ロッキーフラッツは、水爆のピット、即ちプルトニウム・トリガーを生産していた核施設である。ピットは、ステンレス合金で被われた球形の容器で、内側にはプルトニウム・トリガーを収容する。このプルトニウム・トリガーは、文字通りプルトニウムをコアにしたベリリウムで被覆された完全球体で、火薬の爆破によりピットが外側からの急激な圧縮、爆縮によりプルトニウムが核爆発する。この核爆発が水素爆発を引き起こすトリガーとなる。
ロッキーフラッツは、米国コロラド州アーバダにある。もっとも1953年に操業を開始した工場は今は解体され大部分は撤去されたが、危険な施設はそのまま地下に埋設された。このため、未だに人の立ち入りが厳重に禁じられている。
ロッキーフラッツは、プロジェクト・アップルと呼ばれ、1951年にデンバーで5人の原子力委員会メンバーが会議を開き、アーバダのロッキーフラッツと呼ばれる強風が吹きすさぶ土地を選定。デンバーやボールダーなどからさほど離れておらず職員となる人たちの供給にも問題ないとの判断だ。しかし、一つ見逃しがあった。プラントの設置基準には、上空を通る風が住宅密集地に向かって吹いてはならないと規定されていたが、これを見逃した。また職員からの指摘があったにもかかわらず無視した。
プロジェクト・アップルの事前調査では、デンバー近郊のステープルトン空港の風力モデルに基づいた分析をしており、反対側にあるロッキーフラッツは風力調査が行われていなかった。ロッキーフラッツはチヌーク風と呼ばれる強風で有名で秒速45メートルを超える速度で、ロッキー山脈の斜面を吹き下ろし、ロッキーフラッツの真上を通り、著者クリステンが住むアーバダ、ウエストミンスター、ブルームフィールド、そしてデンバーへと向かう。チヌーク風により電柱が折れ、車が横転するなどその強烈さは、地元で知らない者はいなかった。しかし、原子力委員会のメンバーは知らなかった。このチヌーク風の問題を指摘したジム・ストーン氏がいたが、彼の指摘は無視された。
強風吹きすさぶロッキーフラッツでは、プラントの建設計画が発表され、プラント建設が開始された。プラントの所有者は、原子力委員会だが、運営はダウケミカル。だだし、事故や故障については責任を負わない契約。この時期はオークリッジのガス拡散型ウラン濃縮プラントに4つの工場が増設、パデューカに5つのガス拡散型ウラン濃縮プラントが新設。ハンフォードの5つのプルトニウム生産炉が55年にはフル稼働し、サバンナリバーでは、5基の重水炉がプルトニウムとトリチウムの生産を開始。因みにトリチウムは、リチウム6に中性子を照射して生産する。リチウムには同位体6と7がある。リチウム6は希少資源だ。しかしリチウム6が入手できれば、日本の軽水炉でも製造可能。
このロッキーフラッツは、核兵器製造ネットワークの一つで、核爆弾のピットを製造する拠点という位置付け。核兵器製造ネットワークには、13の核施設が組み込まれ設計_製造・試験・保管・メンテナンスの機能を提供した。
(1)アイダホ国立工学研究所
(2)ハンフォード・サイト(プルトニウム製造。5基の生産炉)
(3)ローレンス・リバモア研究所
(4)ロスアラモス国立研究所
(5)サンディア国立研究所
(6)パンティックス・プラント(核兵器組み立て第二工場。ロッキーフラッツのピットはここの運ばれ組み立てられる。現在は核兵器解体に従事)
(7)カンザスシティ・プラント(核弾頭主要機械部品製造工場。老朽核兵器を更新し、新鋭化する工場として健在)
(8)マウンド・プラント(軍用ウラン濃縮工場)
(9)ファーナルド・サイト(金属ウラン製造施設(六フッ化ウランから金属ウランへの転換施設;1989年7月10日閉鎖)
(10)オークリッジ核保管施設(Y-12がある。サバンナリバーから運び込まれる重水とリチウムを混合し核融合材料を製造し、パンティックスへ引き継ぐ)
(11)サバンナリバー・プラント(5基の重水炉でプルトニウムとトリチウムを生産。1953年と1975年に事故)
(12)ピネラス・プラント(核兵器組み立て工場)
(13)核廃棄物隔離試験施設(Waste Isolation Pilot Plan;WIPP)
