本日『1.17』は、「また、悲しくなるから」「また、あの怖さがよみがえってくるから」と思っても、
やっぱり、思い出す日。

忘れないことが、「供養」のようにも思える。
阪神淡路地区の、あちらこちらでは、追悼行事もおこなわれたようだ。


あの日の阪急電車

あの時の『花の道』

被災地にいて、「この先、どうなるのだろう?」と思った。
あれから20年の間に、あの日のあの時のあの時間の状況を、多くの人に尋ねられた。
そして、恐怖と悲しさを語ってきた。
あれから、20年経って、今日の宝塚市の様子を、少し高台にある宝松苑ゴルフセンターから見れば、
この街も、随分、変わったなぁ…。
変わって来られたんだなぁ…と思った。

そして、ここまで変わって来ることができたのは、多くの人が、被災地に思いを寄せてくださったから。
「くじけないでいよう」
「前を向こう」
「どうにかしよう」
そんな気持ちが有ったからなんだ。
そんなことに、なんだか、ようやく気づくことができ、
震災から20年目の今日、宝塚の街並みを見ながら、心の中に浮かんできた言葉は、
「ありがとう」だった。
「恐怖や悲しみ」より「感謝の念」。
20年目にして、ようやく「感謝の念」の方が、少しだけ大きくなったかもしれません。
やっぱり、思い出す日。

忘れないことが、「供養」のようにも思える。
阪神淡路地区の、あちらこちらでは、追悼行事もおこなわれたようだ。


あの日の阪急電車

あの時の『花の道』

被災地にいて、「この先、どうなるのだろう?」と思った。
あれから20年の間に、あの日のあの時のあの時間の状況を、多くの人に尋ねられた。
そして、恐怖と悲しさを語ってきた。
あれから、20年経って、今日の宝塚市の様子を、少し高台にある宝松苑ゴルフセンターから見れば、
この街も、随分、変わったなぁ…。
変わって来られたんだなぁ…と思った。

そして、ここまで変わって来ることができたのは、多くの人が、被災地に思いを寄せてくださったから。
「くじけないでいよう」
「前を向こう」
「どうにかしよう」
そんな気持ちが有ったからなんだ。
そんなことに、なんだか、ようやく気づくことができ、
震災から20年目の今日、宝塚の街並みを見ながら、心の中に浮かんできた言葉は、
「ありがとう」だった。
「恐怖や悲しみ」より「感謝の念」。
20年目にして、ようやく「感謝の念」の方が、少しだけ大きくなったかもしれません。