阿部ブログ

日々思うこと

頑張れ!下町ボブスレー

2013年05月11日 | 日記
下町ボブスレーは、東京都大田区の町工場が中心となって、純粋な日本の技術のみによる国産ボブスレーを開発して、2014年の冬季オリンピック(ロシア・ソチ)で優勝を目指すプロジェクトで、第183回通常国会の施政方針演説でも言及されている。

ボブスレーは、「氷上のF1」と呼ばれ、2012年1月に発足した下町ボブスレー・プロジェクトは、男子2人乗りボブスレーマシンを開発し、オリンピックでの初メダル獲得を目指すが、中心は、東京大田区の(株)マテリアル、(株)昭和製作所、(株)上島熱処理工業所などが中心となって活動を開始し、今は約30社の町工場が無償で部品加工等に協力している。既に2012年11月に第1号の試作マシンを完成させている。

ボブスレー競技は、1924年第1回冬季オリンピックからの正式種目で歴史あるものだが、未だに日本人は未だ入賞を果たしていない。ボブスレーは、最高時速130km~140kmにも達する競技で、欧米諸国は、政府機関や民間企業が協力してボブスレーを開発してオリンピックなど競技に臨んでいるが、今まで日本はボブスレーをEUから輸入していた。これを純国産技術で設計・開発したボブスレーでソチ冬期オリンピックに参加するのだ。そして優勝!

ボブスレーで重要なのはカウルの設計だと言う。カウル (cowl) とは、ボブスレー本体を流れる空気の流れを整流させ、安定させる覆いの事で、航空機などにも装備されている。カウルは、炭素繊維強化樹脂(CFRP)で成形し、4本のランナーと呼ばれるエッジを付ける。このランナーもまた重要なのだ。ランナーの善し悪しで、100分の1と言う微妙なタイム差が出ると言われ入賞の可否に関わるので、ランナーには非常に神経を使う。このランナーは、F1カーと同じ精度の精密切削加工が必要であるが、これは大田区の精密加工技術が最大限に動員される。

さて、ボブスレーを製造できる企業は、世界広しと雖も3社と言われるが、下町ボブスレーの成功可否を決めるのは、大田区の加工技術と併せて流体数値シミュレーション(CFD)を駆使する事も重要なのだが、このCFD分野に秀でた童夢カーボンマジック社も満を持して参画。それと流体解析ソフトベンダーのソフトウェアクレイドル社も参加。勿論、同社の「SCRYU/Tetra®」は完全なる純国産ソフトで、ボブスレーの車体設計や流体解析で全面支援している。SCRYU/Tetraの入力データは、3次元CAD「CATIA V5」。フランスのダッソー・システムズ社の有名なソフトでモデリングした3Dデータだ。このデータをSCRYU/Tetraで解析し、この解析結果をベースにボブスレーの形状を微妙修正していくプロセスを経る。

ボブスレーの車体は、左右対称なので、ハーフモデルをCATIAで設計する。この時の3D要素数は約1000万要素、節点数は250万に達すると言う。この莫大なデータを、48個のCPUをクラスタリングした高性能コンピュータで解析する。下町ボブスレーの例でも1設計パターン当たり解析時間は、1時間半が掛かる程、この手の解析は処理が重い。入賞を目指して解析を繰り返し最適な形状設計を行い、大田区の精密加工技術で、実際のボブスレーを製造する事となる。
フレー、フレー下町ボブスレー!
                        
最後に、下町ボブスレー・プロジェクトを支援している「さわやか信用金庫」は「ボブスレー応援定期預金」と言う商品を販売している。30万円からの定期預金となるが、下町ボブスレーに技術貢献が出来ない、一般ピープルには比較的ハードルの低い貢献支援となるだろう。

TBSのある赤坂サカスは、近衛歩兵第三聯隊の衛戍地

2013年05月11日 | 日記
昨日の午後、GEを訪問した。GEは発明王エジソンが創った会社。
少々早く赤坂に到着したので、GEが入居しているTBSの隣にある赤坂パークビルの敷地内にある銀杏ヶ丘を訪れた。この銀杏ヶ丘には、近衛歩兵第三聯隊の碑がある。