正式には1953年の操業開始とあるが、実際には1952年にはピットのフル生産に入っており、1957年には1600人が製造に従事するまでに拡大。急速な生産拡大は、地域環境を極度の汚染する結果となった。放射性廃棄物や有毒廃棄物などを含む廃水は、通常の汚水処理施設を経て、ウーマンリーク河に流された。固形物は55ガロンのドラム缶に入れられたが、残りの廃棄物は焼却され、そのまま排気ダクトを経て排出された。チヌーク風に乗って、さぞかし遠くまで飛んだことだろう。
そしてロッキーフラッツは、運命の1969年6月11日(日)を迎える。
ロッキーフラッツのプルトニウム加工施設は、半地下式で周囲を鉄条網と監視塔と土手で囲まれた第771複合施設でプラントの中央にある。この複合施設は、771号棟と776号棟から構成されているが、この施設には多数のグローブボックスが設置されており、このグローブボックスの中でプルトニウム・トリガーが製造されている。ロッキーフラッツの場合、このグローブボックスが長く連結されており、総延長は20メートルを超えていた。このグローブボックス内の通常の気圧より低く設定されており、事故があっても外部にプルトニウムが露出しない仕様となっている。この連結されたグローブボックスは、チェーンベアと呼ばれる密閉型のベルトコンベアシステムで相互につながっているが、これが事故を拡大させることとなる。
フル・ボディ・バーデン「Full Body Burden」の著者、クリステン・アイバーセン(Kristen Iversen)は、米国の原子力潜水艦隊の生みの親である、ハイマン・G・リッコーバーの印象的な言葉を引用している。
『自然界が生命の持続を断ち切ろうとするような何かを作り出している。放射線を発生させるとそのたびに一定の半減期をもつあるものが生まれる。場合によっては半減期は10億年に及ぶ。重要なのはこの恐ろしい力をコントロールし、除去しようとすることだ。原子力が放射線を生み出すものであるものである限り、原子力がわれわれの役に立つとは思わない。では、なぜ私が原子力推進の船舶を積極的に展開しようとするのかと問われれば、その悪の力が必要だからだと答える。できるものならすべて沈めてしまいたいくらいだ』
ロッキーフラッツは、米国コロラド州アーバダにある。もっとも1953年に操業を開始した工場は今は解体され大部分は撤去されたが、危険な施設はそのまま地下に埋設された。このため、未だに人の立ち入りが厳重に禁じられている。
ロッキーフラッツは、プロジェクト・アップルと呼ばれ、1951年にデンバーで5人の原子力委員会メンバーが会議を開き、アーバダのロッキーフラッツと呼ばれる強風が吹きすさぶ土地を選定。デンバーやボールダーなどからさほど離れておらず職員となる人たちの供給にも問題ないとの判断だ。しかし、一つ見逃しがあった。プラントの設置基準には、上空を通る風が住宅密集地に向かって吹いてはならないと規定されていたが、これを見逃した。また職員からの指摘があったにもかかわらず無視した。
プロジェクト・アップルの事前調査では、デンバー近郊のステープルトン空港の風力モデルに基づいた分析をしており、反対側にあるロッキーフラッツは風力調査が行われていなかった。ロッキーフラッツはチヌーク風と呼ばれる強風で有名で秒速45メートルを超える速度で、ロッキー山脈の斜面を吹き下ろし、ロッキーフラッツの真上を通り、著者クリステンが住むアーバダ、ウエストミンスター、ブルームフィールド、そしてデンバーへと向かう。チヌーク風により電柱が折れ、車が横転するなどその強烈さは、地元で知らない者はいなかった。しかし、原子力委員会のメンバーは知らなかった。このチヌーク風の問題を指摘したジム・ストーン氏がいたが、彼の指摘は無視された。
