エジプトとロシアは、原子力発電所建設に向けた合意文書に調印した。シナイ半島でのロシア機墜落事件の影響がエジプトの原発建設には影響がなかった。ロシアにとっては貴重な外貨をもたらす。スィースィー大統領も「この合意はエジプトとロシア両政府の強固な関係を裏付けている」と語っている。
今回の合意文書は複数あり、原子力発電所の建設に関する文書、原子力発電所建設に関する融資の文書、そして原子力安全対策に関する文書に調印。この合意文書調印により、エジプトは4基の原子炉(1基当たり120MW)を持つ発電所を地中海沿岸に持つこととなる。発電所は7年後の2022年完成予定で、ロシアからの借款は、売電利益から35年の分割払い。エジプトでは大規模な停電が起きており、経済発展の為には、是が非でも安定的な電力供給が必要。
しかし、エジプトの原子力発電に対する取り組みは苦難の連続だ。エジプトの原子力における取り組みは、ナセルの革命直後の1955年にはスタート。当時のソビエトとの間で核平和利用協定が結ばれ、1956年には2メガワットの実験炉建設契約を締結。翌年の1957年にはエジプト原子力庁が正式に発足し、エジプトはIAEAに加盟。実験炉は1961年に稼働している。
その後、エジプト最初の商用原子力発電所(150MW)となる国際入札を1964年に発表し準備を進めていたが、1967年のヨムキプール戦争でイスラエルに敗退した事からプロジェクトは破棄。これが第一の挫折。
1974年に、エジプトと米国との間で600万W級の原子力発電所プラントの建設で合意したが、ニクソンから原子力に渋いカーター大統領に代わり、米国による原子炉査察要求が出てきて、エジプトは主権侵害としてプロジェクトを破棄。第二の頓挫。
そして1975年から1980年にかけてエジプトの原子力開発に脅威を抱いたイスラエルにより、エジプト原子力科学者4名が暗殺されている。1名は米国で、2名はパリで暗殺され、暗殺者等は不明のまま。もう1名はベルギーで行方不明になっている。因みに核開発を進めたイランでも核物理学者が暗殺されるている。2010年には爆弾テロで、マスード・アリ=モハマディら2人が死亡、フェレイドゥーン・アッバースィーらも負傷。2011年には核物理を学ぶ大学生が射殺され、2012年1月11日、オートバイに乗った犯人グループ2人がアフマディ・ロシャンが乗っていた車の下に磁石式の爆弾を仕掛け、同乗していたボディーガードと共に爆殺されている。ロシャンは、ナタンツ・ウラン濃縮施設部長。暗殺はモサドとMI6。
第三の頓挫は、1983年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故。900MWに達する巨大原子力発電プラント建設プロジェクトは、反原発の流れに消えてなくなった。
エジプト政府は、電力システムの能力を2012年~2017年の間に1800MW強化する計画で、原子力発電所以外の発電所建設プロジェクトを進める。
エジプト政府は、電力システムを強化する事業には総額13億ドルを投入する。この内6億ドルを欧州復興開発銀行が、アラブ経済社会開発基金が2億ドル。西デルタ電力生産会社が2億4000万ドル、アフリカ開発銀行からは8000万ドルの融資を受けている。
エジプトの電力システムに関するプロジェクトに対しては、今年2015年10月30日、欧州復興開発銀行がエジプトへの安定的な融資を行う事を決定しており、既にダマンフールに発電所を建設為の特別融資2億ドルを欧州復興開発銀行が決定ずみだ。
さて、原子力発電所の話に戻すと、エジプト初の原子力発電所は、マルサマトルーフの近くのアル・ダバ(al dabah)に建設される計画だが第四の挫折とならないか慎重にプロジェクトの進展を観たい。
※過去ブログ:「エジプトの原子力発電所建設~4度目のチャレンジ~」