            

現在TBSのある赤坂サカス一体の一ツ木の丘は、近衛歩兵第三聯隊の衛戍地で、皇居北の丸に衛戍する近衛歩兵第一聯隊、近衛歩兵第二聯隊とは異なり、帝都防衛が主任務の歩兵聯隊だった。初代聯隊長は不敗の立見尚文。

さてGEを辞去してからは、そのまま千代田線赤坂駅には向かわず、少し遠回りだが一ツ木の丘を円通寺通りを下って行く。
                      
そこには「陸軍省管轄」の境界立柱が今でも2カ所残っている。それがコレだ↓
       

三井越後屋が寄贈した藤岡諏訪神社の御神輿が日本橋デビュー

2013年05月10日 | 日記
明日5月11日から『神田祭り「神幸祭」(神田明神室一祭)』が始まる。

神田祭は、ご存じの通り「江戸総鎮守」の神田明神のお祭り。鎮座して1300年と言う神田明神は、神田、日本橋、秋葉原、八重洲、丸の内、大手町など108の町々の総氏神でもある。
過去ブログ「4年振りに神田祭が開催される」にも書いた通り、藤岡諏訪神社の御神輿が日本橋を渡御する。

藤岡諏訪神社の御神輿は、安永9年(1780年)、三井越後屋の三井八郎右衛門が、藤岡の諏訪神社に八坂様の男女一対の御輿を奉納したもの。当時の藤岡には関東各地から絹が集積する地で、三井越後屋は、藤岡町笛木町通りに店を構えていた。三井は、諏訪神社に御神輿だけでなく、1831年には大灯籠一式、1857年には水屋を奉納しており、如何に藤岡の絹が、三井越後屋の商売で重要だったかを物語っている。

御神輿は、日本橋三越本店1階に展示されている。それと通勤途上激写した。
       

御神輿は、木造金箔朱塗り、黒塗りで、方4尺2寸、二重高欄延屋根型で、江戸は人形町通長谷川町の仏師・安岡良運と安岡忠五郎の作。この御神輿が、233年振りに江戸に戻り、神田祭りに参加し、明日16時頃、日本橋付近から三井本館までを往復巡行する予定だ。
御神輿は、今日まで日本橋三越本店に展示されているので、お祭り前に御神輿を観るのもおつなものだろう。

※藤岡諏訪神社の御輿保存会のホームページはこちら

明日5月10日に、出雲大社にて「本殿遷座祭」が斎行される

2013年05月09日 | 日記
明日10日19時より、「本殿遷座祭」が天皇陛下の大御使である勅使迎えて斎行される。

本殿遷座とは、古来から「天下無双の大廈」と謳われた本殿に大國主大神の御神体が再び鎮座される事。出雲大社は、1744年(延享元年)に遷宮され、1809年(文化6年)、1881年(明治14年)、1953年(昭和28年)と3度にわたり大遷宮が行われてきた。

平成の大遷宮は、2008年4月20日に大國主大神のご神体が御仮殿に遷されてから5年を経て、晴れて明日ご神体が新造された本殿に遷座され、一連の神事が執り行われる。翌11日には、勅使が参向し、大國主大神に幣帛を供え、祭文を奏上し出雲大社宮司である出雲国造により「本殿遷座奉幣祭」が斎行される。

