけだし、うまく行かない責任も、マニュアルに取らせるようなもの。
言わば”マザコン”。
マニュアルが、”ママ”(笑)。
知識よりも知恵。
あのアインシュタインも『想像力は知識より もっと大切である』と言っている。
また、このマニュアル事項に関して、甲野さんは、『日本の武術における型稽古の優れたところは「つい動いてしまう」とか、「普通にやっていると動きやすい」動きをあえて不自由に制限することによって、日常的な動きから飛躍したレベルの高い動きを、本人が発見できるように組まれていたはずなのです。』とおっしゃっていた。
型は、”型にはまった人間”を作ることではなくて、型を型として使いこなせるようになるために、稽古するもの。
型は、身体を動かす手がかりとなるもの。
この点で言えば、ゴルフスイングを覚えるためのドリルも、マニュアルではなく、型稽古…ですね。
その型を指導する私たちは、甲野さんの言葉を借りれば、『とりあえず形を真似していただく中で、うまく日常的な動きから断絶した世界をかいま見ていただき、そこへ飛躍できるように稽古する人を導くように構造化されている』型を、型として指導すべきなのだと思います。
茂木さんもおしゃっていた通り、『マニュアル的な思考の世界にとどまっていては、甲野さんが散々強調されている、身体が持つ同時並列性は決して養われない。』のですから…。
この本の中で茂木さんは、『たとえば脳科学の分野でも「研究というのはこうやればいいんだ」とか「こうするのがまっとうだ」みたいな話があふれています。そんなこと、知ったことじゃないんですよ(笑)。僕の知っているまともな研究をやっている学者で、そんな生き方をしてきた人なんて一人もいません。「こうやるといいよ」と言われてそれをおとなしくやってくるような人にまともな学者なんかいない。…最近は健康法とかも「こうやると健康になれます」みたいなマニュアルもどきのものが多いでしょう?けれど、生き物というのは「そんなこと知ったことじゃねえよ」という無茶苦茶なエネルギーがないと、ほんとうの意味での輝きが出ないと思います。…今の社会が決めた「こういうふうにすると人生幸せだよ」というルールに従順であればあるほど、そういうメチャクチャなパワーからは離れていってしまうような気がします。』とおしゃっていた。
”マニュアルに従順過ぎないこと”は、私も、賛成。
結局、自分や自分の考えに自信が無いから、マニュアルに従順にならざるをえないのではないかと思う。
マニュアルに固執し過ぎていれば、自分なりの工夫や、創造性も発揮できない。
中には、マニュアルに書いてあること、取り扱い説明書に書いてあることを数多く知っていると言うだけで、いかにも自分が偉くなったように感じる人もいるのだろうが、裏を返せば、「書いてあるじゃん」。
もうひとつ先に進もうと思えば、そこからは、自分なりの創意工夫が要る。
知識は知識として知った上で、自分はどう思うのか、自分ならばどうするかを考えて行かないと、マニュアルにがんじがらめになってしまい、そこから脱却できなくなる。
そして、そういう人は、茂木さんもおっしゃっていたけれど、自分の信じている枠組みから外れたものは見えない、というか見たくないのかもしれません。
それでは、やはり、まともな学者や研究者にはなれないですよね。
どの世界にも、最低限抑えておかなくてはいけない”基本”は有る。
ゴルフを教えるでも、最低限知っておかなくてはいけない”基本”は有る。
だけど、「だから、このような指導法がいいでしょう」と言われた通り、言わば、マニュアル通りの教え方では、いずれどこかで”頭打ち”が来る。
その時に、「これで、マニュアル通りだから」と、そこから脱却できないようでは、結局、マニュアルに逃げ込んでいるだけだし、うまく行かない責任も、マニュアルに取らせるようなもの。
言わば”マザコン”。
マニュアルが、”ママ”(笑)。
知識よりも知恵。
あのアインシュタインも『想像力は知識より もっと大切である』と言っている。
また、このマニュアル事項に関して、甲野さんは、『日本の武術における型稽古の優れたところは「つい動いてしまう」とか、「普通にやっていると動きやすい」動きをあえて不自由に制限することによって、日常的な動きから飛躍したレベルの高い動きを、本人が発見できるように組まれていたはずなのです。』とおっしゃっていた。
型は、”型にはまった人間”を作ることではなくて、型を型として使いこなせるようになるために、稽古するもの。
型は、身体を動かす手がかりとなるもの。
この点で言えば、ゴルフスイングを覚えるためのドリルも、マニュアルではなく、型稽古…ですね。
その型を指導する私たちは、甲野さんの言葉を借りれば、『とりあえず形を真似していただく中で、うまく日常的な動きから断絶した世界をかいま見ていただき、そこへ飛躍できるように稽古する人を導くように構造化されている』型を、型として指導すべきなのだと思います。
茂木さんもおしゃっていた通り、『マニュアル的な思考の世界にとどまっていては、甲野さんが散々強調されている、身体が持つ同時並列性は決して養われない。』のですから…。