様々な東芝に関する所謂「東芝本」が出版されているが、その中でも技術者が書いた『東芝はなぜ原発で失敗したのか』が秀逸で抜群に面白い。
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この本は、2部構成で、最初に東芝の原子力事業の失敗の経緯が書かれている。東芝は、実質的にGEの子会社で、日立製作所はGEの影響下から逃れられたが、東芝は子会社故、逃れられず、三菱重工とGEのガスタービン技術の開発競争の余波を受け、また様々な経緯もありウェスティング・ハウス(WH)を買収した。これが終わりの始まり。
著者の相田氏は、
「東芝の破綻を招いた重要な要素として、マスコミの記事と数冊の出版物で語られたとおり、西室、西田、佐々木ら歴代社長たちの間の醜い確執と、それを取巻く重役たち、社外取締役、監査法人メンバーの無能さを挙げられるだろう」と書いている。説明の比喩で大著「国際政治」で著名なモーゲンソーのビリヤード理論によって説明している。今回の東芝の失態は、これは当事者では到底、軌道修正できるようなものではなく、必然であるとしている。
後半では、日本への原子力技術導入に関わる不幸な物語が綴られている。特に日本原子力研究所・理事長の菊池正士の嘆きと憂いに関する記述は、魂がこもっているなという感じで一気に読み込んでしまう。原研の労働組合は、原子炉の安全的運転に反するストライキを頻発させた。これが福島原発事故の伏線となっていると主張する。当然、原研の左翼勢力の無力化を目的とした理事長が就任し、組織は弱体化した。
面白く、また興味深く読んだのは、高速増殖炉実験炉「常陽」の原研設計リーダーの熊澤正雄氏の話だ。彼は単なる原子物理屋ではなく、優れて工学的センスがあった技術者であり、常陽を設計する際の三原則を提示し、遵守させている。
(1)設計値通りにできなくても、つまり少々の狂いがあっても性能に影響しないような設計点を選ぶこと。
(2)高速炉の性能に直接関係するものとしての増殖比、燃焼度、出力密度等、および信頼性向上に関係するものは、なるべく多くのものの参加のもとで決定し、新規の研究開発計画の立案もするが、その他の高速炉の性能に関係ないと思われるものについては、前例通りの設計を採ること。限りある人員も費用も重点的に活用するため、自己満足に類する新規の設計を避けること。
(3)いくらその道の専門家が大丈夫と保証しても、我々自らの判断で適否を決めること。特に検査のできないようなものの採用は控えること。それぞれの単品の健全性が確認できて、最終工程は溶接で仕上げて検査を容易なものとすること。
(熊澤正雄「原子力プロジェクト研究に従事して」1998年)
相田氏は、この三原則は、全ての機械設計を行う際の黄金律だと指摘している。さて、熊澤チームが設計した常陽は、1977年の運転開始以来、大きなトラブルもなく高速増殖炉としては、安定した運転実績を挙げた。これは特筆するべき功績です。常陽の設計図260ページは、全て「動力炉・核燃料開発事業団」(動燃)に引き渡され、常陽の安定運転は、動燃の成果・実績とされた。動燃は、原研の非左翼勢力を引き抜いて作られた組織で、動燃では一切研究開発は行わす、仕様だけをメーカーに出す組織としてスタートした。これがいけない。常陽をスケールアップした問題の「もんじゅ」の開発には、原研の熊澤チームは一切関与していない。動燃の工学的センスのない、素人集団が高速増殖炉「もんじゅ」を殺した犯人である。「もんじゅ」は、2016年に廃炉が決まる。アホで間抜けな動燃ではなく、原研が「もんじゅ」を手がけていれば、熊澤チームが担当していれば、核燃料サイクルの破綻は防げた可能性が高い。
原子力ムラの皆さん、残念でしたね~
この本は、2部構成で、最初に東芝の原子力事業の失敗の経緯が書かれている。東芝は、実質的にGEの子会社で、日立製作所はGEの影響下から逃れられたが、東芝は子会社故、逃れられず、三菱重工とGEのガスタービン技術の開発競争の余波を受け、また様々な経緯もありウェスティング・ハウス(WH)を買収した。これが終わりの始まり。
著者の相田氏は、
「東芝の破綻を招いた重要な要素として、マスコミの記事と数冊の出版物で語られたとおり、西室、西田、佐々木ら歴代社長たちの間の醜い確執と、それを取巻く重役たち、社外取締役、監査法人メンバーの無能さを挙げられるだろう」と書いている。説明の比喩で大著「国際政治」で著名なモーゲンソーのビリヤード理論によって説明している。今回の東芝の失態は、これは当事者では到底、軌道修正できるようなものではなく、必然であるとしている。
後半では、日本への原子力技術導入に関わる不幸な物語が綴られている。特に日本原子力研究所・理事長の菊池正士の嘆きと憂いに関する記述は、魂がこもっているなという感じで一気に読み込んでしまう。原研の労働組合は、原子炉の安全的運転に反するストライキを頻発させた。これが福島原発事故の伏線となっていると主張する。当然、原研の左翼勢力の無力化を目的とした理事長が就任し、組織は弱体化した。
面白く、また興味深く読んだのは、高速増殖炉実験炉「常陽」の原研設計リーダーの熊澤正雄氏の話だ。彼は単なる原子物理屋ではなく、優れて工学的センスがあった技術者であり、常陽を設計する際の三原則を提示し、遵守させている。
(1)設計値通りにできなくても、つまり少々の狂いがあっても性能に影響しないような設計点を選ぶこと。
(2)高速炉の性能に直接関係するものとしての増殖比、燃焼度、出力密度等、および信頼性向上に関係するものは、なるべく多くのものの参加のもとで決定し、新規の研究開発計画の立案もするが、その他の高速炉の性能に関係ないと思われるものについては、前例通りの設計を採ること。限りある人員も費用も重点的に活用するため、自己満足に類する新規の設計を避けること。
(3)いくらその道の専門家が大丈夫と保証しても、我々自らの判断で適否を決めること。特に検査のできないようなものの採用は控えること。それぞれの単品の健全性が確認できて、最終工程は溶接で仕上げて検査を容易なものとすること。
(熊澤正雄「原子力プロジェクト研究に従事して」1998年)
相田氏は、この三原則は、全ての機械設計を行う際の黄金律だと指摘している。さて、熊澤チームが設計した常陽は、1977年の運転開始以来、大きなトラブルもなく高速増殖炉としては、安定した運転実績を挙げた。これは特筆するべき功績です。常陽の設計図260ページは、全て「動力炉・核燃料開発事業団」(動燃)に引き渡され、常陽の安定運転は、動燃の成果・実績とされた。動燃は、原研の非左翼勢力を引き抜いて作られた組織で、動燃では一切研究開発は行わす、仕様だけをメーカーに出す組織としてスタートした。これがいけない。常陽をスケールアップした問題の「もんじゅ」の開発には、原研の熊澤チームは一切関与していない。動燃の工学的センスのない、素人集団が高速増殖炉「もんじゅ」を殺した犯人である。「もんじゅ」は、2016年に廃炉が決まる。アホで間抜けな動燃ではなく、原研が「もんじゅ」を手がけていれば、熊澤チームが担当していれば、核燃料サイクルの破綻は防げた可能性が高い。
原子力ムラの皆さん、残念でしたね~