平成の大遷宮の神事を執り行う出雲国造は、第84代千家尊祐(せんげたかまさ)国造である。

過去ブログ→「平成25年は伊勢神宮と出雲大社の遷宮の年

     お薦めの本は、コレ→    それとコレも→ 

東京国立近代美術館工芸館 「所蔵作品展 ~花咲く工芸」 その1

2013年05月06日 | 日記
近衛師団司令部だった東京国立近代美術館工芸館で開催されている「所蔵作品展 花咲く工芸」の作品を鑑賞。
                    

             最初の作品は、北大路魯山人の「金彩雲錦鉢」
                       
           続いて同じ魯山人の「色絵牡丹文鉢」
           
                   音丸耕堂の「彫漆紫陽花茶器」
                       
                  柿右衛門製陶技術保存会「柿右衛門濁手牡丹椿文壷」
                       
                    森口華弘の「古代縮緬地友禅訪問着 早春」
                              
               藤田喬平「飾箱 夜桜」            藤田喬平「飾箱 紅白梅」
                          

朝鮮半島の次は中東湾岸 ~5月8日から多国籍合同演習が始まる~

2013年05月05日 | 日記
2ヶ月と言う長期に渡って実施されていた米韓合同演習 "Foal Eagle" が終了。息もつかずに今度は5月8日から30日まで中東湾岸域で、多国籍海軍による合同演習が始まる。
この合同海軍演習は、中東湾岸エリアでの民間船舶の航行安全確保と機雷除去が主体とされ、海上自衛隊の護衛艦と掃海艇、それとソマリア派遣の対潜哨戒機が参加する予定だ。

勿論、対抗部隊はイラン海軍と革命防衛隊だが、既にイスラエル海軍の潜水艦がスエズ運河を過ぎ紅海に入っている。イスラエル政府によれば、イランの核兵器開発が、今年の春から夏にも最終段階に入るとの見解を示しているこの時期に、微妙な湾岸域での海軍演習を行うのは、明確なイランへの威嚇以外の何物でもない。イスラエルはイランの核武装については断固たる軍事的解決手段を行使する事を明言している。

この合同海軍演習には、米海軍は勿論の事、イギリス、フランス、アラブ首長国連邦などアラブ海軍、ニュージーランドなどイギリス連合王国海軍を中心に30~40カ国の海軍が参加する予定との事だが、多分にソマリア海域に派遣されている各国海軍部隊が参加するのだろう。イギリスは攻撃型原子力潜水艦を派遣する。

ロシアの動向が注目されるが、ロシア太平洋艦隊旗艦である巡洋艦ワリャーグがウラジオストックを5月1日に出航している。行き先は不明だが、多分にこの合同演習監視する為、湾岸域を遊弋するのだろう。地中海とインド洋海域に所在するロシア海軍艦艇もはせ参じるだろう。

ロシアのメディアは、今回の合同海軍演習の真の目的は機雷除去演習が目的ではなく、逆の機雷敷設だと報じているいるが、真偽の程はわからないが、あり得ない事ではないと思う。今回の合同海軍演習のエリアにホルムズ海峡は含まれないとしているが、機雷敷設は潜水艦で可能だ。既に米海軍は勿論の事、合同演習名目でイギリス、イスラエルの潜水艦が展開しつつある。

特にイスラエル海軍は、潜水艦戦力の強化に余年がない。今年4月29日にドルフィン級(Dolphin) 潜水艦の5番艦であるINS Rahavの就役式典を実施し、試験航海を経て、晴れて2014年にはイスラエルに最終納品される。同じドルフィン級の6番艦は、ドイツで建造中である。このドルフィン級の4番艦、5番艦、それと6番艦は、海上自衛隊のそうりゅう型と同じAIP(Air Independent Propulsion)がメイン動力で、静粛性に極めて優れている。

この当たりのことは過去ブログ「イスラエルの核武装した潜水艦艦隊とエジプトのドイツ潜水艦購入」に書いているので、ご参照下さい。

しかし、朝鮮半島の次は、湾岸ですか~忙しい事ですね...

