書こうか、どうしようか迷ったことなのですが…。
研修会やコンペにご参加下さっている方が、先日、お母様をお亡くしになりました。
まだ、65歳で、急逝だったとのこと。
残された方々の、ご心中をお察し申し上げるとともに、どうか、その悲しみが少しでも癒えますようにと、願わずにはいられない。
…私の祖母も急逝だった。
その日の朝の祖母は、「ちょっとしんどいから、横になるわ」と言って、朝ごはんも食べずに、台所の横の居間で、ごろんと横になっていた。
「あんまり無理をしたらあかんで。しんどかったら、寝ときや…」と声をかけて、そのまま、私は、いつものように仕事に行った。(証券会社に勤務していた頃)
それが、午前11時頃に、「おばあちゃんが亡くなったから、直ぐに帰って来い」と、父から会社に電話が入った。
「亡くなったって、どういうこと?」と、にわかには父の言っていることが信じられず、あふれて来そうになる涙をこらえながら、家に帰った。
朝、私が出掛ける時には、まだ、祖母は話していたし、心臓も動いていたし、呼吸もしていた。
だけど、「しんどい」と横になって、どうやら、そのまま、眠るように逝ってしまったようだった。
家に着いて、北向きに寝かされている祖母を見ても、とても亡くなっているようには思えず、「おばあちゃん、早く起きて」「もう1回しゃべろう!」って、号泣した。
生まれた時から祖父母と同居していた私は、大のおじいちゃん、おばあちゃんっ子。
祖父が亡くなった時は、まだ、小学5年生の頃で、愛する人との永遠の別れに対して、正面から向き合うことができなかった。
また、老衰で、日に日に弱って行く祖父を見ながら、幼いなりにも覚悟ができていたかもしれない。
だけど、祖母は、前日まで、元気で、自分のことは自分でして、野菜などの栽培もし、さらに、食事を作るなどで、家族の面倒まで見ようとしていた。
その日が近づくにつれ、本当は、しんどい日も有ったのかもしれない。
でも、誰にも悟られず、誰にも一言も漏らさず、最期まで、誰の手も煩わせることも無く、見事に、84歳で逝った祖母。
見事過ぎて、残された人間は、何の覚悟も、心の準備もできていなかった。
かわいがってくれた祖母が、もしも、そういう時を迎える時期が来れば、少しでも面倒を見させてくれて、その間際には、側にいて、手を握っていられたら、と思っていた私の願いも、無残に打ち砕かれたような気もした。
死因は、心不全。
ショックばかりが大きかった。
お母様をお亡くしになった方とは、5~6年のお付き合い。
研修会にご参加下さる予定だったことも有り、私も、この知らせを受けた時は、ショックだった。
そして、祖母が急逝した時の心境を思い出し、いてもたってもいられないような気持ちになった。
仕事の関係で、お通夜のみの参列となったが、こういう時には、どういう言葉を掛ければ良いのか、言葉に詰まった。
言えることは、「来世を信じましょう」だけ。
来世は、科学などでは解明されていない、残された人間の、心の問題だけかもしれない。
だけど、いくら科学が進歩しても、愛する人を亡くした悲しみの乗り越え方は、科学では知らせてくれない。
だから、来世。だから、輪廻転生。
亡くなった人は、生まれる前に戻るだけ。
来世で、また、自身のおじいちゃんや、おばあちゃん、お父さんやお母さんと再会し、この世での労をねぎらい合いながら、楽しく過ごしている。
私の祖母も、今頃は、「おとうさん、庭の柿の木に、今年もいっぱい柿が成りましたで。食べなはれ」と言って、祖父に、柿をむいてあげてるかもしれないなぁ~なんて思えば、自然に顔がほころぶ。
この世にいる人間が、あまりに悲しみ過ぎると、亡くなった人は、この世の人間のことが気になって、来世で、おちおち楽しんでいられないかも。
そんな風に、、、来世を信じてないと、乗り越えられない悲しみも有る。。。
私の祖母は、急に逝って、残された人間のショックは、物凄く大きかったけれど、それで「伝えたかったこと、教えたかったこと」って、一体何だったんだろうと、今でも、思う。
でも、それを考えて生きて行くことが、残された人間の役目かもしれないと思っている。
お母様をお亡くしになった方も、どうぞ、ご自身のお身体を大切に。
お母様が、この世で、貴女に残されていたメッセージを思い出しながら、強く、明るく、過して行って頂ければと思います。
最後になりましたが、お母様の安らかなご冥福を心よりお祈り申し上げております。
研修会やコンペにご参加下さっている方が、先日、お母様をお亡くしになりました。
まだ、65歳で、急逝だったとのこと。
残された方々の、ご心中をお察し申し上げるとともに、どうか、その悲しみが少しでも癒えますようにと、願わずにはいられない。
…私の祖母も急逝だった。
その日の朝の祖母は、「ちょっとしんどいから、横になるわ」と言って、朝ごはんも食べずに、台所の横の居間で、ごろんと横になっていた。
「あんまり無理をしたらあかんで。しんどかったら、寝ときや…」と声をかけて、そのまま、私は、いつものように仕事に行った。(証券会社に勤務していた頃)
それが、午前11時頃に、「おばあちゃんが亡くなったから、直ぐに帰って来い」と、父から会社に電話が入った。
「亡くなったって、どういうこと?」と、にわかには父の言っていることが信じられず、あふれて来そうになる涙をこらえながら、家に帰った。