強風吹きすさぶロッキーフラッツでは、プラントの建設計画が発表され、プラント建設が開始された。プラントの所有者は、原子力委員会だが、運営はダウケミカル。だだし、事故や故障については責任を負わない契約。この時期はオークリッジのガス拡散型ウラン濃縮プラントに4つの工場が増設、パデューカに5つのガス拡散型ウラン濃縮プラントが新設。ハンフォードの5つのプルトニウム生産炉が55年にはフル稼働し、サバンナリバーでは、5基の重水炉がプルトニウムとトリチウムの生産を開始。因みにトリチウムは、リチウム6に中性子を照射して生産する。リチウムには同位体6と7がある。リチウム6は希少資源だ。しかしリチウム6が入手できれば、日本の軽水炉でも製造可能。
このロッキーフラッツは、核兵器製造ネットワークの一つで、核爆弾のピットを製造する拠点という位置付け。核兵器製造ネットワークには、13の核施設が組み込まれ設計_製造・試験・保管・メンテナンスの機能を提供した。
(1)アイダホ国立工学研究所
(2)ハンフォード・サイト(プルトニウム製造。5基の生産炉)
(3)ローレンス・リバモア研究所
(4)ロスアラモス国立研究所
(5)サンディア国立研究所
(6)パンティックス・プラント(核兵器組み立て第二工場。ロッキーフラッツのピットはここの運ばれ組み立てられる。現在は核兵器解体に従事)
(7)カンザスシティ・プラント(核弾頭主要機械部品製造工場。老朽核兵器を更新し、新鋭化する工場として健在)
(8)マウンド・プラント(軍用ウラン濃縮工場)
(9)ファーナルド・サイト(金属ウラン製造施設(六フッ化ウランから金属ウランへの転換施設;1989年7月10日閉鎖)
(10)オークリッジ核保管施設(Y-12がある。サバンナリバーから運び込まれる重水とリチウムを混合し核融合材料を製造し、パンティックスへ引き継ぐ)
(11)サバンナリバー・プラント(5基の重水炉でプルトニウムとトリチウムを生産。1953年と1975年に事故)
(12)ピネラス・プラント(核兵器組み立て工場)
(13)核廃棄物隔離試験施設(Waste Isolation Pilot Plan;WIPP)
正式には1953年の操業開始とあるが、実際には1952年にはピットのフル生産に入っており、1957年には1600人が製造に従事するまでに拡大。急速な生産拡大は、地域環境を極度の汚染する結果となった。放射性廃棄物や有毒廃棄物などを含む廃水は、通常の汚水処理施設を経て、ウーマンリーク河に流された。固形物は55ガロンのドラム缶に入れられたが、残りの廃棄物は焼却され、そのまま排気ダクトを経て排出された。チヌーク風に乗って、さぞかし遠くまで飛んだことだろう。
そしてロッキーフラッツは、運命の1969年6月11日(日)を迎える。
ロッキーフラッツのプルトニウム加工施設は、半地下式で周囲を鉄条網と監視塔と土手で囲まれた第771複合施設でプラントの中央にある。この複合施設は、771号棟と776号棟から構成されているが、この施設には多数のグローブボックスが設置されており、このグローブボックスの中でプルトニウム・トリガーが製造されている。ロッキーフラッツの場合、このグローブボックスが長く連結されており、総延長は20メートルを超えていた。このグローブボックス内の通常の気圧より低く設定されており、事故があっても外部にプルトニウムが露出しない仕様となっている。この連結されたグローブボックスは、チェーンベアと呼ばれる密閉型のベルトコンベアシステムで相互につながっているが、これが事故を拡大させることとなる。
フル・ボディ・バーデン「Full Body Burden」の著者、クリステン・アイバーセン(Kristen Iversen)は、米国の原子力潜水艦隊の生みの親である、ハイマン・G・リッコーバーの印象的な言葉を引用している。
『自然界が生命の持続を断ち切ろうとするような何かを作り出している。放射線を発生させるとそのたびに一定の半減期をもつあるものが生まれる。場合によっては半減期は10億年に及ぶ。重要なのはこの恐ろしい力をコントロールし、除去しようとすることだ。原子力が放射線を生み出すものであるものである限り、原子力がわれわれの役に立つとは思わない。では、なぜ私が原子力推進の船舶を積極的に展開しようとするのかと問われれば、その悪の力が必要だからだと答える。できるものならすべて沈めてしまいたいくらいだ』