近衛歩兵第二聯隊の碑

2013年05月05日 | 日記
近衛歩兵第二聯隊は、近衛歩兵第一聯隊と同じ日に軍旗を親授された日本陸軍最古の歩兵連隊。
近衛師団長・北白川能久親王の指揮の下、近衛歩兵第一聯隊とともに台湾平定に従事。日露戦争では明治37年の九連城攻略に参加、その後、遼陽、沙河、奉天などの戦闘に従軍した。
敗戦により昭和20年8月25日、軍旗を奉焼し解隊となった。

因みに軍旗は明治12年の太政官布告により連隊軍旗の制式が定められ、皇室儀制令の付則 「軍旗親授の儀」に則って授与されていた。歩兵連隊の軍旗は、幅3尺、縦2尺6寸4分で、陸軍最初の軍旗は、明治7年1月に近衛歩兵第一聯隊と近衛第二聯隊に親授したのが嚆矢。

        
聯隊記念碑の裏には、聯隊員の銘板が貼りつけてあるコレだ。
 

以下は、聯隊碑とその裏には細かい字で聯隊メンバーの名前記されている銘板がある。
     
それと、聯隊碑の正面から見て右側には歴代の連隊長名が記されている銘板がある。
   

記念植樹をしており、橘が植えられている。
    
橘の木の根元にある記念植樹碑にはこうある。

『記念樹たちはなの由来
われら元近衛歩兵第二聯隊出身者有志一同は 昭和四十三年一月二十三日この地に記念碑を建立するに際してその昔宮中守護に当たる左近衛府 右近衛府の武士が御所紫宸殿前に左近の桜と右近の橘をそれぞれ分して培養していた故事に因みこの橘の実生から京都御所で育成した苗木を拝受してこの記念樹として植樹し われら近衛兵の皇室に対する思念を永遠に伝える 左にある橘は昭和五十一年十一月十日今上陛下御在位五十年を奉祝して右記 同様の苗木を記念植樹したものである
昭和五十八年一月二十三日 近歩二会 
元近衛歩兵第二聯隊戦友会』

近衛歩兵第二聯隊戦友会(近歩二会)は、平成20年に会員の老齢化を理由に解散している。

近衛第一歩兵聯隊の碑

2013年05月04日 | 日記
近衛歩兵第一聯隊は、北の丸公園に位置していた。その碑がある。
      
                           近衛歩兵第1連隊跡記念碑
                             
近衛歩兵第一聯隊は、日本陸軍最初の歩兵聯隊として創設され、明治七年(一八七四)一月二十三日、明治天皇より軍旗を親授せられて以来、昭和二十年(一九四五)大東亜戦争終末に至るまで、七十一年余りの間この地に駐屯して、日夜皇居の守護に任じ、大正天皇 今上天皇も皇太子であらせられたとき、それぞれ十年の長きに亘り御在隊遊ばされた名誉ある聯隊である。
西南・日清・日露の各戦役及び日華事変には、軍に従って出征して輝かしい勲功を樹て、大東亜戦争に於いては、帝都防衛の一翼を担った。
近衛兵には、毎年の徴兵検査で全国から厳選された優秀な壮丁を以て充てられていた。

昭和四十二年一月二十三日
全国近歩一会

                         
帽章の碑の両横には全国近歩一会の方々の銘板が両側に貼り付けてある。それがコレだ。
                          

近衛歩兵第一聯隊跡の碑の裏にも銘板がある。
                           

近衛第一歩兵聯隊の歴史を知りたければ近代デジタルライブラリーが参考になる。


近衛師団司令部~現在は、国立近代美術館工芸館~

2013年05月04日 | 日記
北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館は、近衛師団司令部だった建物で、新進気鋭の陸軍技師・田村鎮の設計により明治43年に落成した。

    

近衛師団は、陸軍最古参の部隊として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にあたる枢要な部隊司令部に相応しい威厳ある建築である。様式はゴシック風で、延べ床面積は1860㎡。赤煉瓦と白の花崗岩の組み合わせが見事だ。

             

この近衛師団司令部を有名にしているのは、やはり昭和20年8月15日に起こった森赳師団長惨殺事件だ。森師団長は、2階の師団長室で殺害されている。敗戦の日における軍部の動きは興味深いものがあるが、殊、近衛師団長惨殺事件など8.15における皇族・軍人などの動きを含め極めて興味深い見解を示しているのは、下記の鬼塚英昭氏の「日本のいちばん醜い日」だ。是非とも一読をお勧めする。
 →日本のいちばん醜い日
      