朝、私が出掛ける時には、まだ、祖母は話していたし、心臓も動いていたし、呼吸もしていた。
だけど、「しんどい」と横になって、どうやら、そのまま、眠るように逝ってしまったようだった。
家に着いて、北向きに寝かされている祖母を見ても、とても亡くなっているようには思えず、「おばあちゃん、早く起きて」「もう1回しゃべろう!」って、号泣した。
生まれた時から祖父母と同居していた私は、大のおじいちゃん、おばあちゃんっ子。
祖父が亡くなった時は、まだ、小学5年生の頃で、愛する人との永遠の別れに対して、正面から向き合うことができなかった。
また、老衰で、日に日に弱って行く祖父を見ながら、幼いなりにも覚悟ができていたかもしれない。
だけど、祖母は、前日まで、元気で、自分のことは自分でして、野菜などの栽培もし、さらに、食事を作るなどで、家族の面倒まで見ようとしていた。
その日が近づくにつれ、本当は、しんどい日も有ったのかもしれない。
でも、誰にも悟られず、誰にも一言も漏らさず、最期まで、誰の手も煩わせることも無く、見事に、84歳で逝った祖母。
見事過ぎて、残された人間は、何の覚悟も、心の準備もできていなかった。
かわいがってくれた祖母が、もしも、そういう時を迎える時期が来れば、少しでも面倒を見させてくれて、その間際には、側にいて、手を握っていられたら、と思っていた私の願いも、無残に打ち砕かれたような気もした。
死因は、心不全。
ショックばかりが大きかった。
お母様をお亡くしになった方とは、5~6年のお付き合い。
研修会にご参加下さる予定だったことも有り、私も、この知らせを受けた時は、ショックだった。
そして、祖母が急逝した時の心境を思い出し、いてもたってもいられないような気持ちになった。
仕事の関係で、お通夜のみの参列となったが、こういう時には、どういう言葉を掛ければ良いのか、言葉に詰まった。
言えることは、「来世を信じましょう」だけ。
来世は、科学などでは解明されていない、残された人間の、心の問題だけかもしれない。
だけど、いくら科学が進歩しても、愛する人を亡くした悲しみの乗り越え方は、科学では知らせてくれない。
だから、来世。だから、輪廻転生。
亡くなった人は、生まれる前に戻るだけ。
来世で、また、自身のおじいちゃんや、おばあちゃん、お父さんやお母さんと再会し、この世での労をねぎらい合いながら、楽しく過ごしている。
私の祖母も、今頃は、「おとうさん、庭の柿の木に、今年もいっぱい柿が成りましたで。食べなはれ」と言って、祖父に、柿をむいてあげてるかもしれないなぁ~なんて思えば、自然に顔がほころぶ。
この世にいる人間が、あまりに悲しみ過ぎると、亡くなった人は、この世の人間のことが気になって、来世で、おちおち楽しんでいられないかも。
そんな風に、、、来世を信じてないと、乗り越えられない悲しみも有る。。。
私の祖母は、急に逝って、残された人間のショックは、物凄く大きかったけれど、それで「伝えたかったこと、教えたかったこと」って、一体何だったんだろうと、今でも、思う。
でも、それを考えて生きて行くことが、残された人間の役目かもしれないと思っている。
お母様をお亡くしになった方も、どうぞ、ご自身のお身体を大切に。
お母様が、この世で、貴女に残されていたメッセージを思い出しながら、強く、明るく、過して行って頂ければと思います。
最後になりましたが、お母様の安らかなご冥福を心よりお祈り申し上げております。
私は学校がカトリック系だったため、幼い頃から
宗教的環境の中で育ってきました。
生きていく中でこれはよかったと思うのは、この世だけで人間終わるのではないと教えられたことです。
これを私は信じることにしました。
人の死にあった時〝さみしさ〟はあるけど
〝悲しみ〟はない
何をするにもこの世だけで終わってしまうのではないと思うと、また違ってきます。
そうは信じてはいても、大切な人との別れが突然の時は本当につらいです。私も中学の時、学校からキャンプに一緒に行っていたひとつ下の妹が、水の事故で
亡くなりました。なぜか涙が出ず
「ありえない、これはニュースとかで見ることで、
私の家に起こるはずがない」と思ったのを覚えています。さみしさがきたのは日常の生活に戻ったときでした。時々今でも、妹がいたらどうなっているだろうと
思うことがあります。そしてこの頃妹に語りかけるのは〝会える時がだんだん近くなってくるね〟
お母様を亡くされた方に、私も「必ず又会えるよ」
と、そしてお母様のため、あなたのため祈っています。
コメント、ありがとうございます。
ちょっと”重い”内容だったので、書こうか、どうしようかと迷っていました。
だけど、その内容に対して、ご自身なりの考えや思いを書いて下さったことは、とても嬉しいですし、真正面から受け止めて下さったことに対しては、キャンベルさんの人間としての”深み”が伺えるような気がしました。
来世など、宗教的なことは、本当に心の問題だけかもしれません。
でも、ゴルフなどでも、いわゆる自分が”ゾーン”に入った時や、何か想像を超えることが起きたりすると、そこに、やはり”神”の存在を感じずにはいられない時が有ります。
科学でも、ゴルフでも、何でも…突きつめて行って、行き着くところは、もしかすると”神”なのかもしれませんよね。
”宗教心”は、人間にとって、必要なものだと思います。
キャンベルさん
来世でもお会いしましょうね!!