敗戦により近衛師団は解散したが、師団司令部はその後、皇宮警察の寮として利用され、兵舎は東京学生会館として利用されていた。昭和38年、北の丸地区再開発により近衛師団や連隊兵舎等の建物群が撤去され、現在の北の丸公園として整備された。
                        

昭和39年4月には、国立公文書館、国立近代美術館、科学博物館などが建設される事になり、近衛師団司令部も解体される運命にあったが、近衛連隊の戦友会が中心となって明治期における洋風建築の歴史的遺構としての保存運動が沸き起こった。この影響もあり近衛師団司令部は、国の重要文化財の指定を受ける事になり、破壊を免れた。
その後、東京国立近代美術館工芸館として、文化庁建造物課の監理のもと昭和52年11月に改修が終了し、同年11月15日に正式に開館し現在に至っている。今、工芸館では「所蔵作品展 花咲く工芸 Blooming Crafts: Modern Crafts from the Museum Collection」が開催されている。入館料は大人200円なので、一度、旧近衛師団司令部を訪ねるのも良いのではないか。

それと師団司令部の基礎部分に注目。京都の安部晴明神社で見た五芒星だ。
                            
何でも近衛兵の軍帽につく帽章が由来のようだが、帽章の由来はユダヤ教?と思ってしまうのも無理はないだろう。明治期から戦前にかけて日猶同祖論(日本=ユダヤ同祖論)が蔓延ったからだ。私見ながら皇国史観と日猶同祖論は、それこそ同祖だと思う。
                          

第二代近衛師団長・北白川能久親王像

2013年05月03日 | 日記
北の丸公園の国立近代美術館工芸館の入り口に聳え立ち、首都高都心環状線・代官町入口方向から皇居に向かっている雄姿は、ある種爽快感を感じさせる、北白川能久親王像はとても良い彫像だ。

 

工芸館入り口には、警視庁のパトロールカーが、エンジンをかけたまま駐車している中、そぞろ親王像の撮影に取り掛かる。彫像は、皇居を向いている関係から、碑文説明文は、後ろ姿を見る形となるが撮影。
碑文の画像と内容は以下の通り。



弘化四年(一八四七)伏見宮邦家親王の第九皇子として御誕生。
嘉永元年(一八四八)青蓮院宮御相続、安政五年(一八五八)輪王寺宮御相続、公現法親王(俗名能久)と称せられ、上野寛永寺の門跡となられる。明治三年(一八七〇)還俗して伏見宮に御復帰、軍籍に就かれた。同年勅命によりプロシヤ国留学を命ぜられ、同国歩兵・砲兵聯隊、参謀学校等で兵学を学ばれ、明治十年御帰朝、近衛砲兵聯隊御隊附。御留学中の同五年北白川宮を御相続遊ばされた。同十七年陸軍少将に任ぜられ、歩兵第一旅団長、参謀本部御出仕。同二十五年陸軍中将に任ぜられ、第六・第四師団長を御歴任、同二十八年一月近衛師団長に親補せられ、近衛師団を率いて台湾に御出征、炎熱瘴癘の地で疫病に罹らせ給い、明治二十八年十月二十日(一八九五)台南に於て薨去遊ばされた。御歳四十九歳。陸軍大将に任ぜられ、大勲位菊花章頸飾および功三級金鵄勲章を賜わり、国葬を以て豊島岡陵に御埋棺された。

銅像は、明治三十六年一月二十六日、北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二聯隊正門前(現在地より東方約六十メートル)に建立されたが、昭和三十八年北の丸公園整備計画に従いこの地点に移された。制作は、渡台時近衛騎兵として側近に仕えた斯界の大家新海竹太郎によるもので、芸術的にも高く評価されている。鋳造は陸軍砲兵工廠である。
建立後八十余年を経て若子個所の損傷を見るに至ったので、昭和六十年有志相諮り修復した。

昭和六十年十月二十八日
親王九十年祭にあたり元近衛師団戦友会誌す

日本水準原点と標高“0”を繋ぐ、一等水準点「交無号」

2013年05月01日 | 日記
日本の標高の基準である東京湾平均海面(標高0m)と、国会議事堂前にあると言う日本水準原点の標高を決めた一等水準点「交無号」が近所にある。緯度35°40′20″.7936、経度139°47′01″.4012。

交無号から測量した結果、日本水準原点の標高は、東京湾平均海面(T.P.)24.5000m。その後、関東大震災でが発生した為、交無号から再測量が行われT.P.24.4140mとされている。因みに交無号の標高は3.2096m。

   

この重要な水準点については、国土地理院のホームページにも記載がある。
一等水準点「交無号」について~日本の標高決定は一等水準点「交無号」から始まった!~


今、一等水準点「交無号」は、新川二丁目越一婦人会の皆さんの手で綺麗な花々に囲まれています。

  

米韓原子力協定の今後 ~韓国のウラン濃縮と乾式再処理の可否~

2013年05月01日 | 日記
米韓原子力協定が2014年3月に期限切れとなるが、もし協定が満了する事になると韓国の原子力産業への影響は甚大だ。何故ならば協定が効力を失うことになると、米国から提供されている原子力関連機材と技術、ウラン原料の供給が一切中止される事態となる。米国が提供したウランの濃縮やウランが核分裂した後の使用済み核燃料も、米国の資産なので、現在の原子力を維持しようとする為には、米国の承認が是が非でも必要なのだ。韓国は今後原子力発電所を9基増やして32基までにする計画なので、計画自体が頓挫するし、アラブ首長国連邦(UAE)から受注した原発プロジェクトも中断・キャンセルされる。

米韓原子力協力協定は、1972年11月24日に署名、翌年1973年3月19日に発効し同協定の有効期間は30年だったが、発効から1年弱の1974年5月15日に協定改定され、有効期間が41年に延長された。この協定には自動延長の条項がもともとなく来年3月までに新しい米韓原子力協定が締結されないと失効する事になる。前述の通り韓国としては、これを絶対に阻止せねばならないが、米国は、朝鮮半島の非核化と核不拡散防止を盾に、韓国が要求するウラン濃縮と使用済み燃料再処理を認めていない。

韓国は、ウラン濃縮と使用済み核燃料再処理に枷のある米韓原子力協定の2年間延長することで米国と合意しているが、あくまでも韓国はウラン濃縮と再処理を求める為、朴槿恵大統領が、5月に訪米してオバマ大統領と原子力協定改定問題について話をする。韓国が求めている再処理方式は、日本と違って乾式処理だ。パイロプロセッシング法とも言うが、ピューレックス法と違いシンプルで安全性が高いと私見だが思う。この点で韓国の判断は間違っていない。

因みに六ヶ所村の再処理工場は世界で唯一、硝酸ウランと硝酸プルトニウムの混合溶液を電磁波加熱してウランとプルトニウムの混合酸化物を作る方式を採用している。フランスのラアーグや英国ウィンズケールなどの再処理工場では、プルトニウム硝酸溶液に蓚酸を添加し、蓚酸プルトニウムの沈殿を生成し、これをろ過&乾燥してプルトニウム酸化物(PuO2)の微粉末をつくるが、硝酸プルトニウムさえあれば、後はこのプルトニウム硝酸に弗化水素を加えて三価フッ化プルトニウム(PuF3)を生成し、次に金属溶融還元を施すと核兵器用金属プルトニウムが得られる。

過去ブログ参照→核武装とトリウム溶融塩炉

通常の再処理プロセスで出来るプルトニウム化合物は全て4価であり、核兵器用のプルトニウムは3価でなくてはならないが、3価のプルトニウムは、六カ所村の湿式再処理でなくてはならない。韓国が検討している乾式再処理ではプルトニウムが4価であり核不拡散性が六カ所より高い。つまり六カ所の再処理プロセスに手を加える事により3価のプルトニウムを生産可能なので、この点で韓国の主張には一理ある。
しかし、米国はゴールドスタンダード(再処理と濃縮の禁止)を緩和する事はないと思う。

米韓原子力協定に韓国政府が必死に改定を求める背景には日本同様の使用済み核燃料の問題がある。ほぼ保管施設が満杯になりつつあり、ウラン濃縮委託費も年間800億円と言う巨額に達している。それと宿敵日本には1988年の日米原子力協定で再処理が認められ、ウラン濃縮施設も建設されている。日本との違いは何だ?と言う感情が・・・これは原子力にとどまらない。実は韓米ミサイル協定によって、射程距離800km以上、弾頭重量500kg以上のロケットとミサイルを製造する事が韓国は出来ない。

韓国でウラン濃縮と使用済み核燃料再処理が許可される事になると、韓国の核武装化が大きく前進する事となる。これは北朝鮮崩壊を見据えた朝鮮半島の非核化が、大きく後退する事になるし、日本において、強硬な核武装論が出てくることは容易に想像出来る。

六カ所の湿式再処理を放棄し、韓国が検討している乾式再処理方式を日本も導入するべき。ただし核武装する気がなければの話。
個人的には再処理自体に反対。使用済み燃料専門の専焼炉を建設・運用し、短寿命化と減量化した廃棄物の乾式保管が、現在では最善の方法と考えている。この点からも原発政策は根本から見直しが必要です。

4年振りに神田祭が開催される

2013年04月28日 | 日記
4年降りに神田祭が5月10日~12日の3日間にわたり実施される。

神田祭は江戸三大祭(神田祭、山王祭、深川神幸祭)の一つであり、京都祇園祭・大阪天神祭とともに日本三大祭でもある。神田祭は、神田明神のお祭り。元々は大手町の将門塚周辺に創建されたが、現在の地に移された。神田明神は、江戸総鎮守。

写真は三越日本橋本店1階に展示されている室町一丁目の神輿と山車です。



5月3日~12日までは、今回初登場となる群馬・藤岡市の神輿が展示される。何故、神田祭に藤岡の神輿?

それは三越の前身である三井越後屋が、絹産業が盛んだった藤岡に支店をだしていた縁で、同地の諏訪神社に男女一対の神輿を奉納した事による。230年振りに日本橋に帰ってくる。勿論、藤岡の方々が神輿を担いで神田祭に彩りを添える。

神田祭を楽しむには「まち日本橋」が参考になる。

大阪 串カツエレジー

2013年04月21日 | 日記
NHKの72時間ドキュメント「大阪 串カツエレジー」は、久し振りに観て良かったなー。よい番組です。

番組は、同じ場所で72時間張り込みで取材するドキュメンタリーで、この串カツ屋さんには、様々な人達が訪れる。

有名化粧品会社の元子会社にいた方。「見かけも、中身もおっさんなんで。どこでも行きますよ、開拓者なんで」と言う、今はアルバイトの事務員をする女性。

ホワイトデーの日に、隣の見知らぬお客さんから嫁さんと娘へのお返しをするよう説得され、お花を買う50代のゴッツイおじさん。

海外駐在の夫を持つ、子育て中のお母さんが、寝てるベビーカーに遮蔽して15分だけ、ビールと串カツ2本を食べる。彼女にとっては久し振りの外食だ。

自宅に居るのが苦痛な定年後のおじさん~「家にいたくないねん。色々事情があってな~夜まで時間が長いねん!」

取材されたのは、梅田地下街の串カツ屋「松葉」に、今度、行ってみよう。

村上氏の初監督作品「めめめのくらげ」

2013年04月21日 | 日記
TOHOシネマズ六本木ヒルズの10周年記念作品として、4月26日(金)「めめめのくらげ」が上映される。
311震災後の日本を舞台にした実写+CGによるファンタジー・エンターテインメント。村上氏は、寅年で俺と同じ歳。

このリンクをクリックすると予告編がみれるし、最後にはイントロダクションやストーリー、 キャスティング、それと監督ロングインタビューが掲載されているHPが現れる~粋だね。

『村上隆 めめめのくらげの世界展』も、「ROPPONGI HILLS A/D Gallery」で開催されている。昨日から5月19日(日)まで開催されている。